第7章 全日本まであと2か月。 昇、ライバルを猛追せよ!

第7章 猛追 (17歳 10月から11月)


1 「すごーい。90㎏が10回できるようになったわよ」ベンチプレスの補助に入る尚が感心して言った。確かに、ここのところ、急激に挙上重量も回数も伸びている。


「いやー、身体が楽なんだよ。カーボ摂れるから。トレ前とトレ後にご飯一杯ずつ食べられるだけで、もう全然違うな。エネルギーに満ちてる感じ」

「なんか、胸と肩も盛り上がって来たわよ。前橋のときより全然いい」

「うん、胸囲3㎝増えた。体重3㎏増えた分、脂肪ものってるけど、大半は筋肉だろうな。肩は測りようがないけど、確かにサイズアップしている気がする」


 尚に補助に入ってもらう週三回は、ひたすら胸と肩をやっている。各回、胸三種目、肩四種目だ。これ以上はオーバートレーニングになるギリギリのセンだけど、このくらいフォーカスしないと2カ月で弱点克服は難しい。尚の補助もあって成果は着実に上がっている。

 これまで成長したくてもマイナスカロリーで大きくなれなかった分、取り返すように一気に身体が大きくなっている。


「この大胸筋いいわね。触っていい?」って尚が言って、うんとも何とも言ってないのに、勝手に僕の胸をさすり始めた。僕は、グっと力込めてパンプさせる。

「おお、丸い。あと内側のカットがきっぱり出てる。ふふ、これ堪んないわね‥‥‥私が育てたのよね。ふふふ」って言いながら、眼を細めて恍惚となってる。


 典型的なマッチョ好き女子だ。師匠曰く、「いつの世にも一定数いる。理由は分からん」とのことだ。


「ほんとにずいぶんよくなったわよ。川島さんがバレーボールなら、昇はソフトボールくらい?」 恍惚から覚めた尚が、正直な比較対照の結果を開示する。

「え、まだそんな差があるの? せめてハンドボールとかじゃないの?」

「何言ってんの。誉め言葉よ。前橋のときはテニスボールだったわよ」

「そ、そんなに胸ペナペナだったのか。昇、ショック‥‥‥」


「だけど私もね、昇と一緒に胸ばっかりやってたから、大きくなったわよ。昨日測ったら87㎝になってたわ。ふふん」って、得意げに胸を張って鼻から息吐いてる。

「おー、すばらしい。上げ底。天然胸パッド」


 バッチーン! イテー! 余計なこと言っちった。


 ******


2 11月16日(土曜日)


 僕と尚は、西八王子の甲州街道沿いにあるコンビニ前に座って、ブラックの缶コーヒーを飲みながら、プロテインバーをかじっている。


「この銀杏並木。歩いても歩いても眺めが変わらないんで、キツいな」

「かえって細くてウネウネした道の方が変化があって楽しいわね」

「まあ、その分歩道が狭くて歩きにくいけどな」


「そういえば、さっき思ったんだけど、昇、少し背伸びた?」

「うん、176㎝超えて7に近づいてる。なんか伸び方って濃淡があるのな。180いくかも知れない。これ以上伸びるとボディビルには向かなくなるけど」

「私もそろそろ172よ」

「一緒に伸びててよかったよ。抜かれたら大変だ」


 ―― 話は前日に遡る。


「師匠。絞り切れません‥‥‥。どうしても脇腹の脂肪が落ち切らないんですけど、どうすればいいでしょう?」

「お前、10月に食い過ぎたんだよ。秋は汗かかなくなるし、身体も冬に備えて脂肪を蓄えようとするから、今から落とすの大変だぞ」

「えー?」

「どれどれ、脱いで見せてみろ。おお、いい身体。お前、ずいぶんバルクアップしたな。これいいよ。胸がはっきり進歩してる。これキープしたい」


「いや、それより脂肪ですよ。僕からキレをとったら、その辺にいくらもいる平凡な選手ですよー(悲)」

「脇腹の脂肪はな、最後の予備電池だから、身体が最後まで残そうって抵抗するんだよ。それがなくなったらバッタリいって死んじゃうわけだからさ。先に余分な筋肉削ってカロリー産出するのな。その無駄な大胸筋なんか真っ先に狙われるぞ。ペナペナに逆戻りだ。キヒヒ」


「いやーん。なんとかしてくださいよー(泣)」

「そこはな、普通にカーディオ(有酸素性運動)やってるだけじゃ落ちきらないぞ。身体をビックリさせないと。『な、なんてことするんですかー?』とか、『こりゃもう虎の子の脂肪使わないとダメー』って思わせないとな。一種、こう、狂気じみたことが必要だ」


「どうすりゃいいんですかーっ?」

「ふっふっ。奥の手がある。俺が昔よくやった、『高尾山ウォーク』だ!」

「え、高尾山に上るんですか? たかだか一時間くらいですけど‥‥‥」

「違ーう! 高尾山まで歩いて、帰ってくるんだ。ひたすら甲州街道歩くんだよ」

「なんですって。府中から高尾山まで30㎞くらいありますよ?」

「いや、そんなにない。23㎞だ。片道五時間で行ける。帰りはできるとこまででいい。早朝に出ないと暑くて大変だぞ」


「そんなんで脂肪落ちるんですか?」

「落ちる。俺は前に霞が関から立川まで37㎞歩いたことがある。朝6時に出て午後1時半に着いたんだが、脂肪が600g落ちた。600gって牛乳パック半本以上あるわけで、それが脇腹から落ちたらエライことだぞ。実際は全身から均等に落ちるんだけどさ」


 そしたら、横でそれを聞いていた尚が、僕の肩に手を置き、


「‥‥‥昇、明日やるわよ」ってキッパリと通告してきた。

「ひー、やっぱりー!」

「朝5時に迎えに行くわ」

「師匠。お、鬼コーチが‥‥‥」


「ふふ、鬼嫁だろ」


 ******


 以上の次第で朝5時に府中を出、時速5㎞で甲州街道を西に向かい、『連続歩行45分を過ぎた最初のコンビニで休憩する』ってルールでウォーキングを開始した。  


 尚は、トレ時とちがって、大きめの白いヨットパーカーに、ベージュの膝上ショートパンツ。ピンクのスニーカーにくるぶしまでのソックス。グレーのキャップに穴から出したポニテ。リボンもピンク。ちょっとボーイッシュで、とっても可憐だ。


 涼しいし、ウォーキングだから、そんなに疲れず、国立(くにたち)、日野と、快調なペースで来たが、八王子に入ったあたりで、やや疲労の色が濃くなってきた。なんだかんだ言って、こんなことに付き合ってくれる尚には、本当に感謝だ。

 西八王子を過ぎたあたりからは、風がさらに涼しくなって、緑が多くなってきた。ああ気持ちいいな。山に向かってるんだ。


 もう一度コンビニで休憩し、イートインで缶コーヒーを飲みながら、チョコ味のプロテインバーを半分こする。あー、ウメー、染みるー、天国の食べ物みたい。


 さあ、いよいよラストスパート。高尾駅を過ぎて、上り坂をハイペースで上って、高尾山口駅へ。あと少し、見えてきた、もう大丈夫、あと500メートル、頑張れ!


 あー、着いたー、着いたぞー! って二人でハイタッチ。目の前では何ていう川なんだろう、清流が涼し気にサラサラ流れている。気持ちいいな。

 駅から続々とハイカーが出てきて高尾山に登っていく。ハイカーのスタートが僕らのゴールなんだな。と、しみじみ気分を出していたら、


「さ、戻るわよ」って、マジか?


「あのー、今、なんか『今日はここまで』、みたいな雰囲気じゃなかった?」

「なに甘いこと言ってんのよ。あんたの脇腹の脂肪、今日で全部おさらばするのよ!」

「あー、うー」

「できるとこまででいいわよ。まだ行けるでしょ?」

「あー、もう、やったらぁー! 行くぞ!」


 そうして、山頂を目指すハイカーたちと全く逆行して、猛スピードで男女が山から下って行ったのだった。


 土産物街を抜け、高尾駅から右に曲がって北野街道に入り、ジャノメミシンの前を過ぎて、コンビニないんで、潰れたガソリンスタンド跡で休憩。再出発して、狭間駅を過ぎ、めじろ台駅も過ぎ、山田駅までたどり着いたところで、

 「尚さん。もうダメです。いや、まだ5㎞くらいはいけそうな気がするけど、これ以上やると、週明け、肝心のトレが出来ないような気がします。撤退する勇気は大事です。ここまでにしましょう」と丁寧に提案した。


「まあ、そうね。あんたもずいぶん頑張ったしね。過ぎたるはなんとやらね。山田駅から電車乗って帰ろう」

「おお、ありがとうございます。まあ、実際よくやったよ。30㎞くらいか。こんな距離初めて歩いた」 もう、脚が棒みたい。脚トレしばらく控えよう。

「せっかくだから腹筋見せてよ。どのくらい落ちたのかしらね」って尚が言うので、Tシャツ脱いでみたら、

「すっごっ、なにこれ? シックスパックだけじゃなくて、腹斜筋もバキバキよ。うわー、すごーい。洗濯板みたい」 尚が感動しながら、腹斜筋の溝を四本の指でなぞる。 


 おー、確かに今朝までの緩さは一掃されていて、キレは前橋大会と同等に戻っている。バルクははっきり進歩しているから、全体としては一段グレードアップした形だ。ありがとう、師匠、と尚。


「尚さん‥‥‥」

「今度は何よ?」

「お腹空きました‥‥‥(哀)」

「何が食べたいの?」

「府中に戻って鳥将軍の親子丼が食べたいです‥‥‥」

「まあ、親子丼ならいいかもね。今さんざん脂肪削ったとこで、食べても糖質補充されるだけだし。その代わり小盛よ」

「お許しが出ましたー! イェー(喜)!」

「あはは。じゃ、いっぺん府中に戻って、ジムでシャワー浴びていこ!」


 谷あいにある山田駅のホームには誰もいなかった。二人でベンチに腰かけて、缶コーヒーを飲む。さすがに二人とも疲れてぐったりしている。


「全日本まで、あと一週間か」

「これだけ仕上がってたら、あとはもうキープで十分でしょ」

「そうだな。それと日焼けと、あと床屋に行かなくちゃ。前橋のときは全然気にしてなかったからな」

「私の通ってる美容師さん紹介するよ。男性客も多いらしいし、腕いいわよ」


「お、それ助かる。頼むよ。あとブローライナーも貸して。俺、眉薄いからさ、日焼けすると眉毛なくなっちゃうんだよ。前橋の時は控室でメイクしてる選手がいてさ、ちょっと抵抗はあるんだけど、やっぱり舞台に立つわけだから、必要なことは全部しようと思って」

「そうか、じゃ、当日の朝貸してあげる。水に強いから、一日もつよ。きっと」

「ありがとな。今日もそうだけど、ほんと頼りにしてるぞ」


 尚は「ふふん。そうよ」って、まんざらでもなさそうに言って、それからコテンって僕の肩に頭をもたげてきた。白のパーカーに栗毛のポニテが可愛いな。


「汗臭いだろ」

「そんなの私も同じよ」


 僕は、尚の肩を抱き寄せて、一応、周りをキョロキョロしてから、そっと顔を近づけた。

 尚も栗色のまつ毛を伏せて待っている。小さな、ピンクの唇が綺麗だな。


 山から下りてくる涼しい風がホームを通り抜ける。


 遠くから、各駅停車が近づいてくる音が聞こえる。




→ 第7章は短かったですね。なので、書下ろしのオマケを一つ付けておきますね。

  ちなみに、高尾山ウォークは実話です。山田駅のホームでぐったりして缶コーヒー飲んだのもいい思い出です。隣に尚みたいな子がいたら、なおよかったんですけどね。本当に脇腹の脂肪は一掃されて、「ウワー、ここまでやると、身体も虎の子の脂肪を使わざるを得ないんだなあ。だけどこれ以上やると電池切れで倒れかねないから、もう帰ろう」と思ったのを覚えています。

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