第28話 祝福の声ひとつ無い『婚礼の儀』


「……なぜ、黙っていた?」


 静かな圧が、場の空気を重くする。

 だが神宮司千歳であると告げれば、すぐにでも『鎮め石』になってしまうではないか。


 前回自分が沈んだ後どうなったのか、確認したいことも沢山あったのだが、結局知ることは出来なかった。


 薄く微笑みを浮かべたまま黙ってかぶりを振ると、煉宝山から、さらに色濃く瘴気が立ち昇る。


「分かった。言いたくないなら構わない」


 問いただしている時間はなく、そして理由を知ったところで、今さらどうしようもないのだ。


「だが神宮司の者であると分かった以上、務めは果たしてもう。夜は瘴気が濃くなるため、早朝に『鎮めの儀』を行う」


 ふと横向くと、泣きそうな顔をした豆狸達と項垂れるイヅナ。

 さらにその後ろには、驚き顔色を失った鬼山さんと松五郎が見えた。



 ***



 ――それは前回同様、祝福の声ひとつ無い『婚礼の儀』だった。


 朱塗りの杯を呑み交わし、宴もないまま女中に連れられ、白無垢へと召し変える。

 そして寝所にて、そのまま『床入り』を促された。


 あの後蒼士郎は口をつぐみ、そして御守様も同様に、何も聞かなかった。


 蒼士郎は帳台を離れ、窓辺でひとり酌をしている。

 スッと通った鼻筋に、吸い込まれそうなほど黒い夜色の瞳。


 短く切られた黒髪はさらりと絹糸のように風に揺れ、涼しげな目元は均整の取れた顔立ちをさらに美しく際立たせている。


 白い小袖を身にまとい、気難しそうに眉をしかめて胡坐をかきながら、杯を傾けていた。


「最期の夜だというのに、月も見えぬとはな」


 身分も学もない娘を装っていた時は、あんなに優しく頭を撫でてくれたのに、床入りを前に視線すら交わしてもらえない。


 ふぅ、と一つ息を吐き、蒼士郎は立ち上がった。


 畳を踏みしめる音が次第に大きくなる。

 瞬きもせず、一心に見つめる千歳の顎を掴み、自分のほうへと上向けさせた。


 どこまでも続く、底知れぬ闇のような夜色の瞳が近付いてくる。


 千歳はそっと、目を伏せた。

 覆い被さるように影が差し、――――そして。


 ……コツンと優しく、額が触れた。


「!?」

「……神宮司の家では、どのように過ごしていた?」


 神宮司家から、『護り石』を持ち帰った蒼士郎。

 栄養不足の千歳の身体から、どのような扱いを受けていたかは火を見るより明らかである。


「水底に沈められると分かっていながら、神宮司の者だと胸を張って言えるほど、恵まれた扱いを受けていたとは思わない」


 責めるでもなく、ただ淡々と言い放つ。

『護り石』を失った神宮司家の者達に身を守る術はなく、その後どうなったかは言わずとも知れていた。


『婚礼の儀』の間、蒼士郎はずっと一点を見つめ、物思いにふけっていた。

 なぜ言わなかったのか、千歳の境遇に思いを馳せ、自分なりに答えを出してくれたのだろうか。


「涅家はどうだ。過ごしやすかったか?」

「……はい」


 そうか、と呟き、蒼士郎は千歳の肩を、腕の中に抱き込んだ。


「明日は湖の中央に突き出た岩山へ、小舟で向かう。瘴気があるが、御守様が道を拓いてくださるから問題ない」


 前回も岩山に立ち、小舟が離れた瞬間、足に絡みついた何かに引きずり込まれた。


 その時は、すべての霊力で以て瘴気を水底の亀裂に封じ、そのままこと切れたのだ。


「お願いがあります。明日、屋敷を出る前で構いません、イヅナと話をさせてもらえますか?」

「……イヅナは知っていたのだな」

「はい、黙っているよう私がお願いしましたので、怒らないであげてください」


 今頃どんな気持ちで過ごしているだろうか。

 可哀想なことをしてしまった。


「沈む際、白無垢ではなく、ここに来る時に着ていた金魚の浴衣に召し変えることは可能ですか?」

「浴衣に?」

「松五郎様に頂いた、思い出深い品なのです。とても気に入っているので、最後に身に着けたいのですが」

「……分かった。御守様には俺から話をしておこう」


 これは、お前の物だから返しておくと、『護り石』を渡される。


 首から下げられるよう革紐でくくられた琥珀色の石。

 少し紐を緩めれば取り外せるようになっており、追加の霊力を流し込むと、反発するほど充分に充填されていた。


「朝まで、近くにいてもらってもいいですか?」


 蒼士郎の襟元をギュッと握りしめ、頬を寄せる。

 夜着を一枚挟んだ胸元から、トクトクと聞こえる鼓動が耳に心地よい。


 穢れを祓い鎮めるための、神への供物。

 当主の花嫁であらねばならない鎮め石。


 贄となるに必要な身分を与えられたその朝に。


 初夜を終えた白無垢の花嫁は時を経ず、穢れうごめく水底へと、身を投げるのだ。




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