第5話 未来にかかる靄
医務室のベッドに雫を寝かせた後、その場に残った咲と、職員室に行った高松先生を除く3人は、一星姉妹のホームルーム教室にいた。
「白崎くんは、宵星さんの……なに?」
「お姉ちゃん、言い回し」
上手い言い回しが何故か思いつかず、凛月の言葉に日織が突っ込む。
「関係ですよね。俺としず姉――宵星雫は従兄弟なんです。母方の弟が俺の父親で」
今は、あの場で唯一凛月と日織が知らなかった男子生徒――白崎海と、一星姉妹との間で自己紹介をしていた。
事の発端は、道中で呼び方が分からないことに凛月が気づいたからである。
「なるほどねぇ。しず姉呼びしてるってことは、結構仲いいんだ?」
「はい。顔合わせる機会も多かったですし、色々優しくしてもらったので」
「ふーん……確かに大人しめだし、優しそうだもんね」
海の返答に、凛月は雫の姿を簡単に思い浮かべながら反応する。
共有した時間はほとんどないが、それでも凛月には今発した言葉通りのイメージがついていた。
「えっと、ちなみに2人は……? 同じ学年ですし、双子だったり……?」
「うん。私が姉で、こっちの日織が妹」
「五十音順で早い方が妹なので、それで覚えてくださいね」
今度は、海の質問に凛月と日織が揃って答える。
「本当にそっくりなんで、気を抜くと間違えそうですね」
「うん。自己紹介した後に1回で見分けられた人、今んとこ1人しかいないくらいに難易度鬼だからねー」
「そんなわけなので、私もお姉ちゃんも間違えにはもう慣れてます。後ろ姿だとほぼ分からないので、みんな反応とかで見分けたりしてますし」
日織の言葉に、凛月がうんうん、と頷きながら同意する。
「でもたまにお姉ちゃんがふざけ半分で私の真似をするんです。そうなるとお姉ちゃんが止めるか私が言わないともう分かりませんけど……」
「ええ……」
「『大丈夫ですよ白崎くん。頑張ったら見分けられますから』」
「あっ、ホントにわかんないや……」
表情の感じから声の雰囲気まで日織に似せた凛月の言葉に、海が少し苦笑いする。
「もう、お姉ちゃん!!」
「ちょっとからかっただけだってばー」
からかう姉をたしなめるように、日織が少し怒り気味で言う。
と、その時。
ドアの向こうから走ってくる音が聞こえてくる。
音の方にそれとなく3人が視線を向けてから数秒後に、その音の主が現れた。
「咲ちゃん?」
凛月と日織、海のいる教室に、若干息を切らせてやってきたのは咲だった。
表情の明るさと息の切れ方で、彼女が何を言いに来たのか、この場の面々には何となく予想がついた。
「雫が、目を、覚ましたから……!」
「しず姉が!?」
席から勢い良く立ち上がりながら、海が聞き返す。
おそらく全速力で走ってきたのであろう咲が息を整え終わると、再び言葉が返された。
「私は高松先生を呼びに行ってくるから、先に医務室に行ってて」
「分かった!」
海の言葉を聞くと、咲はすぐに職員室に向かっていった。
ほんの少しして、日織が海に問いかける。
「白崎くん、鞄とか大丈夫ですか?」
「あっ、はい。後で取りに行くんで」
そう答える海のはやる様子は、まさに待ちきれない、という感じだった。
「じゃ、このまま向かっちゃおっか」
それを見た凛月がそう言った後に、3人は医務室に向かうのだった。
* * * * * * *
医務室に入ると、雫の様子はすぐに見えた。様子が分かりやすいようにするためかカーテンは開けられたままで、そこにあるベッドの上、上体を起こした姿でそこにいる。
「しず姉! 大丈夫!?」
海が若干慌て気味に駆け寄る。
凛月と日織はその後ろからいつも通りの歩調で歩み寄っていた。
「やっほー。大丈夫……なのかな?」
ほんの少し間が開いた後に、雫が言葉を発する。
「えっと……あなたが日織さん?」
「はい。一星日織です。ひとまず無事そうで何よりです」
そう言った後、日織は少しだけ雫の方に近づく。
「ところで、うちのお姉ちゃん、迷惑かけたりしませんでした?」
「えーっと……」
日織の問いかけに、雫は戸惑う。記憶があいまいなのか、はたまた本人がいる以上答えづらいのか、真意が分かりかねる反応であった。
それから少しばかり沈黙の気配がしようかというところで、凛月が口を開く。
「えー? 私、迷惑かけてないと思うけどなー?」
「本当に?」
「うん。本当。お月様に誓って。だよね、宵星さん」
「あ、えっと……」
「そこで強いたらむしろ怪しいよお姉ちゃん」
ほぼ同じ顔を向かい合わせて、凛月と日織のやりとりがまだ続きそうな感じがあったが、パンパンと手を叩く音が医務室の入り口から聞こえてきたことにより、それらは続かずに終わった。
「そこまでだ。一星姉妹」
そう言いながら、医務室に高松先生が入ってくる。呼びに行っていた咲も、その後ろにつく形で入ってきていた。
高松先生はベッドの端に来るとふっと笑った。
「大丈夫か?」
「はい、大丈夫……です、けど……あれ? そういえば、私、なんで眠って……」
「宵星、記憶はどこまである?」
「えっと、確か天井が落ちてきて……その後は……」
そこで、雫が言葉につまり始める。
「天井が落ちてきた後、そこからの記憶はあるか?」
真面目な顔で先生が聞くので私は少し背筋を伸ばした。
「えっと……何だか夢を見ていた様な……」
「夢?」
「分かりません……まるで記憶が闇で霞んでる感じがして……」
それを聞いて先生は顎に手を当て目をつぶる。
「まさか……な」
「……先生?」
「いや、なんでもない。寮に戻れるか? 宵星」
高松先生の言葉を受けた雫は、自らの手のひらに視線を落として、開いて閉じてを数回繰り返す。その後で、再び真っ直ぐ先生を見据えて
「大丈夫です」
「そうか。無理はしない様にな」
はっきりとした意思表示を受けて安心したのち、高松先生はこれまで雫にだけ向けていた視線や言葉を、残る面々にも向けた。
「この場にいる人間は、明日、戦術会議室に来るように。これは強制だ。以上」
そう言うと、高松先生は反論や文句を一切受け付けないとでも言うように、すっと医務室を出ていく。
その後ろ姿をこの場の生徒一同で見送った後、最初に口を開いたのは凛月だった。
「なんか面倒事の予感……」
「ちょっとお姉ちゃん……!」
凛月が漏らした素直な感想を、日織が窘める。
それを聞いても、凛月は特に反応をすることなくしばらく考えていたが、
「うん、なぁんにも分かんないし、今日は帰ろっか」
そう口にしたのちに、それじゃーね、と言いながら背中越しに手をひらひらさせて、凛月はそのまま医務室を出た。
「え、あっ……それじゃあ皆さん、さようなら」
日織も姉の行動に少し戸惑いながらも、残る面々に一礼をして、保健室を出ていった。既に鞄を持っている2人はそのまま生徒玄関に向かい、道中で会話を再開していた。
「お姉ちゃん、急に帰ろうとしたから私びっくりしちゃった」
「ああいえば日織は絶対ついてくると思ったし、そもそもみんな、高松せんせの『強制だ』を聞いてからどうしていいか分からなさそうだったからね」
「まぁ、それはそうだけど……」
「ああいう場面では、誰か言いだしっぺになって動かないと動かないもんだからさー。その役割を、おねーちゃんが買って出た、というわけですよ」
最後の方の言葉を少しおちゃらけ気味に言う凛月。
本当かなぁ、と数秒ほど日織が軽い疑いの目を向けていたが、靴箱が見えてきたことでその視線も含め会話自体が少し中断する。
2度目の再開は、駐輪場についてからだった。
「ねぇお姉ちゃん」
「ん、なぁに?」
鍵を差し込んで錠前を外し、自転車にまたがった、というところで、日織からの問いかけを凛月が受け取る。
「雫ちゃん、一体何があったの?」
「えっとね。最初は別に何もなかったんだけど……途中、天井の崩落が起こって、反射で自分の身を守ろうとしたらさ、瓦礫が落ちてこないことに気づいて。そっから色々あった感じ」
「その色々が知りたいんだけど」
「まぁ待ちたまえ日織クン。あせってもいいことないぞ」
これから深刻さを増していく中身を和らげるように、凛月はまた変な言い回しを用いて、日織を制する。
「雫ちゃんに黒い靄みたいなのがかかっててね。途中乱入してきたラビット・ウェールズの兵隊たちを飲み込んで、晴れた時にはみんな倒れてた」
「ラビット・ウェールズって、あの……?」
「そ。西にウサギあれば東に亀ありの西の方だねー」
割とあっけらかんという凛月に対して、日織の表情は青ざめ、固くなっていくのが分かる。
それを見た凛月が、これまでゆっくりと漕いでいたペダルを止めた。止まったことに気づいた日織も少し遅れて自転車を止める。
「どうしたのお姉ちゃん?」
「日織、ちょっとそこの自販機で休憩しよー」
「え、うん。いいけど……?」
「多分その顔のまま自転車こいだらこけるよ」
2人揃って自転車を止めると、凛月が近くの自販機に言って、少しして戻ってくる。
その手の中にあった2本のスポーツドリンクのうち、片方を日織にひょいと投げる。
「わっ」
「うん、ナイスキャッチ」
日織が両手で受け取る姿に左手でサムズアップをしながら、凛月は再び自転車の方へ向かう。
その後、一星姉妹は、それぞれの自転車のサドルに座り、のんびりスポーツドリンクを飲みながら、帰り道の景色をぼんやりと眺めていた。
「お姉ちゃん、私たちこの後どうなっていくんだろうね」
「うーん……」
日織の少し不安そうな声に少し影響を受けながらも、凛月はいつも通りに近い雰囲気で話す。
「なーんにも分かんないけど、確実に言えるのは、お父さんとお母さんにはある程度言わないとね。蒼水に入れた時点である程度の危険は了承してると思うけど、流石に後で知ったってのは嫌だろうから」
「そうだね。それは絶対にしないといけないね」
凛月の言葉に、日織が頷く。
蒼水学院に入学する、ということ自体、ある程度の危険は許容したものであるとみなされる。パティシエを職業とする、一般的な家庭である一星家でもそこに違いはない。
とはいえ、親である以上、娘たちの心配をしないわけがない。電話などで高松先生が既に一報入れている可能性はあるものの、自分たちの言葉でも表現しておくべきだと、この時2人は考えていた。
「ねぇ、日織、この際だから師匠たちにも一報入れとく?」
「え、 絶対あの人たち忙しいと思うよ?」
「そうだろうけど、仕事的にあの人たちの範囲内だとは思うんだよね」
「あ、そっか……」
2人揃って、首をかしげる。非常によく似た姿はしばらく続くが、
「うーん。これは悩んでも仕方なさそう。帰ってから考えよっか」
「うん、そうだね。お父さんやお母さんに伝えるのは確定だし」
そういって、中身のなくなったアルミ缶をゴミ箱に押し込むと、凛月と日織はそれぞれの自転車にまたがり、残る帰路を進んでいくのであった。
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