第12話 大草原の小さな村

 おかしな夢を見た。

 いや、夢なのだろうか……?


 三人の女の子たちが、楽しそうに仲良くおしゃべりをしている。

 年のころは、三人とも10歳くらいだろうか?

 夢だからだろうか、その少女たちの顔は、はっきりと見えない。

 会話の内容も、はっきりとは聞こえてこない。

 しかし、少女たちがお互いに呼び合っている名前だけは、はっきりと聞こえた。

 その名前は、


『シス』


『クリス』


『フィリス』


 だった……。


 ……シス?


 あの忌々しい邪神と同じ名前……

 本人なのか?

 それとも、単に同じ名前なだけで、まったくの別人?


 そんなことを、夢の中で自問していたところで目が覚めた。

 いや、意識が戻ったと言ったほうが、正しいのだろうか……。


 目を開けると、見知らぬ天井が見える。

 木造の質素な造りの家の中、ということが想像できる天井だった。


「ここは……?」


 俺は、周囲を見渡す。


「あ、気が付いた?」


 視界の端に、少女の姿が映った。

 先ほど夢で見た少女たちよりは少し年上といった感じだが、大人になる一歩手前のあどけなさを残した雰囲気の少女だった。


「今、お父さんを呼んでくるから待っててね」


 そう言い残すと少女は、部屋を出ていく。

 そしてしばらく後に、ひとりの壮年の男性を連れて戻ってきた。


 壮年の男性とはいうものの、年齢的には前世の自分より年上ではないか、と思われた。

 しかし、金髪イケメンのナイスガイといった感じで、体もとても30代と思えないくらいに引き締まっていた。

 少なくとも、30代初頭で中年太りに片足突っ込んでいた俺とは大違いだった……。


「近くの川岸で倒れているのを、娘が見つけたんだ。それで、ここまで運んできたのだが、もう大丈夫かい……?」


 どうやら、足を滑らせて峡谷に落下した後、そのまま下流へ流されてしまったようだ。

 そう言えば、川面に叩きつけられたときに、全身の骨という骨が折れた感覚を味わったが、今は痛みを感じない。

 もう治ってしまっているようだが、死から復活するとケガとかも治るのだろうか……?

 いや、考え事よりも、まずお礼をしなければ……。

 それと、ここがどこか気になる……。


「助けていただいたようで……、ありがとうございます。 ……ところで、ここはどこでしょうか……?」


「ああ、ここは辺境にポツンと存在する小さな村で、周りには草原しかないような場所だよ……。 地図にも載っていない名もなき村だけど、俺たちは便宜上『ブッシュドルフ』と呼んでいるがね」


 男性が、答えてくれる。


 その言葉に促されるように、俺は窓の外を見た。

 木の扉を開放しただけのなにもない窓の向こうには、小さな畑がいくつか並んでいて、その脇に平屋の小屋のような家がポツンポツンと何件か建っている。

 確かに片田舎の小さな村、と言った風景がそこには広がっていた。


「俺は、この村の村長というわけではないが、村を取りまとめさせてもらっている『ルーカス』という者だ。こちらは娘の『リーナ』だ。……君は?」


「俺は……、『コウ』といいます……」


「どうしてこんな所に……?」


「えっと、それは……」


 答えに詰まった。


 素性のわからない者を助ければ、普通はその者が何者なのか気にするのは当たり前のことだ。

 助けてよかった者なのかどうか、判断したいことだろう。

 村長ということは否定したが、彼は村のリーダー的なことをしている人のようだ。

 俺の素性も、知っておきたいことだろう。

 そして、村にとって厄介者となる恐れがあれば、その対処をしなければならないはずだ。


 俺はヴァイスベルクの街で、衛兵を殺して逃亡した身……。

 正直にそれを話せば、即座に村を追い出されることは間違いない。

 最悪の場合、衛兵に突き出されることになるかもしれない……。


 しかし、そんなことを考えていた俺に対して、彼が口にした言葉は予想外のものだった。


「まぁ、誰にでも話しにくいことはある。なにもない村だが、落ち着くまでゆっくりしていくといい……」


 彼は、腰を上げる。


「まだ仕事が残っているのでこれで失礼するが、自分の家だと思って、くつろいでいてくれ」


 そう言い残し、彼はまたどこかへ行ってしまった。


「それじゃ、私もお父さんのお手伝いしなくちゃいけないから行くね。帰ってきたら、晩御飯をつくってあげるから、おとなしく寝ていてね」


 栗毛の大きな三つ編みをした女の子……リーナも、彼につづいて家を出て行ってしまった。


 素性の知れない男を家に残したまま行ってしまったが、いいのだろうか……?

 別に変な気を起こそうというつもりはないが、逆にここまで無警戒でよいものなのか?

 盗られて困る物とか、ないのだろうか……?

 そう思いつつも、部屋の中を見渡す。

 質素な造りで、過剰な装飾もない。

 棚には日用品ばかりが並んでいて、余計な物など置いてすらなさそうだった。


 心配するまでもないってことか……。


 俺は起き上がりベッドから降りる。

 それは、木造の台の上に藁を敷き詰め、なにかの動物の毛皮を置いただけの簡素な物だった。

 だが、ここ最近、街の路地裏や下水道で寝ていた俺にとっては、久々に心地よい眠りを味わうことのできた代物であった。


 やることもなく、手持無沙汰で窓の外をずっと眺めていた。

 先ほどもちらっと見たが、小さな畑と家が数件あるだけの、のどかな田園風景が広がる。

 この世界に転生してこれまで、ほとんど気の休まることがなかったが、こののどかな風景に心が癒されるのを感じていた。



 日が暮れるころ、二人が戻ってきた。

 リーナが、手際よく夕食を準備してくれる。

 しばらくして食卓に出されたのは、家に戻ってくるときにルーカスさんが持って帰ってきたカモのような鳥の肉と、畑で採れたジャガイモのような野菜とを煮込んだシチューだった。


「うまい!!」


 シチューをひとくち口にして俺は唸った。

 あの衛兵舎で出されていた雑草スープと比べ、このシチューのコクとまろやかさと言ったら……

 まるで天と地ほどの差だった。


「はははっ、わが娘ながら、大したものだろ?」


 ルーカスさんが、誇らしげに笑う。


 確かに、彼の自慢にもうなずける。

 一流の料理人のつくる料理とまではいかないまでも、そこいらの店でなら十分客に出せるレベルの味ではなかろうか。

 もちろん、今まで食べてきたものが酷かったことや、昨日からなにも食べていなかったため空腹であったこともあるのだが、それらを差し引いても、この食事のうまさは感動的なものだった。


「おかわりいっぱいつくったから、もっと欲しかったら言ってね」


 一心不乱にシチューをかきこむ俺に、リーナもうれしそうだ。

 俺はそんな彼女に勧められるまま、遠慮なしに何杯もおかわりをしてしまった。


 しかし、本当にこんな何者かもわからない男に、ここまでしてくれていいのだろうか……?


 感謝の気持ち以上に、なんだか申し訳ない気がしてくる。


「あの……、助けていただいただけでなく、食事までごちそうになって、申し訳ありません。 ……それでなにか、お礼にお返しできることはないでしょうか?」


「はは、そんなに気にしなくても……」


 そう言いつつ彼は顎に手を当て、しばらくなにかを考える素振りをする。


「……そうだな、この村は見ての通り小さな村で、人があまりいなくて困っているんだ。そこで、君さえよかったら、ずっとここで暮らして、村の仕事に手を貸してもらえないだろうか?」


 思わぬ提案がされる。


「えっ? 俺みたいな素性のわからない者がいると、村にも迷惑がかかるんじゃないですか……?」


「いや、こんな田舎だ。そんなこと、気にする奴すらいないよ。」


 そう言いながら彼は軽く笑うが、こういう田舎だからこそ、外から来た怪しい者に警戒するんじゃないだろうか……?

 そのため、彼らに迷惑をかける前に、お礼だけしたら、さっさとこの村を出ていくつもりで提案をしたのだった。

 しかし、そんな俺の心配も気にすることなく、彼らは俺を歓迎ムードで迎えてくれる。



 こうして、この片田舎の小さな村で、俺のスローライフが始まろうとしていた。

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