第7話「駄目よ」

 桜牙さんが出口とは反対の方向に向かったので、私もその後を追う。着いた場所は喫煙所だった。

 なんか座りたくなるような手すりと灰皿が並んで二つずつ。中には誰も居なかった。


「タバコ吸うんですか?」


「たまにな。鈴音がタバコ嫌いだから、こういう機会じゃないと吸えないんだ」


 私がタバコ嫌いだったパターンは考えなかったのだろうか。匂いはそこまで嫌いじゃないけれど、早死にはしたくない。

 桜牙さんが喫煙所の中に入って行ってしまったので、私も続く。中は少し肌寒かった。換気のためか、風が吹いている。


「……一本いるか?」


「いりません。未成年に喫煙を勧める行為は犯罪ですよ」


「冗談に決まってるだろ。本気にするなよ」


 なんだ、冗談か。危うく『※この物語は未成年喫煙を推奨するものではありません』という警告文を後出ししてしまうところだった。

 横でカチッという音が聞こえた。ライターの音は嫌いじゃない。


「副流煙、こっちに来るんですけど」


「ここは喫煙所だ。嫌なら外で待ってろ」


 清々しいほど正論だった。別に嫌ってわけじゃない。


「タバコを吸う男はモテないですよ」


 普通に正論を言われたのが悔しくて意地悪くそう言うと、桜牙さんは笑って、


「もう忘れたのか?」


 忘れたって、あ。


『桜牙さん、その、隣の方は……えっと、どんな関係ですか』

『――レベル5メモ。古橋桜牙はモテる』


 やっぱり、喫煙者なんて嫌いだ。顔が良ければ自傷行為も許されるのか。

 あークソ。また負けた。悔しくて、思わず舌打ちをしてしまいそうだ。


「……舌打ちするなよ」


 訂正。舌打ちしてしまった。

 それからしばらくの間沈黙が続く。横目で様子を見ると、桜牙さんは片手でスマホをいじっていた。煙を吐き、時折肩を震わせていた。


「何見てるんです?」


 訊くと、桜牙さんは「ポスト」とだけ答えた。ポスト……?

 そんなものを見て何が楽しいのだろう。やっぱり変な人だ。

 ふと、ジューという音が聞こえた。タバコの火を消したみたいだ。まだ三分ぐらいしか経っていないけど、もう吸い終わったのか。桜牙さんの方を向く。

 桜牙さんは私の視線に気づき、柔らかな笑みを浮かべて言った。


「……ちょっと気持ち悪くなってきたかも」


「周りの影響でタバコ始めた大学デビューですか?」


 ■■■


 残念ながら、桜牙さんは大学に行っていなかったし、わりと昔から喫煙者だったそうだ。それで具合悪くなるなら、もうやめた方が良いと思う。

 そう言うと、桜牙さんは笑って、


「大人になりたいんだよ」


 と返してきた。意味が分からなかったが、納得の出来る答えを期待出来なかったため何も言わなかった。

 これは想像だが、彼は焦っているのだろう。

 古橋兄妹に両親はいない。その分、鈴音さんに愛情を注いできたのは桜牙さんだった。

 早く自分が大人にならなきゃ――そのための手段として。

 後で聞いた話だが、桜牙さんは酒が飲めないらしい。飲むとすぐに吐いてしまうんだとか。


 探索者に十代が多い理由は、大人になるにつれ想像力と創造力が失われ、子供のような考えが浮かばなくなるからだそうだ。大半は十六から二十歳、二十一歳で引退するんだとか。研究者でもない限り、三十歳を超えて探索者を続ける人間はほとんどいない。

 子供に甘えてはならない。

 母曰く、それは当たり前のことなんだとか。


「ふうん、そうなんだ。でも、それなら……親は、誰に甘えるの?」


 私が訊くと、代わりに妹が答えた。


「彼氏か夫じゃないの? 素を晒せる場所なんてそこぐらいしかないんだし~?」


 母は苦笑した。


「誰にも甘えないわよ。もう、そんなことが出来る年齢じゃないもの」


「えー、トシとか関係ある~?」


 妹が不思議そうに言うと、母は「だって」と続けて、


「恥ずかしいじゃない」


 と笑った。


 ■■■


 ダンジョン庁の総合施設から、家から少し離れたところで降ろしてもらうと、私は送ってくれたことに礼を言ってから自分の家に大急ぎで向かった。きっと、母と妹は困惑しているはずだ。

 しばらく早歩きして、ようやく自分の家が遠くに見えた所で、私は絶句した。家の前に人だかりが出来ていたのだ。数十人もの中年が、カメラを持ち、家に向かって質問かどうかも分からないような声を投げかける。元々マスメディアに良い印象は持っていなかった。でも、まさかこんなことになるとは……。

 しかしこれも、少し考えれば想像出来ることだ。私の不手際ということで、ここは策無しに帰宅してみよう。


「すみません、邪魔なんですが」


 バレないように人だかりまで近づいてから、急に声を張った。記者たちが一斉に振り向き、目を見開いた。

 ……あれ。


 しばらくの間、沈黙が続いた。記者たちは一向に質問してこないし、その場をぴくりとも動かない。

 原因はすぐに分かった。彼らの目的は、私の家族から話を聞くことだったのだ。まさか、この場に私が現れるとは思ってもみなかったのだろう。東京から道南まで、たったの一時間程度で移動するなんて魔術でも使わない限り不可能である。

 あのあと、あとから喫煙所に来た凜音さん(彼女は喫煙者ではない)が、私を家の近所まで送ってきてくれた。量子テレポーテーションの想像というちょっと意味の分からない魔術を使ったらしい。


「通りますね」


 記者たちがいつまでも動かないので、しびれを切らした私は一歩目を踏み出す。すると、記者たちは一気に意識を取り戻したかのようにはっとし、すぐに逃げ去っていった。


「……はぁ」


 あの男を殺した時、先にカメラを壊してしまえば良かった。咲良のだけど。

 私はため息をつきながら自分の家に入る。鍵は持っている。

 鍵を開けて、ドアノブを捻って、ドアを開けて、玄関で靴を脱いで、散らばっている靴を片付ける。そして最初、私は洗面所に向かった。

 手を洗い終えて、私はついに家族と対面する。今朝も会っているのに、何故か緊張してしまう。

 私の家族は二人。お母さんと、妹の恋夏れんかだ。お母さんは優しい代わりに怒らない人だ。それでも今まで特に問題が起こっていなかったことから、お母さんの教育法は放任主義の理想形と言えるだろう。恋夏は能天気で、楽天的で、受動的な人間だ。しかし、勉強も運動も完璧にこなすスーパーエリートだ。中学生ながら、東大入試過去問に手を出したりしているらしい。私は詳しく知らない。


「ふぅ……」


 リビングのドアに手をかける。この先に、二人がいる。

 言い訳を考えるのは苦手だ。弁明をすることも苦手だ。だから、きっと怒られるし、止められる。

 でも、なんとか押し切って見せる。

 私は意を決してドアを開けた。


「ただいま」


「随分遅かったわね」


 お母さんの言葉に棘がある。やはり機嫌は悪そうだ。


「ニュースで見た。ダンジョン庁から電話も来た。お姉ちゃん、ちょっと暴れ過ぎじゃない?」


 と妹。どちらも、私が人を殺したことを咎めてはいなさそうだった。娘が、姉が、人殺しになって帰ってきたのに。

 とはいえ、そんなことはどうでもいい。私には伝えなければならないことがある。


「暴れてないよ。とりあえず、私はレベル5探索者になるから」


「それしか選択肢がなかったくせに、それを自分の意思みたいに言うのね」


「……黙ってて」


 それは図星だった。


「ママは見ての通りだけど、お姉ちゃんもちょっと機嫌悪い? なんで?」


「別に」


 素っ気ない返事を返す。機嫌が悪いわけではないが、だからといって良いわけではない。


「それで、恐らくかなりの額を稼げると思うの」


 国の最重要機関とも噂されるレベル5ダンジョン探索者――絶対に稼げるはずだ。

 舞沢姉妹と出会う前に会ったあのセーラー服の少女は、恐らくダンジョンの関係者だ。桜牙さんの認識阻害魔術を見破れるなんて、只者じゃない。

 あの高そうなペンダントは、そういうことだろう。


「だから、お願いがあるんだけど」


「……何かしら」


 母が怪訝な表情をする。恋夏は興味なさげにスマホをいじっていた。私は言った。


「あのね、お母さん――」


 そして続けた。


「私、高校やめていい?」


 母はしばらく固まったあと「駄目よ」と言った。

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