第1章⑤

 すっかり日も暮れて闇が訪れた頃、オニたちはいつもの中華料理屋、鶏鳴楼でビールと料理を前にだらだらとしゃべっていた。混雑した店内の奥まった席に通され、すでに何杯か吞んでいるロクは、やや赤くなった顔で不満を垂れている。


「ジキトのやつ、連れねえなあ。『僕はけっこうです~』なんて抜かしやがって。あいつ、オニの癖に未成年とか気にするタイプか?」


「だとしたらだいぶ律儀なヤツだよね。誰も年齢なんて覚えてないし、気にしてるオニもいないけど」


 ギンカも小籠包を頬張りながら賛同する。小籠包から熱々の肉汁が溢れ出し、思わずハフハフと湯気をこぼした。


「ギンカ、おまえ子ども苦手だろ?」


 どきりとギンカの心臓が鳴った。そりゃわかるよ、とロクはけたけた笑ってビールを喉に流し込む。


 意識的に避けていたつもりもないのだが、言われてみればほとんどジキト個人と会話をしていない。地獄であまり子どもと出会う場面もなく、いざ10個以上も離れていそうなオニを目の前にすると何を話せばよいのかわからなかった。だが、あからさまな態度をとってしまったことに後ろめたさを感じているのも事実だ。


「気をつけるよ」


「どうせ長い付き合いになるんだ。ゆっくり打ち解ければいいさ」


 なだめるような口調で言いながら、ロクはビールジョッキをテーブルに置いて好物のカニ玉を掬った。人付き合いが苦手なギンカを、いつも社交的なロクがカバーしてくれていた。そうやって周囲のオニを大事にするのが彼のよいところだ、とギンカは思っていたし、同時に感謝もしていた。


「今日もなかなかキツかったな。あれだったら、まだいつもみたいに罵られていたほうが気が楽だよ」


 ため息混じりに呟いたギンカに、ロクは大きく頷いた。珍しく沈んだような口調だ。


「ほんとだよなあ。あんなしょぼくれた長官見たの初めてだ。何かを変えていくって、残酷だな」


 ギンカは、改革が始まる前のボタンの様子を思い出していた。


 罰は直接的なものから間接的なものへ、与える側の痛みを伴わないものに変化を遂げた。だが、ボタンはそれに疑念を抱き、最後まで反対し続けていた。


 ――罰を与えるオニに痛みがあってこそ、それは罰となる。我々は亡者を罰するだけでなく、彼らの悲鳴や懺悔を受け止め、浄化させるのが使命だ。苦痛の伴わない贖いに、何の意味がある?


 審判庁からの通達を手にしたギンカたちに、吐き捨てたボタンの言葉が頭の中で渦を巻いていた。その意見に賛同できなかったわけではない。だが、審判庁が決めたことには従うしかないのだ。


「納得いかないまま仕事するのも辛いよな。アイツらだって――」


 ロクがそう言いかけた、そのときだった。


 商店街の通りの方で大きな悲鳴が上がった。何事かと思い驚いたふたりが顔を上げると、すぐに物同士がぶつかる鈍い音と耳をつんざくような皿が割れる音が聞こえてきた。


「おいおい、大丈夫か。喧嘩か何かか?」


 眉をひそめながら顔を上げたロクに、ギンカはさあ、と答えつつも、外の様子をちらちらと伺う。


 しばらく静寂が続いたと思うと、突然ひとりのオニが鶏鳴楼の店内へかけ込んで来るのが見えた。悲鳴に近い声をあげながら、恐怖で目を見開いている。


「た、助けてくれ! オニが……オニが!」


 そのオニは店に入ってくるなりそう叫んだ。しかし次の瞬間、低い獣のような唸り声とともに鶏鳴楼のドアが窓枠ごと吹き飛んだ。


 慌てて目線を向けると、ひとりのオニが喚き散らしながら店内に突っ込んでくるのが見えた。入り口近くのテーブルと座席がひっくり返り、割れた食器が散乱している。店内にいた客たちが驚いて声をあげながら散り散りになって逃げ出した。


 店の奥の座席でその様子を見ていたふたりは、少し遅れてはじかれたように立ち上がった。


「おい何だ、あいつ?!」


 つい先ほどまで赤ら顔で愚痴をこぼしていたロクは、一瞬で酔いがさめたようで応戦するための武器をきょろきょろと探している。ギンカもそれを真似て周囲を見回したが、めぼしいものは見当たらない。しかし、ふたりが躊躇っている間も、正気を失ったオニは逃げ惑う客たちに拳と爪で襲い掛かっている。どうやら迷っている暇はないようだ。


「とにかくあいつを止めなきゃ、死人が出る!」


 ギンカはそう言い放つと、誰もいなくなったテーブルに残された使用済みの皿を、オニの後頭部に目掛けて投げつけた。


「こっちだ!」


 衝撃を感じたオニが素早く振り返る。ギンカたちはその隙に店を飛び出し、商店街の路上にそれを誘導した。難しいことは考えていなかったが、どうにかして店の外に出さなくてはと必死に走った。


 しかし、オニは圧倒的なスピードで瞬く間にふたりに追いついた。振り返って間合いを取る暇もない。ギンカはくるりと体を向け、妙に冷静になってオニを凝視した。


 改めて近くで見ると、そのオニは見た目こそ地獄にいる一般的なオニと何ら違いはない。けれどギョロリと見開いた瞳は焦点が合っておらず、顎が外れたように開いている口からは、だらしなく涎が垂れている。言葉が通じるようなまともな状態でないことはすぐに察しがついた。泥酔しているのか、揉め事でもあったのか、こんな状況になった理由は判断がつかないが、このままでは店も客も危ない。


 店の外におびき寄せたものの、ギンカは目の前のオニをどう制止するか決めかねていた。着物を締める黒い帯の内側には護身用の短剣を携えているが、できれば使いたくない。戦いの素人が、刃渡10センチ程度の短剣で斬り掛かったところで致命傷にはならないだろうが、暴動事件に絡んだとなれば処罰の対象にもなり得る。なるべく穏便に――もう手遅れかもしれないが――解決したかった。


 ギンカはオニを引き付けるように、逆方向へ走り出した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る