第5話:ファミリー・イン・ザ・シュライン

 レイジは目の前で遊ぶ子どもを見て、ため息をついた。

 なぜ祠の破壊者の前に子どもがいるのか、順を追って説明しよう。


 昼間に目が覚めると、家の前に御琴がいた。なぜ家の前にいたのか、いつ家の場所を知ったのかは不明である。レイジも気になりはしたが、深く追求することはしなかった。

 そして御琴がある仕事を持ってきたのだ。霊能力者としての仕事である。彼女いわく、「祠壊して回るより効率よくない?」とのことだった。その仕事というのが、最近ある養護施設で起こる怪現象の調査と原因となっている悪霊がいる場合のお祓いである。


 そして今、目の前で子どもが遊んでいる。もう夜だというのに。


 彼が遊んでいるのは、動物のファミリーの人形だ。多種多様なドールハウスが販売されている、あのファミリーである。

 しかし、問題はそのドールハウスだった。


「お主……それは」

「これ? なんかね、貰ったの! 近くにあったんだって!」

「貰ってきた……だと」

「それを私が人形のお家に改造したんです」


 確かに、この施設の近所には祠があった。祠には、レイジが次成仏させようか迷っていたある悪霊が封じられていた。

 目の前のドールハウスがその祠だというのなら、怪現象の原因はこれなのではないか。祠の原型はとどめておらず、完全にドールハウスとして改造されてしまっている。破壊したうえで、改造までしたのだ。なんと罰当たりなことか。


 レイジは、近くに佇んでいる職員を睨んだ。


「お主、あの祠を壊してしまったのか」

「え!? あれ祠だったんですか!?」

「え? 知らなかったの!?」


 しかし、そんなことがあるだろうか。祠というのは、たとえ台座から取り外したとしても、祠であるという外観をしている。子どもが貰ってきたものをまさか祠だと思わないだろうという心理的盲点を突いているとしたら、あり得るかもしれないが。

 レイジは頭が痛くなりそうだった。


「ねえ僕、誰に貰ったの?」

「んっとねー、マリさん!」

「施設長か」


 なるほど、そういうことか。レイジは頷いた。今回の仕事は、施設長から依頼されたものだ。自分で祠を持ち出しておいて災いが起きたら怖くなって依頼した、とは思えない。

 そんな人物ならば、そもそも祠を不用意に持ち出しはしないだろう。

 では、なぜか。レイジは一つの結論に至った。


「恐らく、施設長が祠に封印された悪霊に操られていたのだろう」

「なるほどね、元々封印にほころびがあったのかあ」

「もしくは、封印しきれないほどの力を得たかだな」


 今回調査を依頼された怪現象というのは、子どもが一人また一人と消えているというものだ。神隠しと、施設長は表現していた。子どもたちには、共通点がある。

 ひとつ、この施設で暮らしている孤児であること。

 ふたつ、目の前の少年が遊んでいるドールハウスもしくは人形に触れたことだ。


「そして今、悪霊が取り憑いているのは……この人形だ」

「待って、じゃあなんでこの子は消えないの?」

「餌だろう」

「餌……そっか! この子が遊んでいるのを見て、羨ましがった子どもが触るから!」


 子どもというのは、純粋かつ強欲な生き物である。自分が持っておらず他人が遊んでいる玩具は、一層輝いて見え、遊んでみたくなるのだ。まして、ここは児童養護施設。この少年が貰ったとはいえ、玩具の多くは施設の共有財産である。

 子どもたちは、何の心理的ハードルもなく、素直に「僕にも私にも遊ばせて」と言えるのだ。

 この悪霊は、思っていた以上に賢いようだ。


「狡猾で卑劣……いや、純粋さ故の狂気か」

「たしか子供の霊なんだっけ」

「そうだ、孤独のな」


 レイジは職員に言って少年を避難させた。この部屋に誰も近づかぬよう、鍵をかける。

 そして、霊が取り憑いているであろう人形めがけて大量の清め塩をかけた。優れた霊能力者により清められた塩は、通常の食塩よりも高い効果を発揮する。魂なき人形のフリをしていた奴も、カタカタと身震いした。その身震いは形代となっている人形に伝播し、目に見える形に表れている。


「いたいよ……」


 いたいけな少年を思わせる、中性的な声が静かな室内に響く。

 しかし、霊体は現れなかった。塩および清め塩は、それ自体に霊を強制成仏させるほどの力はない。塩が霊に与えるのは、不快感と痛みだ。たいていの霊は、それに耐えきれず、怯え故に霊体を現す。塩を置けば、霊は近寄らなくなる。そういう理屈である。

 この悪霊、よほど精神が強いのか、あるいは幼い故かはわからぬがレイジにとっては厄介な相手だ。


「お主よ、この施設の子どもたちをどこへやった」

「みんなぼくの新しいかぞくになったんだよ」


 レイジは、目の前のカタカタと震える人形を見やり、頷いた。


「なるほどな」

「え、ちょ、どういうこと?」

「みな、人形に封じられておるか、あるいは……」

「人形に変えられちゃった?」

「その通り」


 前者の場合、レイジが気になるのは肉体の所在であった。肉体ごと特異な空間に閉じ込める悪霊とは、過去に対峙したことがある。人形がその霊的空間になっているのか、はたまた魂だけが閉じ込められ肉体はどこかへ隠されたのか。

 恐らくは、前者であろう。


「人形を探すぞ、恐らくはこの部屋のどこかだ」

「わ、わかった!」

「ただし、絶対に触れてはならんぞ」

「わかってるって」


 レイジたちは、部屋を徹底的に漁った。子どもの笑う声が、祠に鎮座する人形たちの中心の人形から聞こえる。悪霊は、遊んで貰っているとしか思っていないのだ。塩をかけられ苦痛を与えられたことなどとうに忘れ、大人たちが自分と遊んでくれていると感じているのだろう。

 純粋ゆえの邪悪さが、そこにはあった。


「み、見つけたよ!」

「こちらもだ、三体いる」

「こっちも三体! 神隠しにあった子供の数と同じ!」


 レイジの目に映る人形は、いずれも何かに怯えるかのようにカタカタと身を震わせている。恐らくは、人形の中に広がる霊的空間のなかで、外に出ようと足掻いているのだろう。あるいは、ただ何も為せぬことに怯え苦しんでいるのであろう。

 レイジは、人形たちを見比べ、どうすべきか思案した。

 

「どうする? おじさん」

「……対話を試みる」

「マジ?」


 御琴が首をかしげるのも、無理はない。無謀なのだ。相手は子どもである。大人の理屈が通用する相手ではなく、この行いに罪悪感なども持ち合わせておらぬだろう。子どもゆえの純粋なまでの狂気……それが、悪霊と化すほどの無念により増幅されてしまっているのだから。


 しかし、妻子のいたレイジには少年の霊は他人事ではなかった。


「お主、家族とはなんだ」

「なーに? クイズ?」

「ああ、クイズだ」


 子どもが「うーん」と考えている。


 この悪霊の成り立ちは、とても悲惨なものであった。猟奇殺人鬼すらも、恐らくは同情してしまうほどに。


 少年には、家族がいた。父と母、そして二つ歳の離れた兄である。少年の記憶の奥底にあるであろう昔には、四人は仲睦まじく暮らしていた。多少、兄を贔屓する父母への不満はあるにしろ、年に二度は玩具を買ってもらえた。それが比較的高額な玩具であったとしても、少年よりも少女が好むようなものであったとしても、父母は小言を言いながらも最終的には少年に買い与えていた。


 しかし、そんな日常は唐突に終わりを告げる。少年が兄と外から帰っている最中、弟は暴走し車道に入り込んできた車に轢かれそうになったのだ。少年には、全くの非はない。歩道で兄と談笑しながら、遊び場から帰宅する途中でしかなかった。

 兄は咄嗟に彼を庇い、死んだ。


 それから、少年は父母に疎まれるようになった。最初は暴言と暴力。最早定番すぎて何も言えぬほど、ありふれた虐待である。

 次第に父母の様子は変わった。沈み込んだと思えば突然狂喜乱舞するようになり、父は連日帰らぬことが増え、母も父とは違う男を何人も連れ込んでは家族と称し愛を育んだ。


「わからないや」

「だろうな」


 そして、最悪な出来事が起こった。母が男を何人も連れ込んでいた日、その日に限って父がいつになく上機嫌で玩具を抱え早帰りしたのだ。

 何人もの男とベッドに乗る己の妻と、その傍らで冷めた目で玩具を触る己の子。その異様な光景を目にして激昂した男は、男もろとも妻を殺した。少年は、その現場も目の前で見ていたのだ。


「家族って、さみしいからつくるものでしょ? どこかから拾ってくるものなんでしょ?」


 少年の悪霊がそう言い放つのも、無理はない境遇である。結局、父親が狂い家族だから許してくれと言い、少年の首を締めて殺し、自身もまた死んだ。


「ぼくもさみしいんだ、だからかぞくをつくるんだ」

「……間違っているぞ、少年よ」

「なにが、ちがうの?」


 レイジは深い溜め息をつき、天井を見上げた。今にも、目に涙が滲みそうだった。


「家族とは、愛し合う運命共同体のことだ」

「あい……?」

「見ろ、そして聞け、お主の言う家族たちの姿と声を……皆恐怖に震えている、お主を怖がっている」


 レイジは棚の中でカタカタと震える人形たちを指した。


「お主がどれだけ子を集めようと、お主が愛されることはない、満たされることはないのだ」

「知らない、そんなの」

「いいやお主は知っておったはずだ、かつて愛されていたときの記憶があるのなら」


 子の、すすり泣く声が聞こえる。それも、四方八方から。少年の声、少女の声。


「お姉ちゃんは難しいことわかんないけど、無理やり連れ去っても家族にはなれないってことはわかるよ」


 ずっと静観していた御琴が、腕を組み口を挟んだ。


「じゃあ、どうしたら家族になれるの?」

「君が心からその人を愛して、その人にも心から愛されたらかな」

「互いが互いを家族と認め、歩み寄ることこそが家族の証、それが愛なのだ」


 気がつけば、レイジの目からは涙が流れていた。

 これは、そんなレイジにしかできない説得だった。


「少年よ、皆を解放してはくれないか」

「……いやだ、ひとりぼっちは」

「ならば、俺達と来い。俺の元には似た境遇の霊が何人かいる。きっと、力になってくれる」


 彼には、これまでに出会った何人かの善霊が取り憑いている。正確には、その善霊たちは彼の所有物に宿っているのだが、似たようなものだろう。

 そのなかには、実際に家族に対して思うところのある霊が何人かいる。元は悪霊だった者もいた。


「どうして、そんなこと」

「俺には果たさねばならぬことがある。それにはお主の力が必要だ」

「……わかった」


 少年が言うと、人形たちが光り輝き、少年少女の姿へと変貌した。青白く輝くそれは、被害者たちの魂であった。彼らはいずこかへと飛び立っていく。どこかに隠された、肉体へと還ったのだ。

 しかし、二人ほどは人形から人間の姿へと変えた。

 なるほど、前者でも後者でもなく、両者だったらしい。


「ありがとう、少年」

「やくそくだからね、やぶっちゃだめだよ」

「ああ、お主を一人にはせん、約束だ」


 レイジはそう言うと、自身の腰に身に着けている小さい人形のキーホルダーの一つに彼を封印した。腰には何体かの人形があり、それら全てに何らかの霊が宿っている。小さな祠のドールハウスから、彼の歪な家族は姿を消した。

 代わりに、この霊たちが彼の家族になるのだろうか。それはわからないが、何にせよ、一件落着である。


「なんとかなったね、おじさん」

「……やはり、ただ強制的に成仏させるだけではダメなのだろうな。それではきっと、あの世の妻子も喜ばん」

「かもね、わかんないけど!」

「ふっ、そうだろうとも」


 レイジは微笑み、部屋の扉を開ける。最早、彼の心には少しの曇りもなかった。


 とうとう、最後の戦いへと挑むのであろう。この世にまだ大勢いる悪霊たちよりも、悪神よりも、優先すべき……本来憎むべき相手との戦いに。そのための切符を、今彼は手に入れたのだから。

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