第24話 使役契約ふたたび
物思いにふけるうち、頬を掠める冷たい風に気が付いた。
……入口の戸は、間違いなく閉めたはず。
窓はすべて閉じられており、風が吹き込む隙間はなかったのに。
「……千歳。お前はそこで何をしているの?」
突如聞こえた馴染みのある声に、千歳は
「この封じは外部からの侵入を許していないわ。触れれば弾かれ、戸に手を掛けることすらできないはず。それをいとも容易く……それも気付かれぬよう一部だけ解くなど……お前は何者なの?」
怒りを孕んだその声は、
わずかに開いた戸の隙間には、警戒し、こちらを凝視するイヅナの姿があった。
「……瘴気が見えないはずなのに、豆太を庇ったこと。『護り石』を手に入れた途端に小屋の封じが解かれ、瞬く間に全快したこと」
イヅナは一歩、前に出る。
「読み書きが出来ないのに、一度で文字を覚えたのも不自然だった。そして主様の居場所を伝えたら、何故かここに……」
ザワリと毛を逆立てて身構え、攻撃態勢に入る。
「そこから離れなさい。主様を害する者は、許さない」
……逆らうなら、お前には死んでもらうわと、地を踏む足に力が入る。
イヅナが全速力で突っ込めば、千歳の身体など容易に貫かれてしまうだろう。
「主様から離れろと言っている!!」
イタチサイズの小さな管狐……だが踏み込んだ足が畳に沈んだ。
畳を蹴った次の瞬間、千歳の心臓目掛けて光の道が伸び、柔らかな胸にイズナの頭が一瞬めり込む。
そのまま心臓を貫くかと思いきや、イヅナの身体が何かに反発するように引き戻された。
「……まったく、落ち着きのない奴め」
「ッ!?」
首根っこを掴み、ブラブラと左右に揺らすと、まるで振り子のようである。
これでは瘴気が払えないではないかと笑う千歳に、なぜ一介の小娘に捕まえられたのか理解が出来ず、イヅナは呆然としている。
「……主様を害する者は許されないのだろう?」
「は、離して!!」
逃れようと手元で暴れるが、首根っこを掴まれていて逃げられない。
「お前自身が主を害してどうするんだ。……イヅナ、短気は良くないと、昔あれ程言っただろう」
千年前の契約は、今でも有効だろうか。
死ぬと解除されるから、再度結んだほうがいいかもしれない。
「
「分かった、分かったら離しなさいよぉ!!」
――はい、契約成立。
暴れるイズナの額に口付けると、その中心が眩い光を放つ。
徐々に小さくなり、ホタルのようになった光を摘まみ、千歳はゴクンと一飲みにした。
「――千年ぶりだな。まだ覚えているか?」
仰天するあまり動けないイヅナの額に指で触れ、日中の疲労で弱った霊力を足してやる。
「お前との契約、更新させてもらったぞ」
「う、うそ……え……?」
「一日中駆けまわった後に待ち伏せまでして、何をやってるんだお前は」
「え、どうして……?」
驚くイヅナの顔が懐かしい記憶そのままで、つい頬が緩む。
「当主様が起きてしまう。騒いだから、お仕置きだ」
突如バチッと音がして、イヅナの目元で小さな火花が散る。
昔、怒られるたびに日奈子がやっていた軽いお仕置き。
イヅナは抵抗を止め、ブランと脱力した後、ビー玉のような目をまるまると見開いた。
「ほんとうに?」
日奈子が産まれる千年以上前から、涅家の連絡役を担ってくれていたイヅナ。
縋るように震える声もまた懐かしい。
「……ほんとうに、ほんもの?」
「本当だ。でも内緒だよ」
また、私のために駆けてくれるだろう?
そう問いかけると、頭が取れるんじゃないかと心配になるほど、ブンブンと勢いよく首を振っている。
「う、うわぁぁぁん」
「ぷは、泣きすぎだお前は」
ブランと垂れ下がったまま、おいおいと泣き出したイヅナが落ち着くのを待って、地に降ろす。
すぐに千歳の膝元に歩み寄り、その霊力を愛おしむかのように頬ずりをした。
小さな頭を一撫でし、引き続き瘴気を祓おうと、千歳は蒼士郎の枕元に跪く。
「主様は大丈夫そう?」
「……身の内に瘴気を飼うほど丈夫だから、きっとすぐに良くなる」
問題ないと軽く微笑み、瘴気に侵された蒼士郎の手を握る。
繰り返し霊力を送るうち、土気色だった蒼士郎の顔色が次第に生気を帯びていく。
「うん、大丈夫そうだな。あとは自力でなんとかするだろう」
「主……千歳様、近くで呼子笛が鳴ってますが……」
「封じが解けたのがバレたか?」
先程まで遠くでまばらに聞こえていた呼子笛が、随分と近くで鳴っている。
「戸を開けたのは誰だったか……?」
「え?」
「イヅナ、勝手に封じを解いたらダメだろう」
「はい?」
ニッコリと微笑む千歳に、イヅナは警戒したように再び毛を逆立てた。
「さぁ、自首しておいで」
「ひ、ひどいぃぃ!!」
お前ほどの古参なら、多少怒られるくらいで済むから大丈夫。
背中を押され、「私は隙を見て逃げ出すから」と微笑みのうちに送られるイヅナ。
この後、千歳がこっそりとその場を離れる間に、イヅナは見事謝罪を終えた。
離れようとしないイヅナを襟巻きのように首に巻いたまま、納屋の屋根裏へ戻るべく忍び足で進んだまでは良かったのだが――。
「……オイ。この非常事態に夜遊びとは、いい御身分だな!!」
仁王立ちの豆千代にたっぷりと怒られ、翌日、そろって寝不足のまま、仕事をする羽目になったのである。
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