第24話 町長の決意
「交渉というより命令に近い形で、僕たちの村は食料を提供しなければいけなくなってしまった。そして僕たちが逃げ出さないようにか、クローバーが人質に……。今でもあの選択が間違っているのではないかと思っているよ」
壁に貼られた、娘――クローバーの作品だという絵を眺めながらサクはため息を吐き、言葉を続ける。
「だからさ、僕たちはチリジンの町……あ、襲撃者のいた町ね。そこに襲撃をかけようと思っていたんだ。人数も劣る攻めに勝ち目なんてないけど、クローバーをこのまま放っておくわけにはいかないからさ。そんな時に、君が来てくれた」
そう言うとサクは立ち上がり、俺とコロンに向かって頭を下げた。
「君には僕たちを救う義理や理由なんてものはないかもしれないけど、クローバーを救ってくれないかな。お願いします」
頭を下げる直前に、瞼をぎゅっと閉じたのが見えた。握られた拳が微かに震えている。
「頭を上げてください。もともとこのエルフさんの村を救うという予定でしたし構いませんよ」
やはり、人間などという存在は救いようがない。ただ暮らしていただけのエルフたちを襲うなど、許されざる行為だ。
本当はチリジンとかいう町を滅ぼしてしまいたい。存在している価値がない。
だが、女神の依頼は矯正であり、このようなことを二度と起こさないようにするというものだ。
それを無碍にすれば、俺の望みである無から遠ざかってしまう。
「ついでにチリジンの町の人間を、もう二度と同じことをできない様にしておきます」
そう言うと、サクはふっと笑みをこぼしながら。
「そっか、良かったよ。僕たちだけではどうしようかと……。いや、安心するのはクローバーを助けてからだね」
「はい、そうですね。ところで、サクさんはどのようにクローバーさんを救うつもりだったんですか?」
今後の動きの参考にしようと思い聞いてみると。
「そうだね、僕たちエルフは薬の調合が得意でさ、その関係で毒なんかも調合したりできるんだよ。ほら、さっき僕が話した、村長の家系にしか伝わっていない強力な毒で、チリジンの町のみんなを……って思ったんだ」
「なるほど。ですが、一人ひとりに毒をかけて回るんですか?」
それでは殺せたとしても不意打ちで数人程度。相手が一般人ならそれだけでも事足りるだろうが、兵士やこの村を襲った襲撃者もいるだろう。
「ううん。あの町にはシェルターっていう地下に広がる空間があってね。そこにみんなを閉じ込めた後に、気化させた毒を充満させて……て感じかな」
「シェルターですか?」
「あの町は竜巻が良く発生する地域に存在していてね。その避難場所として作ったらしいよ」
「つまり竜巻が発生して、人間が全員シェルターに入ったのを確認した後に毒を撒くつもりだったと」
「いや、この村には魔法を使える子がいてさ、その子に頼んで疑似的に竜巻を作り上げようと思って。そしてシェルターに隠れさせて、出入り口を全て塞いだ後に毒を撒くって作戦なんだ」
サクは僅かに俯きながら、言葉を続ける。
「そして、みんなにはその隙に町のどこかにいるであろうクローバーを探し出してもらう。クローバーは嬉しい事にこの村のアイドルみたいな存在でさ。きっと必死になって探してくれるよ。本当は少し心配だったんだ。この村は人数が少ないから、探しきれないんじゃないかって。でもさ、ラファエルさんなら翼で町を駆け巡ってくれる。きっと見つかるよ。本当に、来てくれてよかった」
口角を上げてふっと息を漏らして、サクは笑う。
が、その口角は無理に作ったというようにピクピクと震えている。そしてどこか力が抜けたようにゆっくりと背もたれに体を預けながら瞳をつぶる。
――いや、前世で絶望を知った俺は知っている。これは笑いなどではない。諦めがこじれて吹っ切れたような笑み。
絶望とは、一種の諦めでもある。何にも期待しなければ、感情の浮き沈み自体が無くなって安定するから。
だけど、やはりどうしても期待というものは捨てきれない。絶望の海に沈んでいたいのに、手を伸ばしてしまう。
そんな矛盾に気付いて堪えきれなくなった時に、胸の奥から突いたように息が漏れ出す。時には涙と共に。
それが今のサクである。
つまり、俺が来ても状況は変わらないという事だ。
何故だ? 俺らが来て状況が変わると喜んでいたのはサクではないか。
――いや、違う。サクはラファエルが来ることに声を上げていた。だが、ラファエルはここには来ない。来たのは、この村を救おうとしているのは、実際には俺らだ。
サクは先ほど、ラファエルの翼を頼りにクローバーを探すと言っていた。ラファエルの移動力をあてにしていた。
しかし、それでもサクの絶望は晴れない。それはこの表情からも伺える。
つまり、クローバーを探し当てることが彼の絶望ではない?
……一から考えてみよう。
魔法が使えるというエルフの力で竜巻を作り出し、チリジンの住民をシェルターにおびき出す。
そして入口を封鎖して、毒を――
いや、どうやって入り口を封鎖する?
警戒の為に、恐らく入り口付近には警備が何人かいるはずだ。それに、入り口が崩落か何かで使えなくなった時の為に、いくつかはあるはず。一つだけとは考えにくい。
そして地下に町じゅうの人間が押し込まれることになるから、換気ができるような装置もあるはずだ。毒が部屋全体に充満する前に毒の効果が切れるだろう。換気が意味をなさないくらい大量に毒を撒き続けなければいけない。
よく考えると、毒を撒く方法だけ曖昧だ。クローバーを救いたいと考えているならば、エルフに仇なす存在である人間を殺す部分こそ重点的に策を巡らせるはず。
「サクさん。どうやって毒を撒くつもりなんですか?」
「……いや、それは教えられないね。さっきも言ったけど、使う毒は僕たち村長の家系にしか伝わらない、危険なものなんだ。使い方でさえも、誰かに教えることは――」
「――死ぬつもりなんですか?」
「え……」
……死というものは、ある意味心の安定剤なのだ。
死ぬから、苦しみから解放される。
死ぬから、後先考えない行動ができる。
「教えられないんじゃなくて、教えたくないんじゃないんですか? シェルターから逃げられない様に、サクさんだけがシェルター内に残って毒をばら撒き続ける。換気が間に合わないくらい大量に」
俺が詰め寄るように言葉を並べると、サクは少しの間小さく口をぽかんと開けて、やがて力なく息を漏らした。
「あはは……よく分かったね。そうだよ。あの毒は僕たち村長の家系だけが作れるけど、それには理由があるんだ。それは、その毒にも少しだけ耐性があるから。それだけ危険なのさ」
前世で言うところの遺伝みたいなものだろうか。
「キロネックスっていう植物があってね。見た目は透き通った川の様に綺麗な半透明で、きくらげみたいな感じかな。アストマさんもコロンさんも触らないようにしてね。触ったら数十分ほどで死んでしまうほどの猛毒だから」
その言葉に、コロンはごくりと唾を飲み込んだ。
「けど僕たち村長の家系は、それを触っても死ぬことはない。普通のエルフは調合することすらできないけど、僕たちはそれが可能なんだ。そしてそれを抽出して限界まで濃度を高めると、数秒で体を麻痺させて、数分で息の根を止めることができるほどまでになる」
「キロネックスに耐性があるのなら、サクさん自身が死ぬことはないんじゃないですか?」
「言ったでしょ、耐性は少しだけって。調合するだけなら問題はないけど、限界まで濃度を高めたキロネックスはさ、流石の僕でも死んじゃうんだ。それをシェルター全体に、つまり気化させて使う。換気が意味をなさないくらい大量にさ。どう頑張っても僕は生き残れないよ」
サクは壁に貼られた落書きのような人物画、クローバーの絵を眺めながら。
「あの絵は、クローバーが小さい頃に描いてくれたんだよ。けど、もう一回描いてって言っても恥ずかしがって描いてくれなくてさ。いつかは折れて描いてくれると思ってた。けど、それは叶わない。ならせめて、最期に見る景色はクローバーの絵がいいかな」
サクは席を立つと、その絵に向かって歩き出した。
「どうせ、あとちょっとの命だし。ああ。ミツには悪いことをしたな」
……あとちょっとの命? 俺はそれを問い直そうとしたが、不意に袖がくいくいと引っ張られる。
この部屋に入ってから一言も発していないコロンは、俯きがちにこちらを見上げ、いつの間にかかぶっていたフードのせいでよく伺えないその目を落ち着きなく左右へふらふらとさせていた。
が、意を決したように頷くと、サクから見えないように片手で口を隠す。
耳打ちかと思い、俺はコロンに顔を近づけると。
「あ……あの、アストマさん。私……サクさんとクローバーさんを、もう一度……会わせてあげたいです」
「ああ、もちろんだ。俺にはコロンさんが造ってくれたこの体があるからな」
そういうと、コロンの瞼が普段よりも開かれ、表情が若干柔らかくなる。
壁に貼られたクローバー作の絵を丁寧に取り外すサクに、俺は声をかける。
「サクさん。毒を撒く役、俺に任せてもらえませんか?」
「あはは……。そう言ってもらえるのは嬉しいけどさ、僕の代わりに誰かを死なせるなんて嫌だよ。だから村の誰かに任せないで僕がやるんだよ」
「いえ、俺は死にませんよ」
サクの、絵を取り外そうとしていた手が止まった。
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