第三章 ファースト・ターニングポイント②

 どれだけの非日常を経験しようが、時間は先へと進むし日は沈む。すなわち学校を追い出されて家路を歩くことになる。家に帰らなくては晩ごはんは食べられない。

 そういうワケで、公人と高嶺は二人一緒に下校していた。徒歩通学の高嶺に合わせて、公人も自転車を降りて並んで歩く。

 二人が歩いているのは街を東西に分かつ大きな川の土手である。さらさらと流れる水面が、夕日を反射してオレンジ色に光っていた。

 出し抜けに高嶺が言った。


「手塚くん。私のお尻を叩いてくれない?」

「いきなり何を言い出すんだ君は」


 命の危機を経験した公人は、もはやこの程度では動じなくなっていた。正面を向いたまま、ノータイムでそう返した。


「いいえ。バリバリに正気よ。ただ、今日の出来事があまりにも衝撃的で、嬉しくて……ひょっとしたら、私が見ている都合のいい夢なんじゃないかって思ってしまうの」

「だからって軽率にそんなことを頼むんじゃないよ」

「顔面にビンタでもいいのよ」

「どっちも断る。セクハラも暴力もまっぴらごめんだ」

「むぅ。じゃあ自分でやるしかないわね」


 公人はぎょっとした。こんな往来でセルフスパンキングに踏み切られてしまったら、さすがに彼女を羽交い締めにして説教するしかなくなる。

 しかし高嶺のネジはそこまで外れてはいなかった。彼女は自分の頬を抓ってむにむにと弄んだだけだった。


「ひゅめれはなひゃひょうへ」


 顔のパーツが数ミリズレただけでも人の印象は変わってしまうものだが、高嶺は変顔をしても相変わらず美人であり続けた。


「紛れもない現実だと思うよ。どうやらこの世界は僕らの想像よりも摩訶不思議なことで溢れてるみたいだね」


 それらの非現実的な要素に振り向いてもらえなかった公人が言う。

 今日で公人の世界に対する認識は大いに塗り替えられたが、彼は何も変わらず凡人のままである。高嶺は主人公と呼んでくれているが、自分が一介のモブに過ぎないことなど、公人自身がよくわかっていた。

 だから彼は提案した。


「高嶺さん。悪いことは言わないから、代わりの主人公ってやつを探しなよ。君の力が本当なら、僕よりもふさわしいやつなんてゴロゴロ見つかると思うよ」

「手塚くんよりも主人公にふさわしい人って……たとえばどんな人?」

「そりゃ、秋円寺たちや君みたいに特別な何かを持ってるやつだよ。人工的に作られた超能力者とか、人間と妖怪の間に生まれたハーフとか、妖精と契約した魔法少女とか」

「どれもイマイチそそられない設定ね」

「今のはただの一例だよ。でも、モブ同然のスペックな僕よりはマシだろ?」

「いいえ。そんなことはないわ」


 いやにきっぱりと高嶺は断言した。


「確かにそういった人たちも、別の物語では主人公になるのでしょうね。でも、私が実現させたいと思っている物語の主人公は、手塚くん以外ではありえないのよ」

「過大評価、どうも」

「そういう皮肉屋めいたところも手塚くんの魅力のひとつね」


 自虐を盾にした自己保身でも拒否前提の予防線でもなく、よかれと思った提案だったが、それでも高嶺は配役を変えようとはしなかった。

 完璧美少女にここまで評価されるのは悪い気分ではないものの、身分不相応の対応を受けている気分も捨てきれない。

 彼女は公人が書いた『旧校舎コドク倶楽部』のファンということだが、一体あの作品のなにが彼女をここまで惹きつけたのだろう。

 考えてもわからなかった。


「それに、手塚くんは自分で思っているよりも主人公の素質があると思うわよ。今日だってヒロイックな精神性を発揮してたじゃない」

「……僕、なんかしたっけ?」

「そういう鈍感なところはザ・主人公って感じね」

「本当に身に覚えがないんだよ」


 公人はカケルくんと遭遇してからの一部始終を回想するが、ひたすらビビり散らして脚を震えさせていた記憶しかない。活躍らしい活躍は、薔薇園をはじめとする個性豊かな面々にかっさらわれた。


「私が転んでカケルくんに襲われそうになった時よ。まだ助けが来るかどうかもわからなかったのに、私をかばってくれたじゃない」

「ああ……うん?」


 思い出しはしたが、いまいち納得がいかなかった。


「結局失敗したし、あのくらいのことは男子ならみんなやると思うけどな」

「結果も程度も関係ないの。大事なのは、その行動でメインヒロインの心がときめくかどうかなの」

「ときめいたの?」

「キュンキュンしたわ」

「恐怖心と恋心を錯覚しやすい性格みたいだね。異性と一緒に吊り橋渡らないほうがいいよ」

「人の気持ちは素直に受け取ってよ、もう」


 珍しく高嶺が年相応のふくれっ面を見せた。

 普段とのギャップに、公人も危うくときめきかけた。



 高嶺と別れた後も、公人はなんだか早く帰る気分になれず、そのまま自転車を押して家路を歩いていた。

 そこそこの距離を歩いたというのに、相変わらず彼の脳内では今日起きた出来事が延々とループ再生されていた。

 超文芸部の設立、カケルくんとの遭遇、生命の危機、魔女・電脳生命体・黒騎士といった各登場人物の正体、バトル展開、そして最後には完璧美少女との青春っぽい会話。

 どれか一つでもお腹いっぱいな出来事であるというのに、それらのイベントの数々はここ半日の間に立て続けに起こった。

 なんという密度だ。本当に昨日までと同じ時間が流れているのか。

 そもそもあれらの非現実的な出来事は本当に起こったことなのか。

 実在するのならば、なぜこれまで世界及び自分の視界から身を隠し続けていたのに、今になって姿を現したのか。


 一体どういう原理なんだ。

 莫大な予算によって作り込まれた壮大なドッキリなんじゃないのか。

 そんなことを、公人は飽きもせずに考えつづけていた。

 思慮深い性格というものは、語り手を担うにあたっては長所だが、こんなふうに袋小路にハマってしまうと厄介なことこのうえない。展開が先へ進まなくなってしまう。


 物語の舞台設定に「なんでそうなる」と疑問を抱かれても答えようがない。

 そういうものだからだ。

 いくら理論武装を試みようと、この《物語》がフィクションである以上、必ず現実世界との齟齬が生じてしまう。いたちごっこを繰り広げても文字数がかさむだけで根本的な解決にはならない。


 結局のところ、登場人物にも読者にも、どこかで折り合いをつけてもらうしかないのである。

 今回、公人の脳内の霧を晴らしたのは、積み重なった疲労と歩いて稼いだ時間だった。ようはだんだんと面倒くさくなった。


 世の中には自分の理解の及ばないことが当たり前に起きている。世界とはそういうもので、今回はたまたまその渦に巻き込まれただけなのだ。


 公人はそのように結論づけて、ようやく前を向いた。

 そういうことにしておこう。


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