心霊橋

 翌日、京弥は大学の学生食堂にいた。ランチ時で多くの学生で賑わっている。

「断る」

 京弥の正面に座っている同級生の女子、玲奈れいながぶすっとした表情でそう言った。

 京弥の前のテーブルにはチキン竜田丼、玲奈の前には麻婆丼が置かれている。もちろんそれは見せ物ではなくこれから食べる予定のものだ。

「まだ何も言ってないけど」

 京弥は苦笑いを浮かべながら言った。

「あなたがランチを奢ってくれる時は、絶対あれの話だから」

「わかってるなら話が早い」

 京弥は嬉々として続ける。玲奈は呆れた顔になった。

「今度夜中に橋に行こうと思ってるんだ。近くにダムがあって、もちろん曰くもある」

「どうぞご自由に」

「玲奈も一緒に」

「断る、って言ったでしょ」

 玲奈は麻婆丼を食べ始めた。山椒がかかっていて辛そうだ。彼女が言うには、辛いものを食べると耐性がつくらしい。

 つまり、悪霊のようなものに対する耐性だ。

 玲奈には霊感がある。京弥には見ることができないものを彼女は感じ取ることができる。

 京弥の目的のために、彼女のような存在は必要だった。

「冷めるよ」

 京弥のほうも見ずに玲奈が言う。まだ一口も口をつけていないチキン竜田丼のことを言っているのだろう。

 京弥と玲奈は以前にも何度か一緒に心霊スポットに行ったことがある。玲奈に霊感があるという噂を聞きつけて、京弥が誘ったのだ。渋々ながらも、彼女はついてきてくれた。きっと今回も来てくれると思う。

「僕は、霊と話したいんだ」

 その京弥の言葉に玲奈が驚いたように顔を上げ、数秒京弥を見つめた後、なぜか辛そうに横に視線を逸らせた。



◇◇◇



 数日後の夜、京弥はネットで噂の心霊橋にやってきていた。

「なにか感じる?」

 京弥は傍らにいる玲奈に尋ねた。結局彼女も来てくれたのだ。

「あなたに腹立たしさを感じてる」

「えっ、霊が?」

「私が」

 街の明かりが遠くに見える。辺りは虫の音や風の音以外静かだ。

 コンクリート造りのその橋は、充分二車線以上の幅があるが、入り口に柵が立てられ車両は通行止めになっている。橋の下では細い川が流れている。橋はかなりの高さがあり、もし落ちたらひとたまりもないだろう。ここでの自殺者の噂もある。

「あれっ?」

 京弥がカメラで橋の入り口付近を撮影していると、映像に妙なものが現れた。

「顔認証してる」

 それは人の顔の部分に合わせて画面に四角い囲いが出るカメラの機能だが、その顔認証が誰もいない空間に出現している。しかも囲いが上下にゆらゆらと移動していた。

 まるでそこに目に見えない人間が存在して動いているかのように。

「今そこにどなたかいらっしゃいますか?」

 京弥は顔認証が出た方向に向かって話しかけた。橋の左側の柵のほうだ。その先は空中で何もない。

「もしよかったら僕とお話してみませんか?」

 反応はない。京弥はスマートフォンを取り出して心霊アプリを起動させた。


『今隙間からあなたを見ています』


「えっ?」

 アプリを起動させた瞬間スマートフォンから合成音声が鳴り、京弥は驚いた。それはアプリがたまたまランダムで選択した言葉のはずだが、まるで本当に誰かが柵の隙間からこちらを覗いているような気がした。もちろんその場所には何も見えない。

「怖いんだよな、このワード。この前も出たし。隙間ってどこだよ」


 ふふっ


 ふいに女性の笑い声のようなものが微かに聞こえて、京弥は玲奈のほうを振り返った。

「今、笑った?」

「私があなたのジョークで笑ったことが一度でもある?」

「……ないかも」

 玲奈の声ではなかったのなら、今の声は何だったのだろうか?

「今この辺に顔認証が出たんだけど、何か感じる?」

 京弥は橋の柵の辺りを指差しながら訊いた。

「いいえ」

 玲奈はそう答えたが、なぜか京弥の示した方向からわざと視線を逸らせているように感じた。まるでそこに見たくないものがあるかのように。気のせいかもしれないが。

「そう。じゃあもう少し先に行ってみよう」

 京弥は玲奈を促して橋を進んだ。

 人里から離れた静かな夜の橋。肝試しでもなければこんな時間に来る人間はいないだろう。

「霊ってさ、どんな感じなの?」

 京弥はいつも以上に口数が少ない様子の玲奈に歩きながら話しかけた。

「人間だよ。私たちと同じ」

「玲奈は霊と話せるの?」

「大抵の霊は、ただぼんやりと漂っているような感じ。ここがどこなのかとか、自分が誰なのかもよくわかっていないような。こちらから話しかけても、だいたいは無反応。たまにチラッと視線を向けることがあるぐらい」

「そうなんだ」

「会話はできないけど、なんとなくその人の感情のようなものを読み取ることはできる。だけどあまり近づきすぎると入ってこられる」

「入られる? 憑依ってやつ?」

「うん」

「それはどんな感じ?」

「自分じゃないものが入ってくる感じだよ。乗っ取られていくような」

「へえ」

「京弥はさ」

「ん?」

「どうしてそんなに霊と……」

「なに?」

「……なんでもない。気にしないで」

 どうしたのか。ここに来てから玲奈は少し様子がおかしい。

 京弥はバッグから磁場検知器を取り出した。周囲の電磁波の反応を見ながら進んでいく。

 少しだけ、こんな時間にこんな場所で何をしているのだろうという考えがよぎった。

「ごめん。こんなことに付き合わせて」

 京弥は磁場検知器を左右にかざしながら玲奈の顔も見ずに言う。

「楽しくないよね」

「……べつにいい。ランチ奢ってもらったし」

 磁場検知器に反応はない。アプリも先ほどから何も発さない。

 ここに霊が出るというのはただの噂だったのだろうか。

「動体検知器を使ってみるか」

「京弥」

 玲奈が鋭く彼の名を呼んだ。

「なに?」

「向こう」

 玲奈は橋の奥のほうを見ている。

 京弥も同じほうを向いたが、とくに気になるものは見えない。橋の終点が見えるだけだ。

「あっちに、黒いのがいる」

「黒いの?」

「黒い影の塊みたいな」

「それって、悪いもの?」

「うん。すごい嫌な感じ。良くない感情が寄り集まったような」

 京弥はそちらから何も感じ取ることができない。ただ玲奈の焦りようは気にかかった。

「私たちを窺ってるみたい。こっちに来るかも」

「危ないな。ここ橋の上だし。もし憑依されたら」

「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ――」

 玲奈が真言を唱え始めた。悪いものから身を護るための言葉だ。

 その場に緊張感が走った。

「来るよ!」

 玲奈の鋭い声が鳴り響いた。

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