第1章③
オニたちは庁舎をあとにして、執行庁を目指していた。ギンカたちが仕事や生活をしているこのエリアは広く、徒歩で一周するには1時間ほどかかる。しかし各庁舎の距離はバスで移動するほど離れているわけではなく、こうやって赤黒い大地を15分くらいかけて歩いて移動するのが日常風景だ。
3人の雪駄がじゃりじゃりと音を立てている。ギンカは後ろを振り返り、横目でジキトを見た。そわそわと周囲を見回したり、足元をじっと見つめたり、まだ落ち着かない様子だ。
「ジキト、おまえ歳いくつなんだ?」
気まずい静寂を破ってロクが聞いた。
「……知りません」
仏頂面のままジキトは素っ気なく答えた。どうやら、あまりコミュニケーションを積極的に取るつもりはないようだ。ロクは気にせずに話を続けた。
「まあそうか。じゃあ、今から行く場所のこと、わかるか?」
「……わかりません」
そうだよなあ、とつぶやき、ギンカとロクは苦い顔を見合わせた。新人教育をまったくせず、いきなり現場に丸投げなのは自分たちの頃から変わっていないらしい。新人が来る時期も人数もまったく予測できない現状では、しっかりとした教育体制をつくるのも難しいだろう。だが、地獄のシステムくらいは仕込んでおいてほしいものだ。
「簡単に教えてやるよ、よく聞いとけ」
ギンカの心を読んだようにロクが言った。ジキトは興味なさそうにそっぽを向いていたが、ロクの鋭い眼差しにしぶしぶ顔を上げた。
「おれたちが所属する環境庁は、簡単に言うと地獄の労働環境を管理してる。今は審判庁がやってるダイバーシティ改革っつうやつで、ほかの庁に視察に行くことも多い。審判庁は全部の庁をまとめてるところな」
はい、と小声で返事をしたジキトの目線はふわふわと泳ぐ。
「で、環境庁の下にあるのが、執行庁・案内庁・後援庁の3つだ。執行庁は審判を受けた亡者に罰を与える部署で、案内庁は、地獄にやって来た人を審判を受ける場所まで送り届ける役割がある。3つ目の後援庁は、最近できた新しい部署なんだが、亡者が再審判を受けるまでのサポートをしている」
まあ、こんな感じかな、とロクは説明を締めくくった。話の途中で飽きたのか、ジキトは下を向いたまま「はい」と頷いている。
これくらい頭に入れておけば、とりあえず今日の視察くらいはなんとかなるだろう。集中して聞いていれば、の話だが。ありがと、と小声で感謝を述べると、ロクはにかっと明るく笑った。
そうこうしているうちに、やがて目的地が近づいてきた。
「執行庁」と書かれた看板のある門をくぐると、周囲を覆う異質な雰囲気の中にどっしりと構える、コンクリートに覆われた頑丈そうな建物に気がついた。地の底から唸りのような、叫び声のような重低音が鳴り止まずに響いており、物々しい空気だ。
「ここの長官は厳しくてな。余計なこと言うんじゃないぞ」と、ロクはジキトに念押しをした。
ガラス張りになった重いドアを開けると、正面にある窓口のようなカウンターにオニが立っているのが見えた。首からは執行庁の所属を示す赤い紋章がぶら下がっている。
改革に合わせて建て替えられた庁舎はまだ新しいにおいがして、冷たそうなタイルの床に雪駄の音が反響する。熱気と若干鼻に残る生臭さに包まれた外の景色からは、想像もできない内観だ。
受付を済ませた3人は応接室に通された。ギンカは白いソファに腰掛け、小脇に抱えていた分厚いファイルを開いて前回のメモに簡単に目を通す。確か、長官のボタンと話をしたのは1か月ほど前だ。過去に何回か訪れているが、だいたいの場合不平不満をキツく述べ、言い返す間もなく追い返されているのだった。ごくりと唾を呑み、3人は長官の到着を待った。
5分も待たないうちにコンコンと勢いよくドアが叩かれ、応接室内の空気が張り詰めた。ギンカとロクは弾かれたように立ち上がり、慌ててジキトもそれに続く。
しかしノックに応じるより先にドアが開かれ、廊下にひとりのオニが立っているのが見えた。執行庁の長官は慌てて頭を下げようとした3人に、ついてきな、と冷たい声で言い放った。
長身ですらっとした体型のボタンは、高いヒールの音を響かせながら廊下をスタスタと歩いていく。動きに合わせてドレスのように広がった紺色の着物の裾から形の良い足がちらつき、立派なツノが生えた頭の高い位置で結んだ長髪が美しく揺れていた。
後を追いながら横目でそれをちらちらと見ているロクに気がついたギンカは、肘で彼を軽くつつく。ジキトが鼻で笑ったが、ヒールの足音にかき消されたか、あるいは興味がないのか、ボタンが振り返ることはなかった。
これまでの視察では、ボタンやほかのオニからの聞き取りが主で、内部に案内されたのは庁舎が建て替えられた直後だけだった。今までにない展開に、ファイルを抱えたギンカの手は汗ばんでいた。
「審判庁の指示どおり、今ここで与える罰はほとんどが個室での禁固だ。だが、今日はいちばん新しい執行場を見てもらう」
振り返らずに言ったボタンはそのまましばらく進み、広い廊下で足を止めた。
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