第7話 最初に繋いだもの



 次の日の朝。一星家は、少しだけ慌ただしかった。


「やばーーーー!!」


 リビング兼ダイニングの扉の向こうから聞こえてくる、日織の大慌てな声。それは、既に両親が店に向かい、凛月しかいないダイニング隣接のキッチンにも十分届いていた。


「朝から元気なことで」


 独り言を漏らしながら、凛月は目の前のフライパンに生地を流し込む。制服の上にエプロンを重ねた姿での調理は、慣れた手つきであった。


 生地の固まり具合を眺めていると、先ほど日織の声が響いてきた方向から、今度は本人が慌てた姿でやってくる。


「おー、おはよ日織。何急いでんの?」


「え、だって……あれ?」


 ダイニングの壁にかかった時計を見て、首を傾げる日織。


 どうして急いでいたのかを凛月が理解するには、その仕草で十分だった。


「ははーん。さては時間狂ったまんまの時計見て焦ったな?」


「そう……みたい」


「いっつもお姉ちゃんのお出迎えまで眠り姫だからそうなるんだよー」


 姉の言葉に、日織はうっ、と言葉に詰まる。時間を見て余程焦ったのか、いつもは整っている髪は、癖ではまとめきれないほど酷い跳ね具合がついていた。


「てか、やっぱり寝坊したねぇ。昨日、『やることあるから明日の朝はどうしたって起こせないよ』って、3回も言ったのに」


「うう……」


「時計、直しときなよー」


 凛月に指摘された日織は、明らかに申し訳なさそうな顔をしていた。


 分かりやすくしょげている日織を見て、凛月は少し笑いながら


「しょげた日織さんに、朝はお姉ちゃんお手製のホットケーキを差し上げましょー」


「おお、やったー!」


「取りに来てねー」


 凛月の言葉に従い、日織がキッチンに来る。


 パジャマ姿を見せた彼女は、キッチンの中の様子を見て、少し目を丸くした。


「あれ、お姉ちゃん」


「ん、なぁに?」


「やることって、それ?」


 日織が指さしたのは、日織が持っていこうとしていたホットケーキのすぐ横にある、明らかにホットケーキのものではない薄い生地だった。


「うん。朝ごはんついでに、ミルクレープ作ろうと思って」


「どうして?」


「雫ちゃんに渡そうかなーって」


 凛月の回答に、日織が少しだけ考える素振りを見せる。


 その答えを脳内から探す時間は、記憶に新しい分短く済んだ。


「あ、昨日師匠が言ってた……」


「そそ。まぁ、味の決め方は適当だけどね。この間なんとなくで買ったミント味のホイップクリームあったから使ってるだけだし」


「いいなぁ……」


「日織はいつでも作ってあげられるでしょ」


「そうだけど……」


「嫉妬じゃお姉ちゃんお手製のホットケーキはあったまらないぞー。冷めないうちに持ってって食べな」


 凛月に言われ、少し不機嫌ながらもお盆に乗せた朝ごはんを持っていく日織。


 キッチンとダイニングを隔てるレースカーテン越しに見える日織の表情は、まだどこか腑に落ちない様子ではあったが、その後のメープルシロップをかけて食べる姿を見て、少し安心した様子で凛月も自分の作業に取り掛かるのだった。







* * * * * * *







 その後、作ったミント味のミルクレープをラップに包み、カバンに入れた後は、いつものように自転車で蒼水魔導学院への道を颯爽と駆け抜けていった。


 そしてたどり着いた学校で自転車を止め、生徒玄関で上履きに履き替えた後、すぐに上に上がらず、靴箱に留まって2人揃って探す。



「お姉ちゃん、あったよ雫ちゃんの靴箱」


「おー、ナイス日織」



 日織の声に反応して、凛月が日織の元に向かう。


 日織が指さした先にあったのは、『宵宮雫』の文字が書かれた靴箱だった。


「うん、いるね」


 中を開けて見えたところに靴があることから、既に雫が登校してきていることは分かった。


「後は、上に上がって雫ちゃんに渡すだけだね」


「そうだね。あんまり時間ないし、さっさと上がっちゃおう」


 この後の行動を確認するような言葉の後、凛月と日織は高校棟に入り、階段を駆け上がる。魔法は使用せず、軽やかな足取りで平常よりも早く登った先には、既に会話が少し聞こえてくる、ホームルーム教室の並ぶ廊下があった。


 いつもなら凛月と日織はすぐに左に曲がるのだが、目的を果たすために、2人は直進する。そして、


「おじゃましまぁーす」


「おじゃまします」


 凛月が陽気な声を発すると教室内の生徒のほとんどが何らかの反応を見せ、日織が並んで続いたところでざわつき始める。


――おいおい、あの一星姉妹が別クラスに何の用だ……?


――うわ、近くで見るとマジでかわいい


――スタイル良っ


 ちらほらと聞こえてくる他生徒の声は耳に入ってくるも、2人は特に気にせず視線を少し泳がせる。


「おー、いたいた。雫ちゃーん」


「え?」


 そして凛月が、雫がいる席の方へ歩み寄っていく。おそらく登校してそこまで経ってないのか未だカバンが机の上にある状態で、雫は驚いたのか少しポカンとした表情になっている。


――一星姉妹があの親殺しの雫に何の用だ……?


――何されるか分かんないのに危なくね?



「咲ちゃん、ちょっと雫ちゃん借りてくねー」


「え? え?」


「あ、えーと……お借りしていきますね。お騒がせしましたー」


 日織もワンテンポ遅れて、教室を去っていく。咲含めほとんどの面々が驚きで口を閉じられない教室を後にして、凛月と日織は雫を連れて屋上へと向かう。



「時間もあれなんで、飛ばすからついてきてねー」


「え――」


 ほとんど反応できない雫のことなど気にせず、凛月が魔法の力で身体能力を上げ、その速度を速めていく。日織も同じように追随し、ほとんど引っ張られるような形の雫と共に屋上バルコニーへと到着する。


「ほい。走るのはここまで。後は……」


 屋上の少し頑丈そうな扉を、凛月が押し開ける。


 そうして日の明るさが足された中で、3人は屋上バルコニーにあるベンチに向かうと凛月が口を開く。


「はい到着。雫ちゃん、座って座って」


「え、あ、はい」


 戸惑いの色濃い雫を半ば無理やり座らせた後、凛月がカバンを少し探る。


「というわけで……はいこれ」


「えっ?」


「朝作ったばっかのミント味ミルクレープ。本当はクレープにしたかったんだけど、持ってくる間に形崩れちゃったら美味しくないし、クレープよりも崩れにくくて持ち運びやすいからこっちにしました」


 空色のクリームが見えるミルクレープと、それを差し出す凛月を交互に見ながらも声を出さない様は、戸惑いが折り重なっているようだった。


「雫ちゃんのために作ったやつだから、どうぞ召し上がれ」


「あ、じゃあ……」


 凛月の一押しを受けて、雫がミルクレープを受け取る。


 ラップを開いて食べようか、というところで、凛月と日織が動く。


「それじゃお隣しつれーい」


「お隣お邪魔しますね」


 雫を挟むように、凛月が左に、日織が右に座る。カバンをさらに外側に置いて、一度止まった会話が続く。


「お味、どうでしょ?」


「おいしい……」


「よかったー。ミントは結構癖があるし、人を選ぶからね……って、もうほとんどないね」


 凛月の言葉を聞いている間に雫が食べ進めていたミルクレープは、もうひとかけらしかなかった。


 それを飲み込み、ごちそうさまでした、と言ったあとで、雫が凛月の方を向いて問いかける。


「でも、どうして……?」


「昨日のあれやこれやに対する元気づけと、これから先のちょっとしたお詫び」


「お詫び?」


 凛月の言葉に、またもや雫の口から問いかけが出る。


 それに対して、今度は日織がそれに答える。


「とっても申し訳ないんですけど、咲ちゃんとか、高松先生から聞きました。雫ちゃんが闇魔法をあまり得意としていないこと」


「えっ……」


「なんとなくの予想だけど、多分色々と知らないとこの後に支障が出るかなって思ってさ。日織が咲ちゃんに、私が高松せんせに急遽連絡して聞いたんだよね」


「私も闇魔法はそんなに得意じゃないんですけど、高松先生のいうあたり、多分私の『得意じゃない』とは別な気がしてまして……」


 申し訳なさがにじみ出ている分、凛月と日織の声のトーンが少し暗くなる。


 それにつられたように、雫の表情も暗くなる。まるで何か苦い思い出に思慮を巡らせているかのように、暗さに険しさが少しづつ増えていく。



「うん。止めとこう」


 不意に、凛月がそう言う。


「えっ?」


 凛月の急な宣言に、雫が純粋な驚きの声を出す。


 一方で、声を発した凛月は日織とアイコンタクトを交わした後、


「多分、今はその時じゃないんじゃないかなぁ、って。苦しそうだしね」


「はい。後になって、必要な時が来れば知ることになると思いますから。多分連携を取ることになりますし、それに……」


「それに?」


「私もお姉ちゃんも、雫ちゃんに興味があるので」


 言葉の締めくくりに、日織が微笑みを見せる。笑いかけられた雫は、少し目を丸くした後、言葉の真偽を確かめるように反対側の凛月を見る。


 凛月も同じように笑いかけた後で、ベンチから立ち上がる。


「さて、それじゃあ下に戻りますかぁ。授業の準備とか色々あるし、そもそも私と日織はまだ教室にすら行ってないからねー」


 カバンを指さしながらの言葉を聞いて、まだベンチに座ったままの日織と雫も立ち上がった。


 その後、屋上バルコニーから校舎内に戻り、階段を降りる最中の3人は、少し関係性が進展したことを示すように、並んで降りていた。

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