第10話 普通ではない者の非日常
「勇者様はひとつ、勘違いしてます」
そう言って彼女が小さく頭を振ると、白銀の髪がキラキラと舞う。
「何が勘違いだと言うんですか。あんたらは、あんたらの問題を無関係の俺たちに押し付けてる。これの何が違うと言うんですか」
魔王だの勇者だの、心底くだらない。吐き捨てるように、鼻で笑う。そうしなければ怖くてどうにかなりそうだった。
「父上もお兄様も貴方たちに頼ることは苦渋の決断でして――」
「だから、何だって言うんですか。悩んだから、苦しんだから納得しろと? 嫌ですよ、そんなの。あんたらで勝手に戦ってください」
ああ、これは夢だ。出来の良い、悪夢だ。
ただ過去を思い出しているに過ぎないこの時間。俺はこの先、彼女が言う言葉を知っている。
答えにも、言い訳でもない、ただの決意表明を。
「勇者様たちだけに任せることはしません。わたしが生きてる限り、勇者様たちを死なせません。わたしも、戦います。わたしが守ります」
この決意が無意味なものであることを俺は知っている。
この思いに対する返答が、彼女を傷つけたのだと知っている。
「――自分勝手なくせに、誰かのためだなんて言うのやめろよ」
☆ ☆ ☆
目覚めは最悪の気分だった。
よろよろとリビングに向かう俺の前を、よく見知った顔が横切る。
「……ああ、おはよう」
「げっ」
嫌そうに顔を歪ませたのは妹の星歌。
朝早くではないが、休日の我が家では起床時間にはまだ早い時間。
「なんだ、出かけるのか」
涼しそうな薄手のTシャツにデニムハーフパンツ。黒い帽子を軽く被り、どことなく気合いの入った服装なように見える。
「……ちなみに誰と?」
「は、言う必要ある? 誰でもいいでしょ」
無視されなかっただけ良いとはいえ、本気で鬱陶しそうな顔は心にくる。
「じゃ、もう行くから」
「お、おう。行ってらっしゃい」
バタンと閉められる扉。
昔は素直で俺の後をついてくるような可愛い子だったのだが、最近はどうやら思春期なようで近づくだけで威嚇されるようになった。
「……星歌があそこまで気合を入れてることって、滅多にないよな」
昔は、だなんて思ってしまったがよくよく考えなくても妹は今も可愛い。そんな可愛い妹を悪い男が見逃すはずもない。そう思い出すと、嫌な想像が頭の中を駆け巡る。
妹を心配する兄として、俺に出来ることは――!
☆ ☆ ☆
時刻は10時半頃。
俺はショッピングモールに入っていく妹、そして隣に並ぶ男を眺めていた。
男は妹と同じくらいだろうか。茶色がかった黒髪に、程よく焼けた肌。遠目からもわかるスポーツ少年というやつだ。
「二人きりか……」
複数人の場合、特に何もせず立ち去ろうと考えていたが男と二人きりだと審議が必要だ。
ウンウン唸りながら妹の後を一定の距離を保ちながらついて行っていると、不意に人とぶつかる。
「あ、すみません」
反射的に謝罪の言葉を述べながら、ぶつかってしまった人に向き直る。
「ああいえ、こっちこそごめんなさ――」
俺の顔を見て固まる女。
女は黒いキャップ付きの帽子を深く被り、サングラスにマスクと見るからに怪しい格好だった。だが、それでも俺はそれが誰かわかった。わかってしまった。帽子に入り切らなかったのだろう銀髪の髪を見て――、
「――雲上先輩?」
超常現象部の部長、雲上マリアの姿がそこにはあった。
「へぇ。弟さんがデート、ですか」
「別にデートって決まったわけじゃないわよ。ただ、男女二人きりでショッピングしてるだけで」
「世間ではそれをデートって言うんですよ」
正論を返してあげると、がっくりと項垂れる。
「で、その弟さんはどこにいるんですか? なんか流れのまま俺と行動してますけど」
「それなら大丈夫。ほら、あそこにいる二人組の男子の方が弟なの」
「へぇ、あれ……が……」
「どうかしたの?」
「いえ、なんでも。ただ、あれはデートじゃないのは確かですね。相手が俺の妹なんで」
「え、そうなの? というか、その理論は成り立ってるのかしら……?」
成り立っている。うちの妹にデートはまだ早い。だから今のこれはデートでは無い。完璧すぎるQEDだ。
「とりあえず目的は一緒みたいですね」
「そうね! 一緒に見張っていきましょう!」
ええ……それは嫌だな。だってこの人、めちゃくちゃ不審者っぽいから。お互い頑張りましょう的なことでも言って別れるつもりだったんだが。
どう断ろうか悩んでいると、星歌と雲上弟は雑貨屋に入っていくのが見えた。今は断るのは諦めて、二人を追いかけることを優先するか。
「それにしてもそこはかとなく近すぎじゃないかしら。まったく、妹さんはこういうことに慣れてるのねきっと」
「いえ慣れてませんよ。うちの妹ですから」
「……」
「そういえば男の子の方も女慣れしてる感じでしたね。きっと学校ではおモテになるんでしょうね」
「失礼ね! あれは全然モテないわよ!」
「どっちが失礼なんですか」
互いに嫌味を言い合って睨み合う。そうこうしているうちに用事が終わったのか、雑貨屋から二人がでてきた。
「何か買ったみたいね」
「あれですかね。友達の誕生日プレゼントを選ぶのを手伝ってもらっているとか」
「だとすると、目的は果たしたようだしここで解散するはずよね」
しかし、俺たちの期待を裏切るように二人はその足で上の階の映画館に入っていった。
がくしと膝をつく雲上先輩。彼女の顔には敗北の二文字がありありと浮かんでいた。
「あの、先輩。気持ちは分かるんですが、その格好やめてもらっていいですか。周りの視線が痛いので」
それにしても、まさか本当にデートだったとは。
自分自身、相当ショックを受けていることを自覚する。もしここに一人でいたなら、今の雲上先輩のようになっていたかもしれない。結構な痴態を見てしまっているせいか、冷静になっている頭でそう考える。
「くっ。でも、まだデートだって決まったわけじゃないわ!」
「もうデートでいいでしょう」
呆れ混じりにそんな言葉が喉からすんなりと出てきた。
「ほら、行くわよ。何を見るかは概ね把握してるから」
早く早くと手を振ってくる彼女の後ろ姿を眺めて立ちつくす。
「……? どうしたの、早く行かないと見失うわよ」
「いや、俺はここで帰ります」
頭を振って踵を返す。そんな俺の背中に困惑気味な声が投げられる。
「いいの?」
「ええ。普通に考えて、兄が妹のデートを尾けるなんておかしな話でしょう?」
「デートじゃないわよ」
まだ拘るのか。
でも、言っていることを理解してくれたのか雲上先輩を俺の隣にたたっと駆けて並んだ。
「貴方がいいならいいわ」
「雲上先輩は良いんですか? 俺のことは気にしなくていいんですよ」
「構わないわ」
映画館から離れる道中にカップルらしき二人組とすれ違う。
そう、普通だ。男女が二人で映画館に入るなんて、特に取り立てるほどのことでは無い。であるならば、俺はこれに関して立ち入るべきではない。普通には、もう。
「帰り、何か寄りましょうか」
「はい?」
「お腹空かない? ほら、せっかくモールに来たんだから何か食べて行きましょう」
ああ敵わないなと、そう思った。
その何もかも見透かしたかのような瞳に見つめられるのが居心地が悪くて、俺はぐるりと首をめぐらせる。
「あ」
と、声が漏れた。
見つけたのは、最近見た覚えのある金髪。雲上先輩も気づいたようで、これまで纏っていた空気が少し変わる。
相手も気づいたようで、嫌なものを見つけたかのように顔を歪める。
「久しぶり、チンピラ」
「チンピラじゃねぇって言ってんだろ」
吐き捨てるようにそう言うと、そっと顔を背ける。敵意は無いようだ。今にもどこかに去っていきそうな空気を感じる。……その前に仕掛けるか。
「なあ、お腹空かないか?」
「ああ?」
「ちょうど今からご飯を食べに行こうって話をしてたんだよ。雲上先輩、連れて来てもいいですか?」
「おいちょっと待て。話を勝手に進めんな」
チンピラはそう言って止めてくるが、生憎と会話のバトンは人の話を聞かないことに定評のある雲上先輩に渡ってしまった。
「もちろん! 特別に貴方を招待してあげるわ!!」
そう言って、雲上先輩は胸を張るとふふんと笑みを浮かべるのだった。
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