ベンチ

 京弥は急に寒気がした。橋の終点のほうに気配を感じる。玲奈の言う黒い影は見えないが。

「僕の後ろに」

 京弥は玲奈を庇う位置に立った。もし標的にされるとしたら彼女のほうだろう。玲奈に憑依すれば体を奪うことができる。霊感ゼロの自分にはきっと悪さはできないだろう。


『絞首刑』


 心霊アプリが物騒な単語を呟いた。きっと意味のない言葉だ。

「大丈夫? 来てる?」

 京弥は前を向きながら後ろにいる玲奈に訊いた。

「近づいてきてる。怨念の塊みたいな」

 京弥は磁場検知器を盾にするように前にかざした。

 ピピピピッ。

 すごい反応がある。時折マックスのレベル5までメーターが振り切れている。本当にそこに何かいそうだ。

「会話できるかな?」

「無理だよ!」


『あなたはこの悲しみを理解できない』


「悲しいのは、亡くなった人だけじゃないよ」

 京弥は一歩前に踏み出した。全身の肌がひりひりする。

「危ない!」

 背後から玲奈が叫んだ。

 その時、京弥の視界が暗くなった。黒い霧の中に入り込んだような。

 意識が遠のいていくような感覚があった。

 催眠にかかったように自分の口角が勝手に上がっていく。


 バチッ


 急に電気が弾けたような音がした。視界が明るくなっていく。意識も明瞭に。

 すぐ近くに、光があった。温かくて、心地良い光だ。

 黒い影がその光から逃げるようにして去っていった。

 光もやがて見えなくなった。

 京弥はしばらく茫然と立ち尽くした。

「京弥、大丈夫?」

 玲奈が京弥の前に回り声をかけてきた。

「うん、大丈夫。今玲奈が何かしたの?」

「私は何もしてない。できなかった」

「そう」

 京弥はもう一度目を凝らして周囲を観察したが、やはりもうあの光は見えなかった。



◇◇◇玲奈視点



 二人は心霊橋を後にし、街中にある公園にやってきた。深夜の静かな公園だ。

 玲奈は意識的に京弥から少し離れて歩いた。彼に悪いものが憑いたとかそういうことではない。むしろその逆だ。明るすぎる。

 京弥はよく心霊スポットに行く。霊の溜まり場に行って、どうにか会話できないかと試みる。霊感がないぶんいろいろな機器を用いて。

 京弥がどうしてそこまで霊と会話したいのか、彼の口から聞いたことはない。だけど玲奈にはその理由がわかった。痛いほどわかる。

「ちょっと休もうか」

 そう言って京弥が公園の道端にあるベンチに座った。玲奈も一緒に座れるよう片側に寄って。

 とても大切な人なんだろう。それはお互いにとって。

 聞かなくても、見ていればわかる。

「座らないの?」

 京弥が訊いてくる。

 座れるわけがない。


 だって、彼の隣には既に先客がいるのだから。


 自分たちと同じぐらいの年齢の女性。

 穏やかな表情を浮かべて、彼の隣に座っている。

 いつも彼の傍にいた。

 玲奈にはずっと見えていた。

 亡くなった、京弥の大切な人。

 もし霊がいるのなら、彼女と会話したい。霊と話すことができるなら、彼女と言葉を交わすこともできるかもしれない。彼女はまだこの地のどこかに留まっているのかもしれない。

 きっと京弥はそう考えている。

 一番傍にいる人を、京弥は見ることができない。声を聞くこともできない。

 だけど、二人の気持ちは繋がっていた。

 橋の上で黒い影から京弥を守ったのは、彼女だった。玲奈にはそれがわかった。

 今二人はベンチに並んで座っている。

 お似合いの二人だ。

 言葉は通じなくても、姿が見えなくても、心は通じている。お互いがお互いのことをこんなにも想っている。

 そこに玲奈の入る余地はなかった。二人を見ていると胸が苦しくなる。

 玲奈は本当は心霊スポットなどではなく、京弥と映画を観たり、レストランで一緒に美味しいご飯を食べたりしたかった。

 だけど玲奈にはそう言い出す勇気がない。

 京弥と彼女があまりにも輝いているから。

 霊感があるという理由で、心霊スポットに呼ばれるだけ。

 二人ではなく、三人の心霊デート。

 二人のことが羨ましい。

 命の垣根を越えて、繋がっている。

 いつか。

 いつか。

 自分の願いが叶う日は来るだろうか。

 彼の隣に座りたいという願いが。


『美雪』


 心霊アプリから偶然出たその名は、彼女のものなのだろうか?

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