第5章 第2話
~ 昇と尚が気持ちを確かめ合った翌日、コンテスト初戦当日 ~
4 僕は、次の朝7時に起きた。起きてシャワールームの鏡で体をチェックする。
ああ、大丈夫だ。さらに水分が抜けて、キレキレになってる。カーボのおかげか、筋肉が内側から薄い皮膚を押し出すように膨らんでいる。あ、おしっこまだ出るんだ。身体の水分ってなかなか尽きることないんだな。でも口のなかカラカラ。口ゆすごう。
8時に尚に連絡を入れ、1階のレストランで朝食。
バイキングには、地元上州豚の豚丼、おっきりこみ(要するに「ほうとう」)、名物のソースかつ(ミニ)などなど並び、すごーく魅力的‥‥‥って、ヤメレー、やめちくりーっ! 後ろ髪がグイグイひかれるけれど、二人とも少量のご飯に鮭をふた切れ、それにフルーツ。塩分は身体に水分を溜めるのでお汁もなし。
9時半にホテルを出て、二人で手を繋いでカートを引きながら駅へ向かう。前橋は両毛線で高崎から駅4つ。30分もあれば着く。
電車内には、今日のナイボに出場するのだろう、ジャージ姿でカートを引いた、真っ黒な男女が乗り込んでいる。すごくバルクが大きく見えるけど、師匠が言ってたように、(そう見えるだけだ)と言い聞かせる。
10時半に前橋着。県都なのに案外小さな駅なんだな。
「そんな遠くないんだけど、場所がよく分からないからタクシーで行こう。大荷物だし、二人なら使いであるしな」と言ってタクシー乗り場に並ぶ。
会場のベイシアホールには10分で着いた。1100円だった。
結構大きい会場だな。もう受付が始まっているみたい。
と、そこに、
「いよう。着いたか!」って声がかかった。
「あ、師匠。おはようございます。着いてたんですね」
「あれ? 二人は前泊してたのか。へー」 繋いだ手をじっと見て、師匠が言ってきた。
「いや、ゲソゲソのカラカラで、それどこじゃなかったですよ。まあ、それっぽいことは、ちょっとだけありましたけどね」と僕が笑って答えたら、師匠は、
「はは、まあ、そうだろうな。うらやましい」って、いたずらっぽく笑って返してきた。
尚が僕のシャツをつまんで「もう、バカ‥‥‥」って赤くなってる。かわいい。
******
選手の列に並んで受付を済ませ「27」とプリントされたゼッケンを貰う。水色のプラスチック製で、厚みもあってとてもかっこいい。
11時から会場で選手ミーティング。スタッフがステージ上で本番の動線を説明してくれる。選手の立ち位置に、青と赤のビニールテープが貼ってあるそうだ。
僕は、さっき受け付けで貰ったパンフを見た。
「師匠、今日、ジャッジ(審査員)四人なんですね。あ、カトリーヌさんが入ってるんだ。この人、去年の女子オーバーオール(全階級通じて1位)ですよね」
「ほんとだ。確か日本生れのフランス人だったか。今年は選手じゃなくてジャッジに回ったんだな」
「四人だと、満点取ると400点ですか」
「そうだな、二位票は一人90点だから、ジャッジ全員が入れれば360点だ」
「ジャッジ割れたらどうするんでしょうか。380点で並ぶけど」
「その場合は、390点と380点になる。俺も詳しくは知らないんだけど、たぶん割れたら、審査委員長の票が10点加算されるんだと思う」
「引き分けなら委員長が入れた選手が勝つってことですね」
「たぶんな」
選手ミーティングのあとは、選手控室に移動する。控室はクラスごとに決まっているので、二人とは一旦ここでサヨナラだ。「頑張れよ」「昇もね」みたいなことを言い合って別れる。
******
フレッシャーズ男子の控室は狭かった。テニスコート半分くらいか? 端っこのわずかに空いたスペースに、「こちらよろしいですか?」って聞いて、もぐりこんでレジャーシートを敷く。縄張り争いみたいだ。ギューギューだけど、予選で8割がたお帰りになるので、それまでの辛抱だ。
フレッシャーズはトップバッターなので、もうみんなパンプアップ(筋肉を大きく膨らます準備運動)を始めてる。裸の選手も多い。みんなデカいなー。
あ! いた! あれが24番、川島選手だ。
ああ、ひときわ大きい。胸と肩が丸く盛り上がって、確かにこれは違う。他の選手とはオーラが違う。身長は170㎝ないくらいで、僕より一回り小さいけれど、フォルムは一回り大きい。全体のバランスもいい。師匠を若くした感じ? これが現役最強選手か‥‥‥。
おっと、もう時間がない、すぐ呼び出しかかるはずだ。
僕はカートからトレーニングチューブとプッシュアップバー(腕立て伏せ用のバー)を取り出し、アップを開始する。脚でチューブを踏んで、レバーを持って、腕、肩、背中、脚に刺激を入れていく。蓄えたカーボが反応して、筋肉が膨らんでいく。プッシュアップバーでゆっくり腕立てをして、腹筋も行う。まだ呼び出しがかからない。二周目やろう。暑くなってきたな。僕はTシャツを脱いでサーフパンツ一丁になる。
「!」 誰かが見ている。左肩に視線を感じる。
ああ、彼だ、川島さんだ。こっちをじっと見ている。今日の相手と見定めた?
へー、だいぶ差があるような気もするけどな。川島さんがそう思うならそうなんだろ。ま、今日はお互い頑張ろうぜ。
そこに、「男子フレッシャーズクラスの選手、集合して下さい!」と、スタッフが呼びに来た。
選手が控室から出て、廊下に整列する。左腰につけたゼッケンをスタッフがチェックしていく。45人、全員揃っている。
「それでは会場に入ります。ついて来て下さい!」 さあ、いよいよ、初陣だ。
******
階段を二つ降り、非常扉を二つくぐった。
45人の黒いマッチョマンが並んで歩く姿は壮観だろうな。
ああ、バックヤードについた。ステージではオープニングやってる。賑やかな曲に合わせて、ライトが華やかに躍っている。剛と香津美ちゃんも見てるんだろうな。
僕は27番だから三組目だ。15分後くらい? パンプが冷めちゃいそうだな。って思ったら、やってるやってる。周りの選手が腕立て腹筋やってる。僕も一組目が出たタイミングでやろう。
そこに急に後ろから、
「小田島くん? って言うのかな」と、声がかかった。川島さんだ。
「君、他会場で見たことなかったけど、今回初出場?」と、笑顔で聞いてくる。
「そうです。これが初めてです」
「そうか、とてもそんなふうに見えないけどな。前橋にこんな選手が出てくるとは思ってなかった。すごいキレ。あといいフレームだ。うらやましい」
「ありがとうございます。自分では細くて嫌になっちゃうんですけどね。川島さんみたいなバルクが欲しいです」
「何言ってんだ。今日どっちが勝つか分かんないぞ。まあお互い頑張ろうな」
「こちらこそ、宜しくお願いします」と、僕も笑顔で返した。
だけど、『どっちが勝つか』だって? 相手は僕だけってこと? ふーん、そう思ってるんだ。悪い気はしないな。
場内から、「それではトップバッター 男子フレッシャーズクラス。選手入場です!」のアナウンスが響く。始まったぞ。一組目が出て行った。さあ、パンプアップ始めよう。
******
選手が十人並んで四つの規定ポーズを行ったあと、一人ずつ舞台前方に出てきてフリーポーズを取る。 選手はどんどん続いて出てくるので、審査員が見るのは、最初の正面のポーズだけだろう。
二組目がフリーポーズに入った。もうじきだ。スタッフが「はい、三組目並んでください」って指示を出す。
やがて二組目が退場して行き、スタッフから、「はい、三組目、どうぞ!」と声がかかって、21番の選手を先頭に入場する。
ステージ上は、ライトが落とされていて暗い。だけど僕は笑顔で観客席を見ながら、大きく手を振って入場する。勝負は既に始まってるんだ。
ステージ上のスタッフから「ここ」って立ち位置を指示される。僕は赤いテープの上に立ち、右手を腰にあてて、フロントポーズを取る。腹筋、左肩、笑顔。
ライトが点いた。明るい。熱い。ステージが明るくて、観客席はよく見えない。
正面下の席に四人のジャッジが座ってメモを取っている。僕は笑顔を作って会場を見渡す。さあ始まるぞ。
「それではまいります。フロントポーズ!」と、アナウンスが入る。腹筋、左肩、笑顔。
「サイドポーズ!」 腹筋強調。肩を多めに回してウェストの細さアピール。
「バックポーズ!」 広背筋広げて、ヒップを締める。できたらカーフ出す。
「サイドボーズ!」
「フロントポーズ!」 今度は胸郭広げて、胸と肩を出す。
そこでジャッジから、「イエローカードです!」と、声がかかった。まさか僕か? カード2枚で減点だ。
「25番の選手、右手が腰についていません!」 違った、よかった。
やっぱり集中を維持するの大変なんだ。こんな全身に力入れて、でもずっと笑顔をキープするのはすごく疲れる。
続いて、すぐにフリーポーズが始まる。21番の選手が真ん中まで歩いてきて、ちょっとポーズを取って、舞台の前へ歩く。審査員の前で止まって、お得意のポーズを取る。お辞儀して舞台右手へ、すぐに22番の選手が続く。
26番の選手が出た。僕もそのあとに続く。ステージ中央の青いテープのところで止まってサイドポーズ。お腹凹まして斜めに捻っているから、ウェストはほとんどないみたいに、正面からは正三角形に見えるはずだ。
そのまま舞台正面に出て、青いテープの位置で止まり、目線を左下に向けて、手を顔の前にクロスさせる。大胸筋のストリエーション(筋繊維のキレ)を十分出したところで、目線を右上に移しながら両手を大きく回して上へ、広背筋を強調して2秒静止し、静かに顔を正面に向けてニッコリ、1秒静止。ポーズを解いたら右手を胸の前に置いてお辞儀。そして再びニコっと笑って、舞台右袖に去る。バルクではなく、四肢のバランスとキレをアピールしたポーズ。
大丈夫。うまくいった。残りの二つのポーズはもう適当でいいや、とは言わないけど、淡々とこなして、お辞儀して元の位置に戻る。僕が戻ったあたりで、30番の選手がフリーポーズに入る。
三組目の演技が終わった。一旦舞台袖に退場する。僕は、どこにいるか分からないけれど、会場にいるはずの剛と香津美ちゃんに手を振って、笑顔で退場する。
その後、最終組の演技が終わってから、再び選手全員が舞台に呼ばれる。ピックアップ(予選通過ギリギリの選手を並べて比較すること)だ。これに呼ばれているようでは上位入賞はない。だけどアナウンスで「男子フレッシャーズクラス、ピックアップはございません!」とのことで、「なんだよ」と全員が退場する。
******
予選が終わった。初めてにしては上出来か? 自分ではいい出来だったように思うけど、どうかな?
さっきまではちょっとピリピリしていた選手達が、予選が終わると急に親し気になる。まあ、筋トレ仲間だもんな。マイナー競技だし、共感しあえるんだろう。
僕は川島さんと話しながら一緒に階段を上る。
「ピックアップなかったですね。すんなり10人決まったんだ」
「前橋は人数多いからな。時短の意味もあるんだろう」
「予選通過はいつ発表ですか」
「すぐだよ。もう控室に貼ってあるんじゃないかな」
「そんな早く出るんだ」
「まあ、俺たちは大丈夫だろう」
控室に戻ると、ドアに、「男子フレッシャーズ 予選通過者」の張り紙が出ていた。10人の中に、24番と27番が書いてある。順当に通過したな。本番はここからだ。
そこでスマホが「ニョロロン」って鳴って、ラインが入った。見ると剛からだ。
「よかったぞ。キレがすごい。キレだけなら間違いなく一番だ。相手はただひとり。24番。アレは強いぞ」 やっぱり観客席から見てもそうなんだ。
僕はすぐに、「ありがとう。予選通過した。決勝も頑張るよ。応援頼むぞ」って返事を出し、同文を尚と師匠にも送っておいた。
三人揃って全日本決めたいな。
師匠、尚、頑張って。
→ 今回のエピソードに出てきた、カトリーヌさんも、有名な実在のモデルがいます。この方 は、とても素晴らしい選手でしたが、ボディメイクではなくて、日本に帰化したうえでミス日本の方に行ってしまいました。ご本人も努力され、昨年見事にグランプリを獲ったのですが、とあるトラブル(本人に責があるとはあまり思えない。まあゼロとは言いませんが)で文春砲がぶっ放され、タイトルを返上せざるを得なくなってしまいました。お気の毒ですが、またの浮上をお祈りしております。
このお話しを書いたのは、文春砲の前でしたので、勘弁して貰いましょう。
それではまた。
小田島 匠
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