第1章 第4話【試し読み最終話】

 天気の神様が野球部員に休息を与えた日だった。台風の影響で練習試合が中止となり、隣接する旧校舎の体育館でトレーニングを終えると、午後はオフとなった。午前の練習後のミーティングにて午後からオフだと聞くと、選手たちはミーティング中にも関わらず笑顔を隠すことが出来ずにいた。しかも、天気予報が外れ、午後は雲ひとつない晴天となり、選手たちは一目散に街へと出掛けて行った。宮前もレギュラーメンバーたちと遊びに行ったので、寮では榎田だけが取り残されてしまった。

 特にすることもなかった榎田は小説を読んでから室内練習場で自主練をすることにした。読みかけていた小説を読み終え、ジャージに着替えると午後三時を回っていた。

 倉庫からボールケースを取り出し、室内練習場に運んでいる最中、エプロン姿の海色が三塁側に広がる松林を歩いているのが見えた。しばらく見ていると、みいちゃんは高く聳える松の木の前で立ち止まり、胸元から何かを取り出した。それから、その場に屈んで拝むように手を合わせた。榎田はもっと近くで様子を見ようと海色に近づくことにした。

 十秒、二十秒、三十秒……と長く手を合わせる海色に引き寄せられるように榎田は後ろから海色に近づく。海色は近づく榎田に気づかず、ただただ松の木に正体して両手を合わせて祈っている。

 誰かがそこで死んだかのようだと榎田は思った。

 海色と榎田の距離が十メートルほどになったとき、海色は立ち上がって後ろを振り返ると、榎田がいたことに驚いて目を丸めた。

「みいちゃんごめんなさい。そこで何していていたんですか?」

 榎田は海色が屈んでいた松の木を指差す。

 海色は下唇を噛み、しばらく目を伏せてから答えた。

「……実はね、だいぶ昔のことだけど、海で溺れて亡くなった同級生がいたの。今日が命日だから、たまには会ってあげようかと思ってね」

 そのとき、榎田は宮前から聞いた幽霊の話を思い出した。

「もしかして、それって野球部の人とかですか?」

「うん。野球部だったね」

 本来なら、友人が亡くなってしまったことについては、あまり聞かない方が良いのかもしれないと榎田は思ったが、それを上回る好奇心が榎田の中にあった。

「過去に野球部員が海で溺れたって聞いたことがあるんです。でも、色んな噂があって本当の原因ってよく分からなくって。何かみいちゃんは知ってますか?」

 海色は手に持っていたお守りのような袋を両手で握りしめ、「分からないわ。私も、本当のことは見ていないから分からないの」と声を震わせた。

 今にも泣き出しそうにしている海色に、榎田は何と声を掛けたら良いのか分からず、二人の間に沈黙が流れる。

「ごめんなさいね。何も分からなくて」

「い、いえ。こっちこそごめんなさい。多分、思い出したくない思い出だったですよね」

「ちょっと違う。あの人のことを思い出すためにあの場所に行ったの」

「そう……なんですね。それほど大切なお友達だったんですね」

「……うん。大切な友達だった。榎田くんも、お友達を大切にね」

 そう言ってみいちゃんはお守りをシャツの中にしまい、榎田の横を通り過ぎて行った。


 グラウンドから食堂に着いた海色は感情を抑えきれず、異変に気づいた千代に抱かれて咽び泣いた。

「ど、どうしたの? ……そうか。そうだったね。今日はあの日か」

「……うん」

 千代は海色から一歩下がり、手を両肩に置いた。

「私も後で行くよ。それにしても、どうして今年は泣いちゃってるのよ」

「今年はちょっと思い出すことが多くて。結局、大事な友達で終わっちゃたんだなって後悔したり」

「大丈夫。きっと想いは届いているはずよ」

「やっぱり、あのときに言っておけば良かったんだ」

「海色。それは言わないって約束したじゃない」

 千代が海色の前髪にあったヘアピンを付け直す。

「これがあれば、いつでも一緒でしょ? ほら、仕事よ仕事!」

「……うん。頑張る」

 そしてまたいつも通りに二人は厨房で野球部員たちの食事を作り始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

海色の声援【試し読み版】 逢坂海荷 @Umikachan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ