不倫妻と鉄道オタク

「旦那は気づいている様子はないのか?」


「ないわ。鈍感なんだから気づくはずはないし、今日も趣味の鉄道に乗りに行ってるわよ」


「へえ、知らぬが仏というけど、のんきなもんだな。嫁さんが浮気をしてるっていうのに、それに気づかず鉄道か。ハハハ」


 沙耶は結婚して三年になるが、陽介と不倫関係になり一年なろうとしていた。


「陽介って次の柄月曜、誕生日でしょう?」


「ああ、そうだ。ついに三十だよ」


「三十か。私よりも二つ上だもんね」


「でも、お前の旦那よりも若いよ」


「確かにね。うちの人はもう三十五よ」


 二人はデートの帰りだった。今日は海が見たいとクルマで出かけていた。

 これまで、だいたい週に一回のペースで会っているが、旦那の将司はまったく気づいている様子がない。休みの日に出かけると言っても、どこに行くのか訊いてくることはなかった。

 妻に関心がないのか、よほど信用しているのか、沙耶にわからなかったが、おそらくその両方だろうと思っていた。

 なにせ、夫の将司は真面目だけが取り柄のような鉄道オタクで、暇があったら鉄道に乗りに行くし、家でもいつも鉄道の動画を観ているような生活だ。

 休みの日にはちょくちょく一人で鉄道に乗りに行くので、沙耶はこうして陽介と楽しく過ごすことができているのだった。


「このあたりで降ろして。ここからは歩いて帰るから」


「そうだな。さすがに家の前まで送り届けるわけにはいかないよな」


「さすがにね。じゃあ」


 沙耶は陽介のクルマから降りて、しばらく歩いて家に帰った。


「あ、おかえり」


 リビングで鉄道動画を観ていた将司が顔を上げて言った。


「ただいま。もう帰っていたのね」


「まあね。明日は月曜だしあんまり遅くなるとしんどいからさ」


 将司はそう言って、また動画の続きを観だした。沙耶のことをまったく疑っていないようだ。妻が休日にどこかに行っていようがまったく気にもならないのだろう。

 

     ***


 一週間が過ぎた。


「悪いけど、今日もちょっと出かけてくるよ」


 沙耶が起きてリビングに行くと、すでに起きていた将司が言った。


「あら、そうなの。わかったわ。じゃあ、私もちょっと買い物でも行こうかしら」


 沙耶はあくびをしながら言った。

 将司が出かけると、沙耶はすぐに陽介に連絡した。


 旦那が出かけたから今日会えない?


 じゃあ、すぐにいつものところへ迎えに行くから、待ってて。


 陽介とのやり取りはすぐに終わった。

 沙耶はシャワーを浴びて準備をした。そして、いつもの待ち合わせ場所に向かった。すると、そこにはすでに陽介の車が停まっていた。


「お待たせ」


 沙耶は助手席に乗りながら言った。


「たいして待ってないよ。さあ、今日はどこへ行こうか?」


「久しぶりにホテルはどう?」


「フフ、いいね。じゃあ、行こう」


 陽介はクルマを走らせた。


     ***


 その頃、将司はいつも使っているカメラを忘れたので家に戻ってきた。

 家に入ると、沙耶はいなかった。


 もう出かけたのか。


 将司は沙耶がいないことを特に気に留めなかった。ただ、テーブルを見ると、そこに沙耶のスマホが置かれていた。


「あ、あいつスマホを忘れて出かけたな」


 将司は沙耶のスマホを手に取った。しかし、スマホを忘れているので、連絡のしようがない。

 どうしようもないので、将司はまたそれをテーブルに置いて、忘れていたカメラを取りに行こうと思ったが、その時、その沙耶のスマホにラインの着信があった。


 画面に表示されたのは、


 いつもの場所に着いた。


 というものだった。


 その内容に将司は引っかかるものを感じたので、そのラインを開いた。

 沙耶はまったくスマホにロックをかけておらず、あっさり見ることができた。

 将司はそのラインのやり取りをスクロールして確認していった。過去にさかのぼるほどに、動揺が隠せなかった。そこには完全に浮気相手とのやり取りが記録されていた。

 将司のスマホを持つ手は震えていた。

 自分の妻が浮気をしているなんて、将司はこれまで考えたこともなかったし、にわかには信じられなかった。しかし、ラインでのやり取りは、完全に男女のもので、どう考えても浮気をしているとしか思えなかった。

 しかも、将司のことを二人がバカにしているような内容も多々あった。

 将司は出かける気が失せた。


 その日の夕方、沙耶が帰ってきた。


「ただいま」


 沙耶は機嫌の良さそうな声だ。


「おかえり」


 将司はいつもと同じように振舞った。ラインのことはなかったかのようにした。

 将司としては沙耶の浮気を問い詰めて、離婚ということになりたくなかったのだ。


「早かったのね?」


「ああ、ちょっと途中で電車が止まったんで、引き返してきたんだ」


 将司は適当に嘘を言った。


「そう言えば、私、スマホ忘れてたでしょう?」


「ああ、ここにあったよ」


 将司はテーブルのスマホを指さした。

 しかし、それ以上はなにも言わなかった。


     ***


 翌週、また沙耶と陽介は会っていた。

 今日もラブホテルに来ていた。


「旦那はスマホとか勝手に見たりはしないのか?」


「しないわよ。そんな度胸なんてないわ」


「しかし、こっそり見ているかもしれないぞ」


「そんなことしないわよ。先週だって家にスマホ忘れたけど、まったく触れもしてなかったみたいだし」


 沙耶はそう言って笑った。


「情けない旦那だな。ハハハ。それで今日も鉄道のことで出かけてるのか?」


「ええ、そうよ。朝から嬉しそうに出かけて行ったわ。バカみたいにね」


「へえ、ノー天気な奴だな。自分の嫁さんが別の男と裸でこんなことしてるっていうのにな」


「ところで、私あの旦那と別れようかと思うの」


「離婚? そうか。まあ、それもいいじゃないか」


「もう、うんざりなの。確かに真面目で浮気もしないし、優しくていい人なんだけど、とにかく一緒にいてつまらないのよ。結婚する相手を間違えたわ」


「真面目だけが取り柄って奴か」


「そうよ。初めはそれがいいって思って結婚したけど、やっぱり陽介のような破天荒な男の方が私には合ってるわ」


 そう言って、沙耶は陽介にキスをした。


     ***


 将司は沙耶には出かけるように言っておいたが、実は陰から沙耶のことを尾行していた。

 浮気を許せないという気持ちもあったが、真実を知りたかった。

 相手がどんな男なのかも知りたかったし、実際にこの前で現場を確かめたい気分だったのだ。

 そして、将司としては、本当に沙耶が自分よりもその男の方が好きなら、別れてもいいと思っていた。その方が沙耶にとっても幸せだろうと。

 将司がつけているのも知らず、沙耶は男の車に乗り込んだ。男の顔はまったく将司に見覚えのないものだった。

 将司は急いでタクシーをつかまえて後を追った。すると、男と沙耶の乗ったクルマはラブホテルに入って行った。

 その時点で将司は覚悟を決めた。

 今晩、離婚の話をしてきれいに別れようと思った。本心としては別れたくないが、その方が沙耶のためだと思ったのだ。


 将司は二人が出てくるのを待った。どうして待ったのか自分でもわからなかった。ただ、なんとなく見届けたい気分になったのかもしれない。

 三時間ほどして、男の運転するクルマがラブホテルの駐車場から出てきた。

 将司はその車を物陰から見ていた。

 クルマには男と沙耶が乗っていた。


「短い結婚生活だったけど、楽しかったよ」

 

 将司はぼそりとつぶやいた。

 その時だった。二人のクルマが速度を上げた走り出した前に、突然、巨大なガマ蛙が現れた。どこから出てきたのか、本当に突然だった。

 将司は一瞬、軽自動車が飛び出したのかと思ったが、どう見てもガマ蛙である。

 そして、そのガマ蛙の横っ腹に、二人の乗ったクルマが勢いよく突っ込んだ。突然すぎてまったくブレーキは踏めなかったようだ。

 ドーンと大きな音とともに、クルマはガマ蛙の腹に跳ね返り、横転して火を噴いた。

 ガマ蛙の方は、まったくなんともないようで、ゲボッとひと鳴きした。

 そして、そのままスーッと消えていなくなった。後には白い煙が残った。

 将司は目の前で起こったことが理解できなかった。ただ、呆然と見ているだけだった。

 周りにも人がいたが、その人たちも同じようにしばらく呆然としていた。そして、気が付くと救急車やパトカーが来た。

 将司はそれを見てすぐに立ち去った。


 後日、将司のところに妻の沙耶が交通事故で亡くなったと警察から連絡があった。

 遺体を引き取りに来て欲しいということだった。

 将司が警察に行くと、事故の状況を説明された。

 それによると、沙耶の乗っていたクルマは自損事故で横転し、そのはずみで引火したということになっていた。

 同乗していた男のことについても話があったが、破損が激しくてどこの誰だか特定できないということだった。

 ラブホテルに続く道で、他の男と同乗していたということで、警察は事情をくみ取

って将司に同情的であった。

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