第4話 首都

 エントラムの街は活気に満ち溢れていた。


 街の美しさと豊かさは、異界の人間であるユウトの緊張と不安を優しく和らげ、少年なら誰しもが持つ「冒険心」のような感情をくすぐった。


 ユウトが周囲をざっと見渡したところ、エントラムには様々な施設があるようだった。まず、食料品や雑貨を販売する「商店」が無数に連なり、広範囲に「市場」のようなエリアを形成していた。王立病院から出ると目の前に広がる商店群がそれだった。


 他にも、「宿屋」と思しき宿泊施設、食事を提供する「食堂」のような場所も多く存在しているようだった。また、「酒場」のような場所では、複数の男性達が何かの飲み物を飲みながら騒がしく談笑しており、おそらく街の社交場であるように思えた。


 目線を移すと、何かの工具を製作している「工房」や、薬草のような物体を店先に吊るしている「薬屋」のような場所も見え、ファンタジー世界さながらの様相だった。市場を貫いている大きな通りを、ベルに先導されながらユウトとアリスはついていった。


「どう、ユウト。すごい活気でしょ!」


 銀色に輝くポニーテールを揺らし、ベルは後ろにいるユウトの方を振り返って、自信げに言った。ベルは爽やかに笑った。ユウトはベルの姿に見惚れた。


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 歩きながらアリスが教えてくれた。


 ここは「メオレア王国」という国で、この街はその首都にあたる「エントラム」であること。「エントラム」は、メオレアの言葉で「中心」を表すらしい。メオレア王国の国土はとても広いらしく、アリスは聞きなれない単位を使って丁寧に説明してくれたが、異界の人間のユウトには「それがどれくらいの大きさなのか」は正確には理解できなかった。


 メオレア国内にはいくつもの都市があるが、首都エントラムにはメオレアの人口の3分の1が住んでいるらしく、国で最も栄えている大都市とのことだった。


 メオレア王国は「アグナス大陸」という大陸の真ん中に位置している。アグナス大陸にはメオレア以外にも、プロシウス、アスター、イェンスの3つの国が存在しているが、その中でもメオレアが最も大きく、その領土は大陸の6割を占めているという、まさに巨大国家であった。


 アリスの説明に耳を傾けながら、ユウトは心の中で思った。


(今自分が見ている光景は、紛れもない現実だ。)


 中世ヨーロッパのような美しい光景が、偽りなくただそこに存在している。


 エントラムの街を行き交う大勢の人々を観察する。彼らは、外見は多少違えど、ユウトと同じように日々を生きる、紛れもない「人間」のように見える。


 そして何より、横でユウトのために説明をしてくれるアリスの言葉に、少しの「偽り」も混じっているようには到底思えなかった。でまかせを言って、ユウトを騙そうとしているとは微塵も思えなかった。彼女が話す言葉は「真実」だ。ユウトは、確信のようなものがあった。


 先ほど出会ったばかりであるにも関わらず、ユウトがアリスを信頼できたのは、彼女の振る舞いや、澱みのない澄み切った「目」が、彼女の誠実さを証明しているように思えたからだ。


(本当に別の世界に来ちゃったのか、俺は……)


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 大通りを歩いていると、街の人々もベル達の存在に気づく。道で野菜のような物を売っている、恰幅のいい中年の女性がベルに声をかけた。


「お!ベルちゃん。こんにちは。今日もかわいいね!」


 女性の横で、骨董品のような物を売っている商人姿の男性も声をかけてくる。


「ベルちゃん、この前はありがとうね。憲兵団のみんなにもよろしく伝えておいてくれよ。」


 ベルは、街の人々からとても慕われているようだった。別の住民が、今度はアリスの方に声をかける。


「あ!アリス様、こんにちは。今日もお美しいですね。」


 道端で遊んでいた大勢の子ども達も、アリスに声をかけてくる。


「アリス様、こんにちは!」


「アリスお姉ちゃん、こんにちはー!今度また、一緒に遊ぼうね!」


 アリスもベルと同じように、街の人々から慕われ、信頼されているようだった。まるでアイドルのファンのように、道ゆく人々が彼女達に愛情を持った優しい視線を投げかけている。


 その時、







「アリス様、横にいるお方はどなたですか?」







 アリスに声をかけた街の女性が、ちらりとユウトに視線を移しながら尋ねる。その目には、このあたりでは見かけない顔であるユウトに対する「好奇心」と「警戒心」が半分ずつ宿っていた。


「こちらの方は、転……いえ、異国のお客様でございます!」


 アリスはユウトをちらっと見る。


「国王陛下のご招待で、エントラムの街を視察に来ているのですよ。」


 アリスは「転移者」という言葉は使わず、咄嗟に嘘をついた。


「そうだったのですね!異国のお客人、どうかご無礼をお許しください。ぜひ、エントラムの街を楽しんでいってくださいね。」


 女性がユウトに対し、微笑みながら言った。3人が再び歩き続けると、ベルが訝しげに尋ねた。


「ねえ、アリス、なんで本当のこと言わないの?」


「?」


「メオレア人なら、誰だって子どもの頃から転移者のことは昔話で何回も聞いてるんだから、言っても良さそうなのに。」


 アリスは、サファイアのように大きく美しい目でベルをじっと見つめ、答えた。


「ベル、国王に拝謁する前に、ユウト様が転移者だと先に民に知れ渡ってしまうのは、順番が違うような気がします。」


「あー……まあ、そうね。ソーラさんもびっくりしちゃうか。」


「それに、"昔話に出てくる伝説の転移者様"が、突然1,000年ぶりにエントラムに現れたことが急に噂で回ってきたら、皆も混乱するでしょう。国王から正式に民への周知がされるまでは、ユウト様が転移者であることは伏せておきましょう。」


 ユウトはアリスの意見に納得した。こういったアリスの自分の意見をしっかりと持つ意志の強さが、外見だけではなく、彼女の魅力全体をより引き立てている気がした。


「それもそうね。うん、そうしよっ!」


 ベルもすぐに納得したようだった。ベルのさっぱりとした性格も、ユウトには好感が持てた。


 市場を貫く大通りを抜けると、開けた場所に出た。ここは広場だろうか。石畳が広がり、涼しげな風が吹く開放感のある場所だった。広場の真ん中には大きな噴水が見えた。


 ベルは広場を直進した。彼女が進む先に、3階建ての白塗りの建物が見える。入り口に大きな看板がかかっていて何か文字が書いてあったが、おそらくメオレアの文字であるせいか、ユウトにはそれを読むことができなかった。


「あれは何の建物?」


 ユウトがアリスに尋ねると、横にいるアリスは即座に答えた。


「あれは、メオレア王立憲兵団の庁舎でございますよ、ユウト様。」


 憲兵団。


 アリスの説明によると、首都エントラムの「治安維持」を目的とした組織とのことだった。エントラムは他の都市と比べて犯罪数も少なく、比較的治安は良いが、それでも窃盗や暴行などの犯罪は日々発生しているため、それらの取り締まりを行い、エントラムの住人の安全を確保することが任務だという。


(この世界の警察、みたいなものなのか)


「憲兵団には、王立士官学校を優秀な成績で卒業した一部のメオレア人しか入団できないのです。このエントラムを守る精鋭部隊なのですよ!」


「そうなんだ、凄い人達なんだな。」


 ユウトが言うやいなや、先頭を歩いていたベルが振り返って、言った。


「ふっふっふ、その通りよ!」


 なぜかベルの顔は自信に満ち溢れ、誇るような表情をしていた。そう言えば、病院で会った時にベルは「勤務中」だと言っていた。


「ベルも、憲兵団のメンバーなの?」


 ユウトが尋ねると、アリスはくすっと笑ってベルの代わりに答えた。







「ベルは、憲兵団の団長さんですよ、ユウト様。」







「えっ!」


 ユウトは驚きを隠せなかった。


 自分と年の同じくらいの女性、それも、可憐で凛とした立ち姿をした目の前の銀髪の美しい女性が、「治安維持」などという物騒な任務につく組織に属していること、しかもそこのリーダーであるということは、にわかには信じられなかった。


「19で憲兵団長になったのは、建国史上、ベルだけなのです。」


 ベルの代わりに説明するアリスは、どこか誇らしげで、嬉しそうだった。自分の友人の功績をまるで自分のことのように嬉しく思い、ユウトに伝える様子は、アリスのベルに対する深い友情を表しているようだった。


「へっへーん。凄いでしょ!なんてったって、あたしはですからね。」


 レザージャケットのポケットに手を突っ込みながら、いたずらっぽく微笑み、ベルは答える。ポニーテールが風に靡いて、ふわりと揺れている。


 ユウトは、正直信じることができなかった。この「細身の女性」が、この国で一番強い人間?


 その時。近くで男性の声がした。低く、威圧感のある声だった。









「……お前のようなやつが、メオレア最強だと?寝ぼけているのか?」








 その声を聞くと、ベルは明らかに不快そうな声を漏らした。


「げっ、フォート……」


 声の方を振り返ると、黒い西洋風の鎧のようなものを来た金髪の男性が立っていた。身長はユウトと同じくらいだが、鎧を着ている分、少し高く見えた。男性は、顔つきは端正だが、高圧的な印象を与える鋭い目つきをしており、ユウトはうまく言葉にできないが、彼とは本能的に相容れない感覚を覚えた。


 彼の黒と赤を基調とした重厚な鎧は、彼自身の「攻撃性」を象徴しているようだった。鎧の装甲には幾つもの装飾や複雑な彫り込みが施され、その見た目はまるで「龍の鱗」のように見えた。


 フォートと呼ばれた男性は、ベルに向かって言った。


「士官学校では、俺が"主席"だっただろう。」


「まーたその話か……」


「"次席"のお前が最強とは、何かの冗談かな?」


 ベルは、アリスやユウトにも聞こえるかどうかくらいの小さな声でぼそっと呟いた。


「あーあ、めんどくさいやつと会っちゃったよ。」


 アリスが、さっとベルとフォートの間に入る。アリスはフォートを見て、言った。


「フォート、お久しぶりですね。最近あまり姿を見ませんでしたが、お元気でしたか?」


 対するフォートは、先ほどまでのベルに対する高圧的な態度とは異なり、アリスには極めて恭しい態度を取った。


「アリス様。こんなところでお会いするとは。光栄でございます。」


 フォートは右足を下げ、軽く頭を下げることでお辞儀のような姿勢をした。お辞儀から直ったフォートは言った。


「騎士団の任務で、シルヴァの森まで遠征に行っていたので、何日かエントラムを留守にしておりました。」


 アリスは優しくにこりと微笑み、フォートに答える。


「そうでしたの。変わりないようで何よりですわ。」


「お気遣い頂き、ありがとうございます。アリス様。」


 フォートはその攻撃的な顔に、やや笑みを浮かべながら、そう答えた。そして、すぐにユウトの方を鋭い目つきでじろりと見据えた。


「アリス様、横にいるそちらの者は?」


 彼の目線は、見るものを萎縮させるよう強い力のようなものを秘めていた。また、その低く威圧的な声は、彼がユウトをあまり歓迎していないように思えた。


 アリスはまた微笑み、フォートに答えた。


「こちらは異国からのお客人、ユウト様です!」


 フォートは訝しげにユウトの姿を見据えながら、言った。


「異国……?アスターかイェンスからの客人ですか?」


「えっ?」


「プロシウスとは国交がないので、まあ違うでしょうが。」


 思わぬ問いかけにアリスも困惑した。


「え、えっと……」


 アリスが返答に窮している間、フォートはユウトをじっと見ていた。彼の心の中を見透かすかのように、冷たく鋭い目つきがユウトを射抜いていた。


(こいつ……)


 ユウトは、どうしてかその目線から目を逸らしたくなかった。逸らすことで、彼に敗北したような気持ちになるのは明確だった。彼の目線は、ユウトがこれまで経験してきた、どのような敵意よりも重い何かを孕んでいた。


「まあ、いいでしょう。お客人。僭越ですが、このエントラムにいる間は、くれぐれもアリス様にご迷惑をかけるような言動は慎んだ方が身のためですよ。」


 フォートはそう言うと、3人とは別の方向に歩いていった。


「あー!相変わらずムカつくやつねー!何なの、あの態度。」


「ベル……」


「士官学校で同じクラスだった時から全く変わってないわ。ほんと腹立つ。」


 遠くなったフォートの後ろ姿を見て、レザージャケットのポケットに手を入れたままベルは言った。アリスはユウトを見て、申し訳なさそうに言った。


「ユウト様、フォートの無礼については私から謹んで謝罪いたします。申し訳ございません。」


 アリスは顔を俯かせて言った。


「フォートは口は悪いけど、根は良い人なんです……」


 アリスの美しく形の良い眉が少し落ち込み、彼女の悲しみを表現していた。ユウトはアリスを見て答える。


「いや、なんでアリスが謝るんだよ。俺は気にしてないから大丈夫。」


 気にしていないとは言ったものの、ユウトはフォートの振る舞いのせいでアリスが謝るのが許せなかった。アリスが謝る必要など、どこにもないはずだ。


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 それから、アリスが色々と教えてくれた。


 メオレアの社会階級には、「王族」の下に「士族」という階級がある。士族は政治に参加して国を動かしたり、有事の際に武器を持って戦闘を行う役割を持つという。


 首都エントラムには数百を超える士族が存在し、その頂点に君臨するのが、ウルヌス・デオン・トーラス・クアトーンの4つ。それら4つの士族は、1,000年前にメオレアが建国された際に大きな貢献をしたことから「始まりの4士族」と呼ばれ、名門士族として名を馳せていた。


 そして、先程のフォートは4士族の筆頭"ウルヌス家"の嫡男であり、メオレア王立騎士団の団長を務めているらしい。彼もベルと同じように、最年少で騎士団長を務めていることから、彼が武芸に秀でた優秀な人間であることは、ユウトにもすぐにわかった。


(ベルの苗字も"トーラス"だから、彼女も凄い家の出身なんだな。)


 ユウトは、ベルが名乗った時の「ベル・トーラス」という名前を思い出していた。ベルの凛とした雰囲気、服装はワイルドではあるものの、どことなく気品のある振る舞いが、彼女が"トーラス家"という上流階級の身分の出であることを裏付けていているようだった。


 ユウトは、遠ざかっていくフォートの後ろ姿を見ながら思う。先ほどの彼の貫くような鋭い視線。高圧的な態度。






 それは、ユウトがこの世界に来て初めて感じた「明確な敵意」だった。





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