隣の枝が伸びて

「前にも言いましたけど、うちの方にまで枝が伸びているんで、切ってもらっていいですか?」


 森村健吾は、隣の家の岡田に言った。

 これまで、何度か言っているのだが、まったく切ってくれないので困っていた。


「木の枝が伸びるなんて当たり前の事じゃないですか。緑は多い方がいいでしょう」


 岡田は当然のように言った。

 岡田は七十代後半ぐらいだが、頭はわりにしっかりしていた。


「しかし、うちの方に伸びてきて、もう窓に当たりそうなんですよ」


「そんなこと言っても、私の家は年寄りの二人暮らしなんで、枝を切るなんて作業もできないですしね」


「それでしたら、うちの方で勝手に切っていいですか?」


「そんなことしないでくださいよ。私の木なんですから。そんなことしたら訴えますからね」


「でも、枝は私の敷地に入っているんですよ」


「それは、木の枝が伸びれば、そういうこともありますよ。でも、それは私がやってるんじゃなくて木が自然に伸びただけなんですから」


「いや、ですが、その木を管理しているのはそちらなんですから、ちゃんと管理してもらわないと」


「うるさいねえ。そんな細かいことにゴチャゴチャとクレームつけるなんて」


「クレームって、悪いのはそっちでしょう」


「うちは悪くないね。木が伸びるなんて普通のことだし、私は自然は大切にしたいんでね。さ、帰っておくれ」


 岡田は手をヒラヒラとして森村健吾を追い返した。

 健吾は腹立たしい気持ちを押さえつつ、引き下がった。


「どうだった?」


 家に戻ると、妻の美幸が訊いてきた。


「ダメだ。まったく話にならないよ」


「でも、そろそろホント切らないと、うちの窓に当たりそうだし、ひょっとしたら窓を割るかもしれないわよ」


「まあ、そうなんだけど、まったく話が通じないんだよ」


 健吾はあきれ顔で言った。

 これまで何度も言ってきたが、いつも同じ調子で、自然なのだからん仕方がないとか、木がかわいそうだとか、そういうことを言って切ろうとしない。

 岡田家は確かに年寄りの二人暮らしで、自分で木を切るというのはできないかもしれないが、業者に頼むことぐらいはできるはずし、それぐらいのお金は十分持っているのだ。なぜなら駐車場には高級車が停めてあるからだ。それに庭の芝生はいつもきれいにしている。それだって業者が来てやっているのを何度も見た。


「でも、このままだと困るわね。こっちで出ている分を勝手に切るっていうのは法律的にはダメなのかしら?」


「うーん、俺も法律に詳しいわけじゃないけど、たぶん法律的には大丈夫なんじゃないかなあ。ただ、そうは言っても、あれだけ言っても切ろうとしない岡田の爺さんの対応を見てると、勝手に切った後が怖いよ」


「それもそうね」


「だろう。だからなんとか穏便に済ませたいけどな。だって、これからもこの家に住んでいくわけだし」


 森村健吾と美幸の二人は結婚してすぐにこの家を買った。静かな住宅街で、近所ともうまくいっていて、二人は満足していたが、去年の夏から隣の岡田家の木の枝が、ぐんぐんと伸びて、二階の窓を開けると目の前にそれがあるという状態になっていた。

 それから二人は対応に困っているのだが、生活できないほど困るということでもないので、それほど積極的に対処しようとはしてこなかった。

 無駄に近所とトラブルを抱えたいわけではない。

 しかし、このままでは、次の夏が来た時には、本当に枝が窓を突き破ることになるかもしれないと思うと、そろそろ本気で対処していかないとまずいのだ。


 数か月が過ぎた。

 隣の家の枝はさらに伸びてきた。そして、ついに二階の窓に当たった。

 窓を開けようとすると、枝が引っかかって開けにくい状態だ。


「ねえ、もう私我慢ができないわ。勝手に切りましょうよ」


 美幸は腹立たし気に言った。


「まあ、確かにな。このまま放置するわけにもいかないし」


 健吾もとしても、勝手に切るしかないと思っていた。


「少しだけなら切っても気づかないんじゃない。窓に当たっている分だけでも切ると窓も開けやすくなるし」


「でも、一応、最後にもう一度だけ岡田さんに話してみるよ」


 健吾としては、やはり勝手に切るのは気乗りがしなかったのだ。

 そして、そのまま隣の岡田の家に行った。


「前から言ってる木の枝なんですが、うちの窓に当たってるんで、切ってもらえませんか?」


「うるさいなぁ。またその事か。いい加減にしろ! 切らんと言ったら切らん!」


 そう言って、岡田の爺さんは玄関のドアをピシャッと閉めた。

 取り付く島もない状態だ。

 家に戻って美幸にそのことを話すと、


「勝手に切ろうよ。仕方がないじゃない」


 と言うのだった。


「そうだな。よし、じゃあ、切ろうか」


 健吾はそう言って、道具箱からのこぎりを取り出し、二階に上がった。

 そして、伸びてきて窓に当たっている部分を、のこぎりでギコギコと切り落とした。


「あっ、なにやってるんだ! 勝手に」


 間の悪いことに、隣の岡田がそれに気づいて、相手は二階の窓を開けて大声で怒鳴ってきた。

 こうなっては言い逃れはできないと、健吾は覚悟した。


「前から言ってたでしょう。枝が伸びてうちの方に伸びてるって。だから切ってるんですよ。いくら言っても切らないあなたが悪いんです」


「うるさい! そんなことをしてただで済むと思ってるのか!」


 岡田の爺さんは激高した。


「ただで済むもなにもないですよ。私は何度も言いましたが、あなたがそれをまったく聞こうとしないから悪いんでしょう」


 お互いに二階の窓から身を乗り出すようにしての言い合いになった。


「人のかわいがっている木を勝手に切りやがって!」


「そんなにかわいがってるのなら、ちゃんと世話をしなさいよ」


 そんなやり取りをしているところに、美幸も来た。


「岡田さん、そんなに言うのなら、裁判所でもどこでも訴えてください」


「ああ、訴えてやる! 訴えてやるぞ」


 岡田の爺さんは喚いた。

 そこに岡田の爺さんの妻も来た。


「この自然破壊者! 大バカ者めが!」


 婆さんも怒ってそんなことを言ってくる。


「バカバカしい。ちょっと木の枝を切ったぐらいで」


 健吾はアホらしくて相手にする気もなくなった。

 その時だった。


「う、うわあああ」


 と岡田の爺さんが恐怖に震える声を上げた。

 健吾と美幸が見ると、岡田家の家の窓の向こうに、なにやら巨大な蛙の顔のようなものが見えた。ギョロッとした目が窓からのぞく。


「な、なんだ? あれ」


「なにかしら。蛙?」


 健吾と美幸はなにか巨大な生物が突然岡田家に現れたのはわかったが、それがなにかわからなかった。しかし、ただ事ではないことはすぐに理解できた。


「ギャアアア」

「うわああ、た、助けてくれー!」


 岡田の爺さんと婆さんは悲鳴を上げている。

 そして岡田の家の中からは、バタンバタンとなにやら大きな物音が聞こえてきた。

 

「警察に連絡したほうがいいかしら?」


 美幸が青ざめて言った。


「そ、そうだな。通報しよう」


 健吾は自分のスマホですぐに警察に通報した。

 その時だった。

 岡田の家の二階の窓がガシャンと突き破られて、巨大なガマ蛙が飛び出してきた。巨大ガマ蛙は軽自動車ぐらいあり、窓のサイズよりもはるかに大きいので、窓の周りの壁も大きく破壊された。

 そして、そのガマが問題の木に飛び乗った。

 すると、その重みで木はバキッと鈍い音をさせて、幹が根元からぽっきり折れてしまった。

 岡田の爺さんと婆さんは、ガマ蛙が飛び出した時に一緒に庭に放り出された。


 そうしているところに、パトカーのサイレンが聞こえてきた。

 すると、ガマ蛙はゲゴっとひと鳴きして姿をスーッと消した。後には白い煙がフワッと出た。


「な、なんだったんだ?」

「さ、さあ」


 警察が来て、健吾と美幸は事情を訊かれた。

 健吾と美幸は、隣の家に巨大な生物が現れて暴れたことを言った。しかし、警察官は信じられないという顔をしていた。

 しかし、状況は二人が言っていることと合うようなので、警察はとりあえず二人の言うことを信じたようだった。

 

 後になって、健吾と美幸が聞いたところによると、岡田の家は中がめちゃくちゃに荒らされて、壁やふすまなども破壊されていたそうだ。

 そして、岡田の爺さんと婆さんの二人は、全身打撲で入院することになった。

 警察はその二人にも病院で話を訊いたようだが、健吾と美幸が言っていることと同じ内容だったようで、結局はうやむやに処理されてらしい。

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