第6話 心強い後ろ盾
「ただいまー」
一星家の玄関のドアを開け、凛月の第一声が家の中に響く。そこから返答を待つわけでもなく、靴を脱いで中に入る。
いくら今日の帰りが少し遅かったとはいえ、普段店を開いている両親が、この時間に帰っているわけがない――
凛月も日織もそう思って入ったのだが。
「え、いる?」
中から聞こえてくる少しせわしない足音に、凛月と日織は少し驚きながら、これから向かおうとしていた家の中を見る。
十数秒後、そこに現れたのは、紛うことなき母親の姿だった。
「お帰り、凛月、日織」
「え、うん。ただいま。お母さん」
母親からのおかえりに対して、凛月が少しぎこちない返事をする。
「……なんで、お母さんいるの?」
「お父さんとお店にいたら、学校から連絡があってね。ラビット・ウェールズ? っていうどこぞやの集団が侵入してきて、学校から被害にあったっていうから、心配になって帰ってきたの。お店もあるし、お父さんはまだそっちにいるけどね」
「ああ、そういうこと……ん、日織?」
母親の言葉に納得の表情を見せた後、視界の端に映った日織の表情を見て、凛月が不思議そうに思い声をかける。
「えっ? な、なにお姉ちゃん?」
「あー……うん。なんでもない。気のせいだった」
日織のぎこちない表情の理由――ラビット・ウェールズに対して大立ち回りしたことを思い出して、凛月は会話を半ば強引に切る。
そんなことを言えば、多分母親が驚きでひっくり返るからだ。
「それで、先生はなんて?」
「『原因究明含め対策に努めますので、不安かとは思いますがご安心ください』って言ってたわ。まぁ確かに不安だけど、蒼水なら腕のある先生もたくさんいらっしゃることだし、大丈夫だわよねぇ」
事態の大きさに反して、母親の反応が軽いことに、凛月と日織は面食らう。もっと心配するものだと帰り道で考え、外れないだろうと思ったことが外れて、言葉を発する機会も失っていた。
「あ、そうそう。さっき、泉谷さんから電話があってね」
「え、師匠が?」
「凛月と日織が帰ったらオンラインで画面通話を繋いでくれって言ってたから、あとで繋ぎなさい」
「あ、うん。分かった」
「じゃ、お母さんは引っ込むわね」
そう言って、母親がリビングの方へと消えていく。
その後ろ姿を見送った後、凛月と日織は玄関で顔を見合わせていた。
「お母さん、全然気にしてなさそうだったね……?」
「うん……」
一体何を言われたのだろう、と気になる。
凛月と日織がラビット・ウェールズの成したことに巻き込まれたのは確かな事実だ。
「とりあえず、日織は部屋に荷物置いたらすぐに私の部屋に来てね。私の部屋のパソコンから師匠に繋いでみる」
「分かった」
そう言うと、まず2人は揃って洗面所へ。
並んで手を洗った後は、ハンカチや靴下を洗濯籠に入れて、そのまま自室へ。
少しだけリビングに近い凛月の部屋で、カバンをベッドに放り投げた凛月が自室のデスクトップパソコンを立ち上げている間に、日織は自分の部屋にカバンを置いて、椅子と共に凛月の部屋に向かう。
「ちょーっと待っててね」
慣れた手つきで凛月がパソコンを操作し、カメラとスピーカーをセッティングした後に、通話を繋ぐ。
3回ほどのコール音の後、通話が繋がったことを示す音が鳴る。
「もしもーし。聞こえますー?」
『問題ないよ。そっちの様子もきちんと見える』
凛月の部屋のスピーカーから出たバリトンボイスに、凛月と日織は懐かしさを覚える。
凛月の机の上に置かれたモニターに映るのは、1人の青年。何かしらの制服に身を包み、恐らくは青年の部屋であろうモノトーン調の壁紙が後ろに映る。
彼こそが、凛月の今の戦闘スタイルの師匠であり、日織の近接戦闘の師匠でもある青年――泉谷利輝だった。
凛月と日織の4歳年上で、蒼水のOBである。凛月と日織が中等部に入学した当時、『領域の支配者』の二つ名持ちとして、蒼水で有名な実力者の1人だった。
と、静かそうな画面の向こうに、もう1つ姿が現れる。
『ハローハロー。げーんきーぃ?』
『もうちょい静かに入って来れないのか……?』
『いーじゃんかぁ。可愛い可愛い弟子を久々に見に来てテンション上がるくらい』
『お前のそれはいつもだろうが』
画面の向こうで繰り広げられるやりとりに、凛月と日織は並んでくすっと笑う。
「陽羽先輩、お久しぶりです」
画面の向こうで賑やかさを倍増させている女性の名前は、真家陽羽(まづかひより)。利輝と同い年の女性で、蒼水のOGであり、利輝と共に色々な技術を授けた2人目の師匠である。
得意とするレンジこそ違うものの、凛月も日織も陽羽から色々と学んでいた。
『はーいお久しぶりー。2人とも元気してた?』
「はい。今日は大変でしたけど」
『それはお疲れ様だねぇー』
陽羽のニコニコしながらの労いの言葉は、先ほどの確かな心労を和らげる。知り合いになった時からムードメーカーだった彼女は、今でも変わらないようだった。
『多分お母さんから聞いていると思うけど、さっき先に軽く話しさせてもらったんだ。もしも蒼水で何か重大な事件の兆候があったらこちらで絶対に食い止めるので安心してくれ、って言っておいたし、あの反応的に、多分そこまで心配しないんじゃないかな』
「あーはい。全くもってその通りです」
電話口のやりとりだけで母親のその後まできちんと言い当てた利輝に、凛月が笑いながら反応する。
欠片だけ見せる推測力の高さは、その観察眼と共に今もなお輝いているようだった。
『まぁただ、実際のとこ、非魔法要員ばかりのラビット・ウェールズぐらいじゃこっちもチームごと動けないのは確かだ』
「「えっ?」」
『西にウサギあれば、で有名ではあるけど、規模感で言うとそこまで大きくないんだ、あそこは』
意外な事実に、凛月と日織は揃って驚きを示す。
『後、あたしはともかく、泉谷くんは本当によっぽどの事がない限り動けないよ。役職的に』
『詳しくは言えないけど、俺、ちょっと特殊な身分になったからな。真家の言う通り、よっぽどのことがないと俺自身が動けない。下は動かせるけど』
「そんな……」
利輝と陽羽の言葉に、日織が肩を落とす。
当てにしていた、というわけではないが、心強い後ろ盾になるのは間違いない。その目だけでなくその身でも、利輝の安定感のある強さは2人とも知っているのだ。
『まぁそう気落ちするな。流石に俺も何とかしたいと思って、上手いことやってるから』
「えっ?」
『今度のお休みにしっかりかまってあげないとねー』
『それをここで言う必要ないだろ』
何度目かの短い驚きの反応の後に、画面の向こうで繰り返される横槍と突っ込み。
しかし、今度は画面の向こうから答えが返ってくるよりも前に、疑問が日織の口から飛び出る。
「一体誰に?」
『夏梅に。状況がヤバくなりそうだったら、っていう条件付きではあるけどな。まぁ、本人は渋々そうだったけど』
『やだなぁ。夏梅ちゃんのあれは頼ってもらえて嬉しい時の言葉だよー』
『それならそれで電話口くらい普通に話してほしいんだよな……』
利輝と陽羽が話している『夏梅』という人物。もちろん凛月と日織も何度もあったことがある。
式織夏梅(しきおりなつめ)。彼女もまた、蒼水のOGであり、利輝、陽羽を含めた5人チームの1人だった。現在対魔法戦闘を生業としている2人と同じチームを形成出来ていたことから、実力は折り紙つきなのは間違いない。
『ただ、あんまり事が早く起きるとこっちも動けない。夏梅だって、大学生としての職務を果たしてるだろうし』
『そうだねぇ。愛する彼氏の頼みだし、可愛い後輩たちのために動いてくれるとは思うけど……2人もちゃーんと準備しておくんだよー』
「りょーかいです」
『おい待て今さらっとからかわなかったか?』
『うわー地獄耳ー』
画面の向こうでわざとらしく騒ぎ立てる陽羽に対して、利輝がため息をつく。2人が在学していた時からよく見てきた光景に、凛月と日織は少し笑いながら画面を見ていた。
『それじゃあな。またこの件で連絡すること、ないといいな』
「はい。ありがとうございました」
『またねー』
笑顔で手を振る陽羽と、微笑んだ姿の利輝の姿、そして2人の言葉。それらが少しずつ余韻を残しながら、モニターから1つウィンドウが消える。
「変わらないねー、2人とも」
「私も、元気そうで安心した」
卒業以来、地元に帰ってくる時は顔を見るものの、1年の間に顔を合わせる機会は3度あれば多い方。弟子入りして特訓していた日々に比べれば、圧倒的に少ない。
重ねた年月の分互いに大人になりながらも、変わることのないやりとりの雰囲気が、凛月と日織にとって少し懐かしかった。
「……でもやっぱり、私たちも戦わないといけないんだね」
「どしたの日織。弱気だねぇ」
「まぁ、だって……」
ほぼ確実に、先ほどの出来事と一緒に心情がフラッシュバックしている。不安からか言いよどんだ日織から少し視線を外し、悩む素振りを15秒ほど挟んだ後、凛月が少しだけ日織の方に体を寄せた。
「日織」
「なに、お姉ちゃん?」
「ぎゅー」
「ふええ!?」
突然凛月に抱きつかれた日織が、素っ頓狂な声をあげる。
少しして身体を離した凛月が、日織のリアクションに少しだけ笑って、口を開いた。
「私もちょっとは心配だけどね。でも、日織がいるから大丈夫だよ」
「お姉ちゃん……」
「この先のことは、一旦この先の私たちに任せよ。多分、今日の私たちはもうお疲れだから」
「……うん、そうだね。そうする」
日織の納得の言葉を聞いて、凛月は胸をなでおろした。
と、間もなくしてお互いの腹から重低音が少し鳴る。
「お姉ちゃん、私たち、腹ペコだねぇ」
「そだねぇ。今日の晩御飯、なんだろうね?」
「私はハンバーグがいいなぁ……」
「お、いいね。今日はお母さんもういるし、どうするか聞きに行ってみよ」
「うん」
そうして2人は、制服姿のまま、凛月の部屋を後にする。
今日の事件のことは、ひとまず忘れるつもりで、その行先を台所へと定めたのだった。
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