第2話 前座のダンジョン 山奥ver ①

 俺は今、山に来ている。


 日本の西側、九州地方にある、深い深い山の中だ。なぜここに来たかって?そんなの決まってる。




 俺は山の中でも迷いなく進んでいく。道路もなければ人工物もない、獣道だけが続く道。俺が枝を踏み折る音と鳥の囀りだけが聞こえ、人がいるであろう位置はまだ先だ。時刻は朝だが、山奥のせいか、薄気味悪いくらいに不気味だ。木の間を縫うように生暖かい風が吹く。おそらく天然の温泉だろう。ここは人の手がほとんど加えられておらず、こんな自然がいっぱいになっているんだ。




 しばらくズンズンと進んでいると、洞窟らしきものが見えた。ここに来た目的であるダンジョンだ。


 ダンジョンの入り口は様々で、頑強な扉になっているものもあれば、何の変哲のない木の扉になっているのもある。だがどのダンジョンも共通して、通常、モンスターは地上に上がってくることができない。遺跡となっているようなダンジョンだが、入り口を越すとすぐ階段がある。


 そこを降りれば一階層にあたる場所へ移動することができるのだが、その階層と階段の境目で見えない壁があるかのようにモンスターが出てくることができない。




 それはどのダンジョンも共通していて、例外が起こらなければ変わることがないのだ。




 洞窟前にはそれなりの数の人がいた。


 ダンジョンの検問員、平たく言えば警備員みたいな人達だ。怪しい人物が入らないように見張ったり、例外な状況が起こると知らせてくれる連絡係となってくれるのだ。




 検問員の老人の男が前へ出てきた。




「ダンジョンブレイカー、天沢あまさわ 雄介ゆうすけさんでよろしいですか?」


「あぁ。今回はこのダンジョンを破壊しに来た」




 俺がそう答えると、検問員の男の皺が刻まれた頬が思わず崩れた。破顔した表情のまま、




「ありがとうございます…。長年待ち侘びておりました。近くの街に被害が出てもおかしくないダンジョン、それを壊しに来てくれるなんて…」




 感慨深そうにその男は嘆く。涙をこらえるように目を覆い、しゃがれた声でつぶやいたのだ。


 きっと長い間このダンジョンの前で検問、そして警備を続けていたのだろう。どれだけ待ち続けたことか。特級ダンジョン、他には海外のダンジョン、今までのダンジョンブレイカー達はそちらに手を回さなくてはいけなかったがために、こういう辺境の中でも高難易度なダンジョンを破壊することができていないのだ。




「しかも……あの〈破壊人ブレイカー〉として名を馳せる天沢さんが来てくださるとは…」


「……………その呼び名はやめてくれ」




 俺が少し照れくさそうに言うと、男は薄く、しかし明るく笑った。








 ~~~








「それにしても、〈破壊人ブレイカー〉……か」 




 いつからだろうか、俺がその名を受け継ぎ、そして呼ばれるようになったのは…。最近はダンジョンダンジョン関係者と話すことなんかなかったから、久しぶりにそれを聞いた。(人と話すこと自体も珍しいからな)




 特注で作られた革靴が回廊にカツーンカツーンと大きく響く固い音を鳴らす。今はまだ上層だ。知能らしきものがなく、本能だけで攻撃してくるモンスター達を、手振りの黒い斧で叩き潰していく。大きさは木こりに使う程度の武器だが、これは木製だ。とある海外の特級ダンジョンに存在していた、硬く、濃密度の魔力を纏っていた木だった。


 俺達はそれを、ユグドラシルとも呼んでいた。何度破壊するのに挑戦したことか、……あぁ、そういえばあの人とのの特級ダンジョンもあれだったか。




 最近は濃密で休む暇もないくらいに働いていたから、俺はそれを懐かしく思い出す。




 当時、俺には師匠のような存在がいた。


 とあるダンジョン破壊のスペシャリストの名家の本家の血筋を引き継いでいた俺は、あまりにも制約が多いその家に嫌気が差し、家出したのだ。 


 やれ破壊するダンジョンの報酬を吊り上げるだけ吊り上げろだの、モンスタースタンピードの時は一般人が瀕死になる時まで動くなだの、あまりにもクズな家の制約に俺は本当にイライラしていた。親兄弟は漏れなくクズ。善良な人間なんてこれっぽちもいなかったから、俺はそいつらを反面教師にして育ったのだ。


 何が特別な家だ、何が日本古来の術を持つ家系だ……!お前らはその家に生まれ落ちただけだろが…!先祖の術っていうのを扱えねぇくせして、何偉ぶってんだよ!




 ………んで、家を飛び出した15歳の頃、俺は手当たり次第にダンジョンに潜ることにした。クズな家とはいえ、ダンジョンのスペシャリスト達だったのは事実で、それに俺には人よりも色濃い才能があった。




 結果、いくつかの脆弱なダンジョンを破壊したところで、家の奴らに見つかったんだ。


 俺の活躍を聞いて、俺を連れ戻そうとしに来たんだ。奴らからすれば金のなる木と言ってもよかった当時の俺に、しつこいくらいにつき纏ってきた。三日三晩ホテルまでついてきて、どこに移動しようと尾行してくる。さすがは戦力だけは保持している民間の家だ。


 吐き気がしてくる。




 だが、その時だった。俺はあの人に出会ったのだ。




『貴方、私と一緒に来ない?』




 出会った場所はとある街中、ついてくる家の奴らをいい加減実力行使で追い払おうとしたところ、あの人が俺の前に出てきて手で制した。




 こちらを見る彼女の容姿は女神と見まがうほどに美しく、灰色の髪をポニーテールにして、透き通りこちらを見通してしまうかのような蒼い瞳をしていた。腰には白塗りのリボルバー、反対側には腕の長さ程度のタガーを携えていた。


 その女性は当時世界最高戦力のダンジョンブレイカーの一人だった。名前を柳葉やなぎば 那月なつき、名前まで美しいのかとその時俺は思った。那月さんが身分証とダンジョンブレイカーの証明書を見せると、家の追っ手達は渋々引き下がっていったのだ。




 そして那月さんは俺の方を振り向き、一緒に来ないかと誘ったのだ。




 俺の名前は日本国が所有権を持つダンジョン対策本部や支部の方でも響いているらしく、なんとか天沢家から保護できないかと考えていたらしい。そこで俺が行こうとしていたダンジョンの近くに那月がいたため、一緒に連れて行ってくれないかと日本政府が依頼したそうだ。


 彼女は20歳、その若さでありながらも、最前線のダンジョンで活躍し続けていた。既に日本のいくつものダンジョンを破壊しており、彼女は〈破壊人ブレイカー〉として俺よりも先に名を馳せていたのだ。




 そして俺は彼女についていった。まだ今ほどの実力には遠く及ばなかった俺は、彼女の下で強くなることを決意したんだ。




 そして、時が経ち、那月さんは死んだ。


 あれよあれよと〈破壊人ブレイカー〉の名前を受け継ぎ、それから修羅の如くダンジョンを破壊し続ける日々を送ることになったのだ。




「………ふふっ」




 俺は、懐かしい思い出を軽く笑いながら、階層を進めていく。既に中層を突破しており、下層に到達している。実際は数時間は経っており、モンスターの力も強くなっていっているのだ。




「今日はこの辺にしておくか」




 俺はそうつぶやきながら、下層と中層の境目にある広場の魔法陣に触れる。そして体内魔力を魔法陣に満たせると、俺の体は無重力空間に転移したかのような錯覚を覚えるのも一瞬、気付けばダンジョンの入り口に戻ってきていた。




 あれは転移魔法陣。上層と中層、中層と下層、下層と深層の中継地点に設置されている、人間にしか通ることができない魔法陣だ。あくまでダンジョンは、異世界の魔物達、もとい魔族達に有利に作られているのではなく、人間にだって有利に作られている部分が存在する。それこそが転移魔法陣、その魔法陣に魔力を満たせると、ダンジョン入り口に転移することができる、人間専用のものだ。




 これがあることで、一度行った広場へ、上層と中層にある魔法陣に行きたい中継地点を思い浮かべながら発動させることで、そこに転移することができるようにもなっている。




 要は何階層も降りないといけない人間の救済措置とでも認識しておけばいいんじゃなかろうか、なぜこんなもんがあるのか俺にもようわからん。




 検問員に挨拶を済ませ、俺は空中を蹴り上げながら近くの街まで向かう。




 これもまた魔力技術の一種だ。空を飛ぶモンスターを倒すために開発された、高等技術の一つとして数えられている。仕組みは魔力で【身体強化】を発動させることで、身体能力を大幅に上昇させ、そして大気中に漂う魔力、いわゆる大気魔力を撫でるように踏みつけるのだ。あくまで飛んでいるわけではない。蹴り上げているのだ。




「あぁ、それにしても…」




 綺麗な夕日だ。来たときは朝だったが、何時間もダンジョンにいたので夕方になっている。夕日の朱色に染まった空模様の景色の一部に、豆のように小さく遠くに見える飛行機は、何とも言えない音を立てながら、天高く飛び続けている。


 山に沈み込む夕日を眺めながら、俺は温泉街に着地するのだった。








 ~~~








「これいいな」




 温泉街、それもお土産屋が立ち並ぶ道を勘で歩いていた俺は、その数々の店の一つにも目もくれることをせず、小さなブルーシートを敷いて座る薄汚れた服を着て、髭が伸びきった男が売っているであろうバッチを何の迷いもなく手に取った。


 そのバッチは、両翼の翼にひびが入ったロゴをしていた。




「兄ちゃん、真っ先にそれを選ぶとは、良い目をしているな」




 男は俯いていた顔を上げ、二カッと明るい笑顔をしながら言った。


 様々な技術を持ち、その技術の完成形の一つである彼の変装術には感嘆せざるを得ない。若々しい肌でハーフ顔の碧眼、それに金色の髪をしているはずが、今は髭を携えながら深く顔に皺を刻み、黒い瞳――カラコンであろう――をしており、白髪をふんだんに混じらせた初老の男の姿へと変えてみせている。俺自身も手に取ったバッチを胸元に男が付けていなければ見逃していただろう。そう、魔力の質すら変えている彼独自の魔力技術は、他の追随を許さない程なのである。




 男は胸ポケットから小さな紙を出し、トントンと人差し指でその文字を示す。




「…………………了解。パシリご苦労」


「バーカ」




 ははは、とまた笑う。


 変装をしている癖に素の一面は変えないのか。ほとほと呆れるものである。


 男はいつもよく笑う。それが本当に自分の心の底から笑っているのかはわからないが、それでもテレビなどの記者会見があった時でもこの態度だ。果たしてどこまでを見せてくれているのだろうか、いや、どこからが本当なのだろうか…




 俺は微塵も外にはその気持ちを出さず、背を向ける。これ以上の会話は必要ないし、ありえないことだろうが、監視されている可能性もあるのだ。




「じゃあ緋彩さんとお前のこと待ってるから!」


「本名だすんじゃねぇよ!」




 俺は背中に投げられた爆弾に反応しながら、後ろを振り向かずに小さく笑った。








 ~~~








「はああぁぁぁぁ~~~~~」




 貸し切り状態の涼しい露天風呂で俺は深いため息を吐きながら、体をお湯に沈み込ませた。滑り込むようにして入った割には岩で滑ることはなく、俺を歓迎するかのように透明のお湯が形を変える。




 露天風呂なんて久しぶりだ。以前九州地方まで来たときはもっと関西に近い県であったため、ここの露天風呂自体は初めてだ。お湯は丁度良すぎるくらいに温かく、最近は疲れるようなことすら減ってきていた体を強制的にまで無警戒にさせる。とろけるような、包み込むような温泉に、俺は口までお湯に沈めながら、さっき伝えられた情報を思い出そうとして、頭から振り切った。


 ここでぐらいゆっくりとしたのだ。おそらくこれからは休む暇なくダンジョンに潜り続けることになる。今日は下層まで到達することができ、順調なように見えるかもしれないが、問題は下層の真ん中くらいから深層の階層が残っている。この問題の最大の苦戦点としては、一階層一階層の範囲が広すぎるのだ。遺跡のようになっているダンジョンは、半径が少なくとも5kmを超えている可能性がほとんどだ。


 モンスターの強さは正直屁でもないが、数がいかんせん多すぎる。知能の高いモンスターが数百の数を超えて奇襲してくることもしばしば、人間を超えていないとやっていられない量である。


 だからダンジョンに数か月破壊する期間がかかるのもざらではないのだが、俺は数週間単位で破壊することも可能になってきた。


 今なお成長し続けている魔力と身体能力は留まることを知らないがごとく、俺の実力を上げ続けている。


 魔力技術の新しいものの開発も突飛な発想から思いつくことも多い。このダンジョンもすぐに攻略して見せる。




 それにしても、とつぶやきながら思い出す。




 温泉と言えば一度だけ、那月さんと混浴したことがある。うん、何言ってるんだ、という気持ちもわからなくはないが、温泉で思い出すものはこれ以外存在しないだろう。


 あの時那月さんが俺が温泉に入っているのに侵入してきた際、




 その懐かしい記憶を思い出そうとしたところで、あれがフラッシュバックする。




 鼻から鼻血が出てきながら、素早く桶を前に持ってきて温泉に血が入るのを防いで見せた。




「あぁ、綺麗だったな。というか……えっちだった」




 胸元から太ももの半分まではタオルで隠されていたが、その白く美しい乳白の肌は今でも色濃く思い出せる。タオルを巻いていてもわかりやすすぎるくらいに膨れ上がる胸、大人っぽく艶やかな気分にさせられる足、普段は見れない美しい灰色の長い髪を下ろしている姿、色々オーバーになりすぎて失神しかけたのはいい思い出だ。




 いかんいかん、と独りごちながら、周囲の気配の察知を抜かりなく行い、俺は露天風呂から出ていくのだった。

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