記憶を揺さぶる「それ」の語り

「わたし」とはなんだろうか。
記録であり、記憶であるといえば、極論過ぎるだろうか。

そして、「記録」のほうは、なにか必要がないかぎりは参照しない。
相続でもなければ自分の戸籍謄本など取り寄せないし(そして思っているよりも高い頻度で、自分のしらない兄弟姉妹の存在を発見したりする)なにか思い立つことでもなければ卒業アルバムだって見返さない。

となれば、「わたし」を構成するものは、「記憶」であると言っても差し支えないだろう。
わたしに親族や友人がいるとして、その親族や友人が、昨日とおなじ人物である、もしくは、昨日も存在していたという保証は、わたしの記憶のなかにある。

作中登場の怪異は、主人公に対し「害さない」と宣言している。
ただ語るだけだと。
にもかかわらず、この不安と不穏はなんだろうか。
魂に注がれるこの毒の名は、なんだろうか。

怪異は「兄」「父」「叔父」「先輩」となって主人公の記憶を揺さぶってゆく。
そして最後に選べと。
なおかつ、あまり近づきすぎるなとも言う。それはつまり、怪異は「主人公」そのものには成りたくないのだ。

主人公は怪異の語りの果てに、なにを選ぶのか。
記憶を揺さぶられ、魂に注がれた忍びやかな毒でもって、主人公は「主体的に」それを選ぶ。
怪異は主人公を害さない。最初に保証したとおり。

しかしこの目眩がするほどの淫靡さ、足元が揺らぐような不安はどうだろう……

極上の怪異譚である。

その他のおすすめレビュー

宮田秩早さんの他のおすすめレビュー297