5-2

――――……「赤いバンダナの青年?」

「そう! ジュノーなら何か知っているかな、と思って!」

 いつもの大学病院を渡り、日課のようにパソコン弄りに夢中な人間ターゲットの硝子体へ無事入り込む事が出来たフレイは、遊び疲れて熟睡するステラの頭を優しく撫でながら、今一番の疑問を監視で忙しいジュノーに少々申し訳なく思うも、結局我慢できずに問う。

「知らなくはないけれど……、知ってどうするの?」

 予想外にも質問を質問で返される事態に度肝を抜かれたフレイは、何の言葉も出てこない。

「言ったでしょう、分かり合えない間柄は否が応でも存在するの。貴方が今、最も尽力すべきは一時の感情に流されない事。まずは俯瞰力を養う事と心身の調和を身につけなさい」

 ただ純粋な返事を期待した事に託けて、手痛い説教を食らうフレイ。これ以上の詮索は命取りと、しっかり口を閉じた事でフレイにとっての何とも気まずい雰囲気が漂う。

(あら、噂をすれば……)

 ジュノーの監視下から、赤いバンダナの青年の情報が飛び込んで来た。空を巡回中の刺客がビルの去り際、映像を寄越したようだ。マサヤが昆虫を利用して潰した事例も相俟って、最近は安易に刺激を与えないよう立ち回る事を昆虫たちと共有している。そんな中送って来た、たった一枚の映像。既に存在に気付いてか、青年の焦点は完全に昆虫一点に定まっている。

(こうも明確な殺意を注がれると……)

 映像を脳内で何度か繰り返し確認しては、意気消沈のフレイを見る。

 理屈ではジュノーが現場に向かうのが理想的だが、如何せん相手は臨戦態勢に突入している。

 冷静に話をして分かり合える状態でないのは明らかで、フレイの意向が最善、有効と言わんばかりに感情より使命を強く押して来る。そんな半ば強制的な状況で求められる最良の選択。

 ジュノーに失敗は許されず、確かな未来を導き出す方法を脳が執拗に要求してくる。

 一度幸せそうに眠るステラを瞳に映した後、本腰を入れてこの現状をフレイに話した……。



 深夜の空を飛躍して、数ある高層ビルの隙間を跨いだ瞬間、フレイは華麗に紅塗りへ変貌を遂げる。重なる逆光が真紅を漆黒に変えた場所で止まると、とても低い雄叫びを吠えた。

 それはまさにあの青年を揺さぶり挑発する心からの叫び。超音波のように広範囲に響き渡ると、いとも簡単に応じたあのがまがましい殺気。隠せない程の殺意によって、まだ青臭い若者である事を再確信できた事実が実に悲しく、フレイの心を更に複雑に絡ませて締め付ける。

 思案出来たのはたった数十秒。殺意の主はフレイの後頭部に重厚な銃口を突きつけた。

「何故、まだ生きている……?」

 確実な生命線を完全に断ち切られたと言うのに、未だ生存に至るカラクリを真っ先に問い出す青年に、フレイは両手を上げて行動に出る。

「疑問に思うなら好きに撃てばいい」

 フレイの言動は青年の実力を軽視していると判断するには十分で、この侮辱発言が重いトリガーの引く手をより軽快にさせ、酷く残酷なものにした。

《ドォォン!》

 無情な銃声がこだまする。フレイの望むまま、青年は頭部に風穴を開けたのだ。

 フレイに対する激しい怒りに支配されていても、冷静な判断と対処で次々に脊髄を狙い定めると、確実な急所も一つ残らず撃ち抜いて行く。これ以上の致命傷は無いと判断出来るほどの凄惨を極めた状況を確認した後、青年は装弾しながら血塗れで倒れたフレイの様子を窺った。

 フレイが蘇るカラクリを、どうしてもこの目に焼き付けたいのだ。

 フレイは死んだようにしか見えない。しかし大量の血液がコンクリートを広く染める頃、まるで巻き戻されたビデオのように、飛び散った血潮さえもフレイの体内へ順に戻っていく。

 到底あり得ない現象を目の当たりにした青年は、大きな瞳を更に見開き、心底驚いた様子。

 数秒で身体の修繕を終えた紅塗りのフレイは、至って普通に立ち上がり、目前の青年と顔を合わせるのだから。陰り一つない月のように美しい白光は、青年にとっては酷く不気味なものにしか映らず、撹乱する脳を正常に立て直し、機関銃に持ち替え、フレイに向けて乱射させる。

 フレイの身体は血を、肉を、骨を、まるでパーツを嵌め込む作業でも行うように淡々と、しかし確実に回収と回復を施していくと同時に、身体に滞る異物は全て地面に落とした。驚くのは回復を繰り返す度、その回復速度は異常なほど短縮していくのだから、一時の驚きを瞬く間に苛立ちへ変えたこの忌々しい能力は、青年の怒りを苛烈させるには十分過ぎる要素となった。

 フレイの異次元の回復速度に比例して、青年の負の感情は大胆なまでに加速していくばかり。

 無意味な攻撃を止めて、勢いに任せて鼻元の赤いバンダナを下ろすと声を大に叫ぶ。

「おい、アンタ! 銃では気が収まらない! 覚悟しろッ!」

 屈託のない白光が暖かな灯火で引き込まれそうに深くても、それを視界に入れる青年には真意を理解する必要など全くの皆無で、寧ろその態度に強い反発を覚えるだけ。何よりフレイの余裕は青年の感情を逆撫でするだけで、上昇するばかりの憤懣は爆発を回避する事は不可能。

 気迫に満ちた青年の握る拳は、吸い込まれるように紅塗りのフレイの頬にめり込んだ。

 激しく地面に叩きつける勢いだが、青年の拳は地面に吸い付く事を決して許さず、下から抉るような拳で激しく宙に浮くフレイの屈強な身体。丸い白光は強い殴打で大きく歪む。

 大柄の男が地に足を着けられない状況は、青年の怒りを具現化させた象徴でもあるが、反撃の兆しを見せないフレイの強固な意志は、青年を心から受け入れる態勢を粛々と整えている。

 しかし殺気立つ青年にはフレイが何を言おうが、何を行おうが陳腐で小賢しい行為も同然で、ただの火に油でしかない。だが青年の感情を洗いざらい曝け出させたのは事実。

 フレイの覚悟に気付く度、恨む心があまりに虚しく、居た堪れない感情が焦る気持ちに拍車を掛け、容赦ない攻撃は停止不可能となる。青年自身もこの身勝手に揺れ動く心情の波を打ち消すための、フレイと言う存在を絶対に認めたくない強い反感の表れなのだろう。

「やめて!」

 突然の聞き覚えある声で青年は攻撃の手を止め、止めどなく続く衝撃に再び瞳を開いた。

 駆け寄る反感の声の主は、すかさず二人の間に割り込んでフレイの盾となる。

「これ以上フレイに酷い事をしたら私が許さない!」

 ステラだ。奥には黒塗りのジュノーが様子を窺っている。

「ステラ! 危ないから離れるんだ!」

「そんなの無理だよ! フレイが酷い目に合っているのに、黙ってなんかいられないよ!」

 紅塗りのフレイに必死に寄り添うステラ。その仲睦まじい姿は、青年に要らぬ誤解を招く材料そのもの。この光景から一度は拳が開いたものの、再び握り出した拳は先程より多くの血管を浮き出させて、絶望と不満の文字を色濃く表現するように再三殺気を帯びた。

「こいつは、良いのか……」

 ぼそりと呟く青年。それはこの青年が如何にステラを意識しているかを大いに物語るが、当の本人にとって全く身に覚えのない一言は、ただただ困惑を生み出すだけ。

 ゆっくりフレイに近づく青年に、それを阻むステラ。フレイを守るために強がる身体は、全てを呈する事の意味を知ってか、表情が強張るのが見て取れる。傷が癒えるフレイを庇うメリットは、利害得失の天秤が圧倒的尺度でどちらに傾くかなど、幼い子供が見ても分かる話。

 それでも必死に盾突く姿に、複雑な思いが四方八方から飛び交う青年は手も足も出ない。

 一度閉じた瞳を開くと、何かを納得するように深く頷き、深呼吸で気持ちを切り替え、フレイに対する殺気も急速に消える。何事も無かったように離脱する準備を始めたほどなのだから。

「貴方、……クレスよね?」

 頑なに心を開かなかった青年に、ジュノーが呼びかけたクレスという名。安堵するフレイ、驚く青年、そして酷く戸惑うステラ。一度撹乱するステラを見て、肩に手を置いたジュノーに目線を合わせると、青年は涼しい顔をしたまま降参したかのようにコクリと頷く。

「くっ、クレス……って! それよりどうしてジュノーが?」

 ステラを前にしてか、ジュノーに観念してか、素直に正体を認めたクレスに対してステラが疑問を呈す。そんなステラに対して、心からの安堵を得たフレイが事の真相を初めて口にした。

「クレスはね、君と一緒に生まれた《一卵性双生児の片割れ》なんだよ」

 フレイから告げられた衝撃の一言は、ステラの、そしてクレスに更なる驚きを禁じ得ない。

 あろう事か姉弟、しかも双子で生まれてきた事など初耳で、ステラは勿論、それ以上に驚くクレスも目を丸くして、明かされた事実にただ呆然とする以外の表現が出来ない……。

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