第5話
タイ・バンコク、日本大使館
大使館に着く頃は夕方になり、車は駐車場に辿り着いたのだが、周りの光景を俺は見ることが出来なかった。どうしてかというと直前で天音が
『あー、ごめんここから頭下げてて貰える?お隣がオーストラリア大使館で、英連邦内じゃ南アフリカと組んで一番日本に敵対的なのよねぇ』
と、物騒なことを言い出したからだ。顔を把握されたくないって事だろうけれども、俺のいた日本ならまずそんな事言われないだろう事を言われたら、再び胃が痛くなる
『渡来、戻りました』
『うん。彼が?』
出迎えに初老に差し掛かったぐらいの紳士が出てきて、天音が敬礼し、返礼をした上でこちらを覗き込んでくる。身のこなしが優雅で、天音と同じ白い制服であるから双方ともパリっとしているのはそうだが、動作にそれが出ている。これが聞いていた遠藤大佐か
『衛府英和です。よろしくお願いします』
『大変でしたでしょう。渡来君、いつまでも病院服というのも不便だ、これで適当に近所から見繕ってきたまえ』
と、おもむろに財布を取り出してそのまま天音に渡す。おぉー、随分と羽振りが良いな、というか海軍の軍人らしさみたいな所だろうか。と、暢気に見ていたが、心配そうに天音が一瞥してから出て行ったので気付く。これ人払いされてねぇか?
『とりあえずむさ苦しい所ですが、海軍部の部屋までご同行願います。一階が通常の大使館業務を行う部屋になっておりまして、我々の部屋は三階になります』
『わかりました』
すごく逃げ出したい気持ちを抑えて、一階のエレベーターに乗る。というか、天音との会話でも分らされていたが、大使館の中に海軍部だの陸軍部だのあるのをまざまざと見せつけられると違う世界なんだって思い知らされる
『打撲は響きませんか?イジェクションシートで脱出出来ても身体を壊してしまう人もいますし』
『いえ、多少軋むように痛むくらいでどうにか』
それは幸いでしたねぇ、と穏やかに話す遠藤大佐だが、何とは無しに圧力を感じる。しかしその話が出るという事は飛行機乗り上がりだろうか?いや、早合点は良くない。三階についてからは距離もなく部屋につく。こざっぱりとした部屋にデスクが4つに、応接用の対面式のソファー、書類入れとロッカーのよくあるセットにコーヒーポッド、歴代の武官の写真や、出勤者の札置きまであるからまるでヤーさんの事務所じゃないか。が、第一印象。とても恐い
『ソファーにどうぞ。コーヒーでも入れましょう。どうしても思考を巡らせてしまうでしょうが、安心してください。貴方は見た限り軍人でなさそうと言うのが私の所感です』
『それはまた、なんで・・・』
紙コップに注がれたコーヒーを受け取り、頭を下げてから啜る。喉が乾いて仕方がなかった。それから向かいに座った軍人では無いと言う遠藤大佐に目を向ける
『途中途中、私から目を逸らしていたでしょう?軍人らしさを抜くような演技は出来たとしても、もしかしたら・・・とする様な相手を視界の外に置くような事は重要な任務を受けた者ならしません。私がコーヒーに自白剤でも入れたってわかりようがありませんからね』
『俺が迂闊なのは否定出来ませんが、駐在武官が公館で自白剤を使って尋問というのは、不味くないですか?』
それって言うまでもなく違法行為だよな。前イスラエルなんかがやってめっちゃ非難されてたような。さすがに拷問はされたくない。一種の脅しと思いたいが
『必要ならします。まぁ、必要無さそうですがね』
穏やかな笑顔で答える遠藤大佐に嫌悪感を覚える。天音が言ってた通り俺もこの人嫌いかもしれん。が、ここで相手の様子を見ながら凌ぎあってもラチが開かない。思い切って行くべきだと気をとりなおす
『・・・信じがたい話だとは思いますが、俺が別の世界の日本人だと言って信じてもらえます?』
数瞬の間があく。それなりの衝撃は遠藤大佐にもあったようだ
『俄かに信じがたい話ではありますが、別方向からの観点で貴方の発言を補強する材料をいくらか存じておりまして』
『と言うと?』
情報源は秘密ですよ?と穏やかな笑顔のまま遠藤大佐は応える
『まずは落下した機体の大きさと形状。伝え聞く情報だけでもとてもステルス機の形状では無いが、それを軍民双方とも事故直前までまったく捉えられなかった。それこそ忽然と現れたように、となると貴方の発言はその補強にはなる。信じがたいにしても』
『まぁ、そうですよね』
ステルス、要は電波を反射しないと言う技術と考えれば、旅客機なんてその真反対の代物だ
『電波吸収塗料の様なものも考えはしますが、あれだとてコストの面や維持に多大なものがある。仮にテストを行うにしても外国の首都近海でやるほどトチ狂った連中はおらんでしょう。実際事故が起きればこうです』
部品にしろ何にしろ、血眼になって争奪戦が始まる。そういうものだといいたいのか。そういう意味では、俺は天音に病院からかっさらわれた事でその渦中に巻き込まれる寸前で保護されたという事になるのか
『とはいえ、面倒なことになるでしょう。貴方の存在は我々にとっても未知ですし、今回の件で、もしそうであるなら考慮しなければならない事が大まかに3つあります』
『3つ』
取材の時の癖で、3つと重要な所を言葉で繰り返してしまう。メモ書きがあればもう書き出している所だ。しかし、遠藤大佐もそれに言及することなく続ける。気持ちよく喋らせるのも取材の心得だ
『再現性・波及性・関与性この3つです。わかりますか?』
遠藤大佐に問いかけられて肯く
『最初の再現性についてはいくらか。同じような事が起きる可能性ですね。それが同規模で同一箇所に起こるのか、片務的であるか双務的かどうか。私が元の世界に戻れるかもそこにかかってきますよね』
『ご明察の通り。となれば持続できるかはわかりませんが、そちらとの付き合いを考えねばなりません。そうとなれば外交の話になります』
と、我が意を得たりと遠藤大佐は肯く。その観点からすると一種の拉致被害者みたいなもんだから外交カードにできるんやな、なるほど
『波及性とは、貴方や落ちて来た機体、亡くなられた遺体だけでも起こりうる、技術的または生物的な影響の事です。感染症やこちらにない技術やプロット、それがどこまで有用か、または悪影響があるのか。場合によっては貴方にすぐ死んでもらわねばならないとなるとこの部分でしょう』
『それ言っちゃいます?』
そう言われると、自分自身にはなんの価値も無いと言ってもそうか、コロナを言うに及ばず、SARSだって可能性もあるもんな。勿論、渡航前にそれなりにワクチンは打って来てるけれども。だからと言って殺されるのはやだなぁ
『そして、関与性とはこれがどちら側にしても意図が働いたかどうかという事です』
その言葉にハッとする。意図、誰かがこれを意図的に起こしたかどうかと言う事。例えばこれが第三者が行った一種の召喚や追放によるものである可能性があると言う事か
『もし貴方のことを信じるのならば、以上を考慮して私達は動かなければならない。わかりますよね、衛府さん』
『ありがたく無いですがね』
ため息をついて理解する。少なくともまだ、俺にはカードがない。なんらかの自由意志としてこの人に勝負をかけるには材料が足りなさすぎる。吐いた息を見越してか、部屋の扉がノックされる
『渡来、戻りました』
『入れ』
衣類の入った紙袋を持った天音が帰ってきた。急ぎだったのだろう、少し汗ばんでいる。すまねぇなぁ
『話は大体彼から聴かせてもらったよ。うちに連れてきてくれたのは正解だった』
『は、はぁ』
なに話したのよ!?という顔を天音に向けられるが、答えようもない。話したもの自体は大したことは言っていない。遠藤大佐が天音に向けていた顔をこちらに向ける。穏和な笑顔は相変わらず変わらない
『衛府君。とりあえずは先立つものとして軍資金が必要だろう?私の800万バーツ、預かってくれないかね』
ちょっと言っている意味がわからない。いきなり800万バーツ?日本円にして、3000万超えって、え?え?
『『エーッ!?』』
夜のとばりが降り始めた大使館で、天音と二人して驚きの声をあげるしか、その時は出来なかった
次の更新予定
2024年11月24日 12:00
金枝に翡翠の葉の微笑みを 水底に眠れ @minasokosleep
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