第22話 常盤美陽を嫌う者達

「――お久しぶりですね,常盤ときわさん」

たちばなさん……」


 赤松あかまつ先輩と言い争っていた女の子――京都六家たちばなである橘美夜子たちばなみやこはゆっくりとこちらへ歩いてくると僕達の前で立ち止まった。


「ちょっと,たちばな!あなたに聞きたいことがあったのよ!結衣ゆいのことを知っていながらバスケ部の連中を試合に出させてたのはどういうつもりよ?」

「そうですね。敢えて言うなら――他の1年生は見捨てているのに自分の御友人だけ守ろうとする常盤ときわさんへの牽制……」

「っ!?」

「というのは,あくまで表立っての理由ですね」


 彼女の言葉に頭にきた青葉あおばさんは突っ掛かろうとしたが結衣ゆいちゃんに止められた。


「はっきりと申し上げるならそちらが負けた所で赤松あかまつ先輩が四之宮しのみやさんを手に入れることは不可能だからです」

「「不可能?」」

「ええ。赤松あかまつ製薬は赤松あかまつ先輩の御蔭で成り上がった大企業。いくら大企業とはいえ周りの信頼も薄ければ,妬まれてもいる。常盤ときわさんの御父上みたいな異端児でもない限り財界の皇帝と言われている白星しらほし総帥に歯向かえば一巻の終わりです」


 彼女の言っていることはまさにその通りである。


 既に結衣ゆいちゃんは白星しらほし財閥で内々に聖人まさと会長との婚約が進められているのだ。


 しかも,結衣ゆいちゃんは白星しらほし総帥のお気に入り――そんな彼女に手を出したなら白星しらほし総帥が黙っているはずがないのだ。


「だからこそ,お願いがあって来ました。常盤ときわさん達ではなく星稜学園の皆様に」

「……僕達に?」


 トミー達と顔を見合わせていると彼女は僕達に頭を下げた。


「この試合,棄権して頂くか負けてはもらえないでしょうか?」

「えっ?」

「……たちばなさん,それはどういうことかしら?」


 流石の常盤ときわさんも彼女の言っていることが納得いかないようであった。


赤松あかまつ先輩と交わされた誓約書が破棄されたからです――正確には誓約書が改竄させられていたというべきでしょうか……」

「改竄!?それってどういうこと!?」

「そのままの意味ですよ。あの人に預けておいた誓約書が何故か書き換えられていたんです。赤松あかまつ先輩は全く知らなかったみたいですけどね」


 彼女は呆れた顔で肩をすくめた。


 話を聞くと赤松あかまつ先輩の取り巻きの一人が誓約書を破棄すると言い出したのだ。


 無論,そのことにバスケ部の皆は反論――彼等から事情を聞いたたちばなさんは赤松あかまつ先輩に抗議をしたのだが,彼に預けていた誓約書が書き換えられており,誠央学園側が負ければ一切の援助をしないと書かれていたらしい。


赤松あかまつ先輩に取っては好都合でしたでしょうね。自分の知らない所でそのようなことになっていたのに事態が好転したのですから」

「何よそれ……」


 常盤ときわさんだけでなく青葉あおばさんや結衣ゆいちゃんも眉をひそめた。


 あまりにもやることが横暴すぎるからだ。


「だからこそ,星稜学園の方々にはこの試合に負けて頂きたいのです。今回の一件でバスケ部の彼等は救われる。どうか,お願いします」

「…………」


 もう一度,頭を下げられた彼女にトミーと織斑おりむら君は顔を見合わせて悩み出した。


 彼女の言う通り,この試合にこちらが負けても結衣ゆいちゃんが赤松あかまつ先輩に奪われなくなったのは確実だろう。

 

 審判席にいる聖人まさと会長を見ても特に問題なさそうな表情をしていた。


 ――だが,それはあくまでも結衣ゆいちゃんだけの話だけなのだ。


たちばなさん,少しよろしいですか?」


 先程から話をずっと聞いていた義妹が重い口を開いた。


「あなたは……神条悠姫かみじょうゆうひさん,だったでしょうか?」

「ええ。はじめましてですね。たしかに,こちらが負けてもお姉様が赤松あかまつ先輩に奪われることは無くなったでしょう。ですが,兄さんの方はどうなるんですか?」


 僕の方――義妹が言いたいのは翔琉かけるとの勝負のことを言っているのだ。


 この試合の前に翔琉かけるは僕と常盤ときわさんとの恋人の件を賭けて来たのだ。


 そして,僕が負けた場合,常盤ときわさんとの関係に手を引いてもらうと言ったのだ。


常盤ときわさんとの恋人解消ですか。残念ながら私は解消してもいいと思っています」

「なっ!?」

たちばなさん!?それって酷くない!?」


 先程まで青葉あおばさんを抑えていた結衣ゆいちゃんが今度は反論をしてきた。


 だが,彼女はそんなことも気にせず淡々と話し出した。


「言いたくありませんが,皆さんも先程の光景を見ませんでしたか?常盤ときわさんと関係を持っただけで今の1年生はあんな状況になるんです。」

「あなたねぇ,誰が原因でそうなっていると――」

あおいさん,少しお静かにお願いできますか?」

「……悠姫ゆうひ?」


 怒鳴ろうとした青葉あおばさんを義妹は落ち着かせた。


たちばなさん,あなたは兄さんの意思を確認してからその言葉を言ったのですか?」

「意思?」

「そうです。今の発言はたちばなさん自身が思ったことですよね?兄さんは別に常盤ときわさんと付き合うことに問題はしておりませんよ?それとも――兄さんの言葉など聞く耳も持たず,自分の主張を優先すると?」


 いつもよりも強い口調で喋る義妹――これは,非常にまずい……。


「なぁ,遙人はると。もしかして,ユフィちゃん怒ってる?」

「うん。彼女,義妹の一番触れてはいけない逆鱗に触れてしまったかも」


 ――兄さんの言葉など聞く耳を持たない……。


 幼い時,僕を虐めていた男の子達や女の子達を義妹は許さなかった。


 だが,それ以上に義妹が許さなかった存在――僕が虐められていることを知っていながら見て見ぬ振りをして僕の助けに耳を傾けず,挙句の果てに虐めていた子達の主張を信じていた学校の先生達であった。


 僕を虐めていた女の子達をまとめていた子は所謂権力者の家系,大人の事情で逆らうことが出来なかったのは仕方がないことだろう。


 しかし,先生達はあろうことか虐めを黙認しているだけではなく虐めをしていた子達の主張を優先して僕を更に追い詰めていたのだ。


「(彼女の父親が捕まった後は大変だったからなぁ。僕を擁護してくれていた先生から聞いた話だと教頭先生を含めて半数以上が辞めさせられる事態になったから)」


 余談ではあるが,この件に普段怒ることが滅多にない温厚の父が動いて二度目の教育委員会の調査が入るなどそれはもうとんでもない状況になったという。


 ――以来,義妹は僕の意思を無視して主張を押し付けて来る人が大嫌いなのだ。


 そして,そんな下らない世界を壊す権力者達から僕を守るためのを作るきっかけにもなったのだ。


神条かみじょうさん,落ち着いてくだ――」

「落ち着いていますよ?それよりも,そちらはまずやることがあるのでは?」


 会場にいる学生達を義妹は見渡して微笑んだ。


「試合が開始される前,何人の誠央学園の学生達が兄さんを誹謗中傷しましたか?」「っ!?それは……」

「正解は男子76名,女子68名,しかも全員が1年生です。ただ,これは会場に入れる人数が決められているのと,兄さんが羨ましい,最初から常盤ときわさんと仲が悪い方達も含まれますので全員がたちばなさんの関係者とは言えませんね」


 たちばなさんは何も言い返すことが出来なかった――いや,それよりも驚きの方が勝ってしまったのだろう。


 常盤ときわさん達を見ると同じように唖然とした顔で義妹の方を同じように見ていた。


「それからですね。たちばなさんは気付いていらっしゃるのでしょうか?どうして,翔琉かけるさんが今回の試合に出ているかを。不思議に思わなかったのでしょうか?のに翔琉かけるさんが交代で入ったことを」

「「えっ!?」」

たちばなさんはまず,周りに援助をお願いする前に自分の子達の内情を把握するかまとめるべきだと思います。じゃないと,遠からず彼等は暴徒化しますよ」

「っ!?」

「他にもまだまだ言いたいことはありますが,特に最優先で言いたいこ――」

「ユフィ,その辺にしておきなさい」


 義妹の頭をポンポンと軽く叩くと若干不貞腐れた顔で睨まれてしまい苦笑した。


「――たちばなさん,悪いんだけどこっちにも事情があってね。負けるわけには行かないんだよ。ごめんね」

「……いえ,神条かみじょうさんの言うことも一理あります。誹謗中傷をしておきながら謝りもせずにお願いをするのはこちらの都合を一方的に押しつけているだけですね。」


 次の休憩までに彼等に謝るように説得すると言い残して早々に彼女は誠央学園側の休憩席まで戻って行った。


「……ユフィちゃん,凄いわね。たちばなさんを引かせるなんて」

「そうでしょうか?話して見て分ったんですが,あの人自身は真面目なだけで特に問題があるわけではなさそうでしたよ」

「それでも,凄いと思うよ。ところで,ユフィ。翔琉かける君が向こうに行った理由って何か事情があったの?」

「ええ。ただ,翔琉かけるさんには試合が終わるまで黙っていてほしいと……」


 困った顔で義妹は常盤ときわさん達に説明をしようか迷っていた。


 やっぱり,翔琉かけるも何か事情があって向こうのチームに入ったんだなと思うと安堵すると同時に何故あんな賭けを提案して来たのか少し悩んでしまった。


 そう思っていると赤松あかまつ先輩達も戻って来て休憩時間が終わろうとしていた。


「それじゃ,私達は観客席に戻るわね。結衣ゆい悠姫ゆうひ,行きましょう」

「あ~,待ってよ~」


 青葉あおばさんを追い掛ける結衣ゆいちゃんを見て義妹はクスクスと笑いながらこちらに軽く挨拶すると先に戻って行った。


「……神条かみじょう君」

常盤ときわさん?」


 一人だけ立ち止まって落ち込んだ顔をしていた彼女を見ると先程のことを気にしているのだと思った。


「大丈夫だよ。こっちも負けるつもりはないから」

「……ええ」


 僕がそう言っても一向に元気が出ない――というよりも,こちらが勝っても向こうの援助が無くなることを心配しているのだろう。


「――僕の知り合いの先輩にね,社交部って部活の部長さんがいるんだけど……」

「えっ?」

「その先輩って少し前まで政府にも顔が効く家系の人だったんだよね。あと,多数の企業とも繋がりを持っている人だから」


 僕の言った意味を理解したのか彼女は目を見開いて驚いた顔をした。


 だが,直ぐに嬉しそうにすると僕に頭を下げて青葉あおばさん達を追い掛けて行った。


「よかったの?彼に何も言ってないのにそんなこと言っちゃって」


 先程から黙っていた佐倉さくら先輩が笑いながら尋ねて来た。


「何とかしますよ。おそらく,僕と義妹が頭を下げたらそれくらいのお願いなら聞いてもらえると思いますので――対価が非常に怖いですけど……」

「ふふっ,そうだね。」


 おそらく,そこまで無理難題は押し付けては来ないだろう。


 それにしても,これだけ常盤ときわさんが心を痛めて何とかしようとしているのにどうして彼等は常盤ときわさんの気持ち――!?


「んん?遙人はると,どうした?」

「…………」


 ――何だろう,この違和感……。


 まるで何かに狙われているような,の籠った目線を感じるのは……。


 だが,その目線は僕ではなくある方向に向いていることに気付いた。


 そして,その目線の先には――観客席に戻ろうとしていた常盤ときわさんがいた。


 僕は慌てて殺気のした方を見るとそこにはボールを持った男子生徒が今にも常盤に目掛けて投げようと構えていたのだ。


「まさか!?常盤ときわさん,危ない!!」

「――えっ?」


 彼女が気付いた時には既に遅く,ボールは常盤ときわさんに向かって投げつけられていたのだ。


 ――ほんの一瞬出来事であった。


 当たったボールはそのまま地面を何度もバウンドしながらゆっくりと観客席の方に転がって行き,同時に人が地面に倒れる音が響いた。


「キャアァァァァァァ!?」

「お前,何やっているんだ!?風紀委員,直ぐにそいつを拘束しろ!」

美陽みはる!?美陽みはるは大丈夫なの!?」


 会場は最早試合をする処ではなくパニックとなってしまった。


 だが,そんな状況の中であってもまるで天が味方をしているような更なる好機チャンスが訪れたと赤松あかまつ先輩はただ一人ほくそ笑んでいたのだった。

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