17.光あるところ(中編)

 夏が終わり、秋が来て、少しばかり冬の気配が濃くなったころ。エリアスは居住を変えることに決めた。いつしかの宣言どおり、馬鹿の移動時間に音を上げたわけである。

 だが、決して、自分が虚弱だったわけではない。平気な顔で往復するハルトの体力がちょっと異常だったのだ。その異常を、愛の力などという暴論で包括しないでもらいたい。

 王都の中心部から少し離れた庭付きの一軒家を借りることになったのは、つまり、そういうわけだった。

 宮廷とは少々距離があるものの、「土いじり、結構好きなんだよね」とのハルトの希望を重視した結果なので、問題はない。森の家からの移動距離と比較すれば、雲泥の差。あってなきような距離である。それに、王都の中心部に比べ静かな環境を、エリアスは気に入っていた。

 その家の居間で、とある冬の深夜。エリアスは文字通り頭を抱えていた。

「ふつうに疑問なんだけど、なんで外で呑むとそうなるの。アルドリックさんと呑むときはぜんぜん平気そうなのに」

 呆れる声音も柔らかいものの、今はそれも頭に響く。こめかみを押さえたまま、エリアスは唸るように呟いた。

「アルドリックは絶対に適量以上は呑ませない」

「ええ、なにそれ。甘すぎじゃない? それで甘えすぎじゃない? なんかすごいびっくりしたんだけど」

 妬く妬かない以前の問題だよ、との苦笑まじりの台詞とともに、水と薬をハルトがテーブルに置く。酔い覚まし用にエリアスが作っていたものだ。

「というかさ、外で職場の人と呑むときこそ気をつけるものじゃないの? アルドリックさんに言われたけどな、俺」

 返す言葉もない。黙ったまま、エリアスは薬を流し込んだ。五分もすれば効くはずである。たぶん、おそらくは。自分が作ったので、きっと。間違いなく、確実に。

「騎士団の集まりに顔を出し始めたときに。許容量を超えて呑むやつがいることも事実だが、潰れるまで呑むほうが馬鹿だ。みっともないし、第一危機感が足りてない。騎士団員としての品位にも関わる。自分でしっかり管理しろって」

「……」

「あの人、なんだかんだ紳士だよね。さすが貴族って言ったら怒られそうだけど」

「……まぁ、そうだな」

 貴族でも、いや、貴族だからこそ、ろくでもないやつはろくでもないぞ、という事実はさておいて、エリアスは同意を示した。アルドリックがまともであることに疑いはなく、偏見を押しつけたいわけでもない。こめかみから指を離し、顔を上げる。

「ハルト」

 すぐそばに立っていたハルトの名を呼ぶ。頬に触れた指の冷たさが心地良く、そっとエリアスは目を閉じた。冷たい、と呟くと、まぁ、冬だからね、と静かに声が笑う。

 酔いの残りに甘えて、手のひらに頬を寄せると、ハルトがまたひとつ笑みを落とした。

「猫みたい」

「気持ちが良いんだ」

 空気が震え、冷たい手のひらが額へと移動する。

「ちょっとはマシ?」

「ああ」

「ならよかった」

 開いた視界に映る瞳は穏やかで、ごく自然に愛おしいという情動が動く。ハルトだ。じっと見つめていれば、かすかに困った色が浮かぶ。

「宮廷の人間関係とか、政治とか。俺もよくわかんないけどさ、そこまでがんばって、コミュニケーション取らなくてもいいんじゃないの?」

「今までがなにもしなすさぎたんだ」

「でも、そういう付き合い、あんまり好きじゃないでしょ? 好きなら参加したらいいと思うけど、そうじゃないならストレス溜まるだけなんじゃない?」

 つまるところ、遅くに帰宅して、唸っている現状が心配らしい。ハルトの気持ちもわかる。だが、しかし。魔術師殿の事情や決意といったもろもろを、エリアスは一言に詰め込んだ。

「多少はしかたないだろう」

「どこの世界でも一緒なんだな。お酒のお付き合いも重要っていう考え方」

 しかたないなぁというふうに笑い、エリアスの額から手を離す。その指先が、自身の黒い髪を混ぜる。少し襟足が伸びたな、と思った。

 そういえば、「俺も一回伸ばしてみようかなぁ」といつかの夜に言っていた。とりとめのないことを考えていると、ハルトが小さく溜息を吐く。

「というかさ、こういうときに、ビルモスさまに甘えるカード切ったらいいのにって俺は思うけど。……ええ、誰がするかって、なんでそこで意地張るかな。潰して申し訳ないって青い顔で毎回送ってくれるエミールさんの立場にもなってみなよ」

 俺だったら絶対に嫌だよ、かわいそう、と嘯くので、エリアスはハルトの肘を引いた。返す言葉がなかったからである。違わず近づいた距離を、首を伸ばすことでゼロにする。

 唇を軽く合わせ、次いで輪郭を舐める。吐息ごとかぷりと食まれると、思わずといった声がこぼれた。再び伸びてきた手のひらに頬を包まれ、また少し喉が反る。

 深く合わさる音が響き、最後にじゅっと舌先を吸ったところで、キスは終わった。エリアスの銀色の髪を梳きながら、揶揄うようにハルトが言う。

「すごいんだけど、お酒の匂い」

「言っておくが」

 エリアスは、楽しそうな瞳を睨んだ。

「おまえが呑んで帰ったときもなかなかひどいからな」

「でも、俺、頭痛くなるような酔い方はしないよ」

「体質の問題だ」

「いや、だから、それがわかってるなら、なおさら気をつけなよ」

 甘えてくれる師匠もかわいいけど、でも、なんて。脈絡があるのかないのかわからないことを囁き、またひとつ唇を降らせる。

「部屋に行ってもいい?」

「同じ部屋だ」

「そうだったね」

 くすくすとした、柔らかな声。他愛のないやりとりはぬるま湯のようで、心地が良い。エリアスもそっとした声を出した。

「でも、了承が欲しいんだよ。あたりまえの話だけど、俺の元いた世界、そういうのにうるさくて。ほら、性的同意」

「性的同意?」

「そういうことは、相手の同意を確認してからにしましょうねってこと」

 はじめてしたときは、なし崩しだった気がするが。夏になる前の記憶が過ったものの、蒸し返すのは野暮というものだ。エリアスは目元を笑ませた。

「おまえとなら、俺はなんでも構わない」

「なんか、すごいこと言われた気がする」

 そういうこと言うと、うぬぼれるよ、と。あたりまえのことを言うので、覗き込む顔に手を伸ばす。甘えたくなったのだ。

「運んでくれ」

「お酒入ってるときばっかり、そういうこと言う」

 かたちの良い眉が下がる。たしかに、こういうときだけだ。エリアスは得心した。だが、こういうときでないとできないのだ。そういう意味で、深酔いすることは好きだった。

 危うげなく抱き上げる力に、さすが勇者殿だ、と軽口を叩けば、元だけどね、とハルトが笑う。

 寝室の扉を開けた先でベッドに落とされ、エリアスは首に腕を回した。被さる身体を、さらに強く引き寄せる。

「俺の特別に変わりはない」

 自分を変える、たったひとり。黒い髪に指を差し込み、柔い動きで頭を撫でる。深いキスを交わしながら、エリアスは密やかな声を立てた。

 余計なことを考えず、ハルトと触れ合う時間が好きだ。どうでもいいことを考える頭を空っぽにしたいのかもしれない。

 濡れた唇を見上げて、熱い息を吐けば、ハルトは再度のキスを落とした。愛おしむようなそれも、こめかみに触れる指の温度も。たまらなくエリアスの中のなにかを刺激する。

「ハルト」

 蕩けた表情と声音を自覚したまま、特別な名前を呼ぶ。と、ハルトの顔に浮かぶ複雑そうな笑みに気がついた。

「どうかしたのか」

「どうもしない。好きだなって思ってた」

「本当か?」

 胡乱な問いかけに、ハルトはわずかに目を伏せた。

「嘘じゃないけど、俺だけだったらいいのにとはちょっと思ってたかな。最近の師匠は、いろんな人と一緒にいるから」

「妬いてるのか」

「そうかもね」

 揶揄いを予想外に肯定されて黙り込むと、やり返すように黒の瞳が笑う。

「どうする? 俺がそういう集まりに行かないでって言ったら」

「言わないだろう」

「まぁ、大人だから。思っても我慢するかもね」

「子どものころからそうだった」

「そうかな」

 エリアスの肌を暴きながら、睦言の延長線上のような声で、ハルトは呟いた。

「でも、ずっと、大人になりたいと思ってたよ、俺」

 大人。もう何年も前、大人にしてしまったと悔やんだ子ども。なんでもないことと笑い、ハルトはエリアスの首筋に唇を寄せた。軽く歯を立てたところで、その顔が顔が上がる。

「どうかした?」

 今度問われたのはエリアスのほうだった。いったい、なにを勘づいたというのか。場違いなほどのきょとんとした顔を見つめ、苦笑を刻む。

 そうして、意図を持ってハルトの頬に指を這わせた。熱を逃されたくなかったのだ。

「昔もかわいかったと思っただけだ」

「本当に?」

 しかたないとゆるんだ瞳に頷けば、改めて唇が鎖骨に吸いつく。期待に疼いた声がこぼれ、エリアスは流されることを望んだ。

「まぁ、いいけど」

「っ、ぁ…」

「そのころも、今も。俺が師匠を好きなことに、変わりはないし」

 それだけのことだと言い聞かせる調子で、ハルトが言う。ハルトにかかると、世界のすべてが簡単なものに思えるから不思議だった。エリアスが考えて、考えすぎて、絡ませた思考の糸をいともたやすく解いてしまう。

 胸の尖りを何度も舐められて兆した性器を、ハルトの大きな手のひらが包み込む。先走りごとぐじゅりと擦られ、背筋が震えた。

「ハル、ト」

 縋る場所を探し、ハルトの首に腕を伸ばす。自分でするときとは違う、容赦のない圧倒的な快感に、エリアスはたまらず眉根を寄せた。指先で乳首を潰されて、びくりと身体が跳ねる。

「ん、いっていいよ」

 しがみついたエリアスの後頭部を撫でながら、ハルトはもう一方で射精を促した。

「好きでしょ、気持ち良いの」

「あ、」

 好き、と譫言のように頷く。好きだ。好きという衝動で、すべてを埋め尽くすことができたらいいのに。強く性器を抜かれ、エリアスはきつく目を閉じた。

「は……」

 力の抜けた身体をシーツに戻され、ハルトを見上げる。オイルの蓋を外す音がし、ぬかるんだ指がうしろの縁に触れた。あやすようになぞる動きがもどかしい。焦れた吐息の直後、つぷりと指が入り込んだ。

「ハルト……んっ、ぁ」

 内側を掻き回され、ひ、と喉が震える。気持ちの良いところを探られ、前立腺をいじめられるともう駄目だった。きゅっと足の先が丸くなり、強請るように頭を振る。

「ハルト…」

「もうちょっと。ね?」

 熱を帯びた声が宥め、暴く指の数が増える。執拗に慣らされ、エリアスはあえかに喘いだ。酩酊感にも似た快感の中、ぱさりと衣擦れの音が響く。

「……あ」

「は、……かわいい」

 期待のにじんだ声と視線を、そんな言葉で形容するのだから、本当に馬鹿みたいだ。視線を逸らせないでいるエリアスの頬に、温かな手のひらが触れる。

「ね、入れていい?」

 確認に頷き、宛がわれた熱を少しずつ呑み込んでいく。ぞわりとした圧迫感に、エリアスは細く息を吐いた。

「ハル、ん…っ」

「あ、……ちょっと、きつ……」

 途切れ途切れのやけに色気のある声に、深く呼吸を繰り返す。背中に爪を立てると、熱い吐息が耳朶をかすめた。

「あー……、でも、気持ち良い」

 こちらが少し落ち着いたことを見とめ、ハルトが腰を動かし始める。次第に速さが増し、硬い切先で内壁を擦られると、エリアスから一際高い声がこぼれた。

「は、とろとろ」

「ハ、ルト……ッ、あ」

「その目もすごく好き」

 かわいい、と反らした喉を噛まれ、ぴくりと踵が跳ねる。既に一度達した身体は敏感で、内からの刺激にも、外からの刺激にも、過剰な反応を示してしまう。突き上げられる快感に、エリアスの指先に力が籠もった。また、痕が残るかもしれない。

「師匠」

 快感に熟れた、けれど、揺るぎない愛情に満ちた声。幸せのさなかにいるはずなのに、なぜかじわりと不安が疼いた気がした。

「……っ、ふ、あ、…あっ」

 疼いた気がするともう駄目で、身体の奥を揺さぶられるたび、気持ち良さとかすかな不安が混ざり合う。

「師匠?」

 呼ぶ声に、エリアスはどうにか目蓋を持ち上げた。黒曜を見上げ、震える息を吐く。

 快楽に染まって、すべてを忘れたいというのに。愛おしさの詰まった瞳が、大切なものを扱うように触れる指先が、律動が。エリアスの勝手な逃避を塞き止める。腰を掴まれ、結合がいっそう深くなった。

「ぅ、あ…」

 視界がちかちかと眩み、腕が落ちる。世界がぼやけ、エリアスは細い声をこぼした。

「…………あ」

 はく、と不安定な呼吸があふれる。ハルトは、この世界に馴染んでいる。ずっといるという言葉も信じている。そのはずなのに、不安が訪れる瞬間があった。

 向こうに戻りたいと後悔する日が来るのではないか。ビルモスがその願いを叶えてしまうのではないか。そんなことを考えてしまう。

 満たされているから、不安を覚えるのだろうか。自分の弱さを断ち切ることも叶わないのだろうか。そうだとすれば、幸福というものも善し悪しだ。

 森の家にひとりでいたころのエリアスの心は、もっと平らかに凪いでいた。すべてから逃げ出すことで成り立った、仮初の安寧であったとしても、それでも。

「なに考えてるの?」

 問いかけの意味を半分も理解できないまま、頭を振る。ほとんど反射だった。そのすべてを承知した顔で、嘘、とハルトが笑う。

「ずっと、なにか考えてる顔してる」

 シーツを握っていた手を取られ、ぎゅっと指を繋ぐように縫い止められた。

「素直じゃないなぁ」

「っ、誰が、う、あっ、……ああ、あ!」

「いつか教えてくれたらうれしいって、俺もずっと思ってるよ」

 ずっと。ハルトが森の家に戻ってからのことだろうか。それとも、もっと以前からのことだろうか。

 ハルトは昔から聡い子どもだった。他人の感情に敏感で、思いやりがあった。だから、エリアスの弱さに気づいても、「信じていないのか」と二度は問わなかったのかもしれない。

 だが。ごつりと奥を突かれ、性器から蜜があふれ出していく。揺り動かされると、ぐずぐずに熱が募って、目蓋の裏が白く染まった。はぁ、と掠れた声で喘ぐ。

 思考も、感情も、なんだか、もう、ぐちゃぐちゃで。だったら、いいのではないか、と。ふと思ってしまった。ハルトも熱に浮かされている。そういったタイミングでの戯言なら、許されるのではないか。夜が明ければ、忘れてくれるのではないか。

 保証がなければ、絶対に口にすることはできない。けれど、保証があるのであれば。

「……、戻らないと誓えるのか」

 こぼれた台詞は、自分のものと思いたくない幼さをはらんでいた。きれいな黒曜石の瞳が見開かれ、律動が止まる。だが、エリアスは問いを止めなかった。

「おまえの国には、おまえの家族がいるだろう。俺にはないが、おまえには帰る場所があるはずだ。それでも」

 結局信じていなかったのかと詰られても、しかたのないことを言っている。みっともないことも承知している。その上で不安をぶちまけた。

「死ぬまでそばにいると誓えるのか。俺を選ぶというのは、そういうことだ」

 ハルトは、ただエリアスを見ている。喉が震え、熱い息がこぼれる。家族が欲しかったのかもしれない、とエリアスは気がついた。本当にいまさらで、でも、たぶん、そうだった。

 愛し、愛される、永遠の絆。自分には縁の遠いもので、それゆえに焦がれてやまなかったもの。だから、「結婚しよう」というハルトの甘言が怖かった。「馬鹿なことを言っている」と言い聞かせないと駄目だった。

 愛などわからないと嘯きながらも、本当は、はじめて得た愛情に縋りたかったから。

 向こうに返したくなどなかった。ふたりを覚えたあとに、ひとりになることは嫌だ。寂しい夜は嫌だ。けれど、誰でもいいわけではない。その相手は、ハルトがいい。

 あまりにみっともない本心だったせいか、ハルトはなにも責めなかった。エリアスを縫い止めていた手が離れ、散らばった銀色の髪に触れる。

「師匠」

 年齢にそぐわないほどの、慈愛に満ちた声だった。

「俺は、この世界に戻るって決めたときに、師匠にぜんぶをあげたいって。勝手だけど、そう決めたんだよ」

「ハルト」

「いつか戻りたいって決めて、向こうの家族にも精いっぱい伝えた。理解してくれたとは思わないし、悲しませたとも思うけど、でも、それでも、俺は師匠を取った」

 改めて聞かなくとも、随分と重い告白だ。けれど、頷く。ハルトがよかったからだ。ハルトが欲しかった。

「俺のぜんぶは師匠のものだよ。だから、師匠もぜんぶ俺にちょうだい」

 もちろん以外の返事があるはずもない。愛おしい顔を引き寄せ、唇を合わせる。そうしなければならない心地だった。愛おしくて、触れたくて、大切で、しかたがない。

 触れるだけだったキスが深くなり、侵入した舌に口の中を掻き回される。滅多とない性急さに、くぐもった声がこぼれた。

 だが、ハルトが興奮していると思えば、それだけで身体が熱くなる。焦れたふうに胸元を押され、エリアスはハルトを見上げた。無邪気な子どもから遠く離れた、男の顔。

「ハル、――んっ」

 再び被さった唇に言葉を奪われ、唾液が顎を伝った。濡れた内壁を擦り上げ、性器で奥を突かれる。その繰り返しに、腹がずんと重くなった。

 たぶん、キスが駄目なのだ。そう、エリアスは思った。ハルトとするキスが気持ち良くてしかたがない。過ぎた快感で跳ねた足がハルトにしがみつく。

「ふっ、ぁ――……ッん」

 溜まっていた熱が弾け、荒い息がこぼれる。落ち着く間もなく前立腺のあたりを擦られ、エリアスは身体を震わせた。締めつけたらしく、ハルトがぎゅっと眉を寄せる。

「あ、……や、ば」

 いきそう、とキスの合間に呟く声が、無駄に色っぽい。腹の中で脈打つ性器を感じながら、エリアスは長く息を吐いた。

 最後にもうひとつキスを落としたところで、ずるりと性器が引き抜かれる。

「あー、気持ち良かった」

 先ほどまでの色気が完全に消え失せた、あっけらかんとした感想。小さく笑って、エリアスは上半身を起こした。人当たり良くは努力の面があったとしても、この愛嬌は天性だろうな。そんなことを考えつつ、汗で張りついた髪を掻きやる。面倒だが、風呂に入らねばならない。

「ねぇ、師匠」

 いつもなら、お風呂準備してくるね、と。フットワーク軽く動き出すハルトが、なぜか背中にくっついている。エリアスはけだるく問いかけた。

「なんだ?」

「補給」

「補給?」

 また意味のわからないことを言っている。ほんのわずか呆れたものの、悲しいかな。ハルトの言う意味のわからないことが、エリアスは嫌いでないのだった。おまけに、体温が心地良いからいけない。穏やかな時間に身を任せることを、エリアスは選んだ。

「師匠」

 しばらくのあと。自分を呼ぶ声が肩胛骨に響いた。夜の台所で背中に縋った、小さなハルトを思い出す。もうずっと遠く、だが、今のハルトに違わず繋がっているもの。

「ずっと一緒にいてほしい」

 あのころの延長線のような、祈りじみた声。異なるものがあるとすれば、他人を優先するばかりだったかつての子どもが、自分の希望を音にしたことだろうか。

 夜に溶ける声で、そのつもりだと応じる。なにせ、今のエリアスには、叶える意思も、力もあるのだから。抱きしめる腕を指でなぞり、エリアスは幸福にほほえんだ。

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