第35話 蛇は謁見へと臨む

 今度はちゃんと入室許可を取って入ってきたメイドによるお茶とお菓子があったので、もう満足している感もあった。本心としてはだいぶ「帰りたい」に傾いていたので、転移手段さえあれば手土産に書置きを置いて帰っていたかも知れない。

 結局かかった時間はあれから半時間ほど。お腹一杯にならないように気を付けていても、何もないまま食べるだけとなるとそこそこ満腹感がある。


「大変とお待たせいたしました、リング様」


 ……それでもまぁ、突然の声に飛び上がらなかったのだから、最低限の警戒と緊張は継続出来ていたのだろう。

 見た目は優雅に余裕を持って、内心はバクバク言ってそうな心臓をどうにか抑えながら、ユーラリングは戻しかけていたカップを受け皿へと戻した。


「いくらでも待つ、と言ったのはこちらだ。それで機嫌よく過ごして貰えるなら、苦労の内には入らん」

「お気遣いの程、大変ありがたく思います」


 またしても丁寧な礼をしている筆頭執事の方を向いて応答すると、そう述べてからすっ、と頭を上げる。僅かに違和感を覚えてユーラリングが目を瞬く間に、その口元が笑みを描いた。


「それでは、改めまして。『天地の双塔』の主、サタニス様の準備が整いました故、謁見の間へご案内いたします」

「あぁ、頼む」


 その言葉に椅子を降り、近づいて行くユーラリング。それに合わせて、執事筆頭は僅かに身を引いた。その向こうに、いつ現れたのか、無かった筈の扉がある。

 ……違和感はこれか。と内心納得したユーラリング。恐らく転移と同時に空間を繋げたのだろう。もしくは、ギミック扱いの隠し扉か。

 そんな事を考えつつも扉の前まで足を進める。その間に執事筆頭は扉を開く位置へと移動し、ユーラリングが止まったのに合わせて中へと声を掛けた。


「リング様、ご入室です」


 声を掛けて一拍、す、と音も無く開かれたその向こうに居たのは、


「いらっしゃい、リングちゃん。待ってたわ」


 サタニスという“魔王”は妖しい色気を纏いつつ、自然と平伏したくなる高貴さを持つ、女帝系の美人だ。男の憧れの究極系の1つ、とも言われるその姿に、陣営関係なく大量のファン、或いは信奉者が付いている。

 紅い髪飾りで結い上げられ、真珠のように光を複雑に跳ね返す、長くうねる白髪。血の赤がうっすらと透けるほどに白い肌。その中にあって鮮烈な、噴き出した血の如き赤い瞳。鼻筋はすらりと伸び、その先の唇は鮮やかな紅が乗せられ、笑んでいる。

 身に纏うのは闇を切り取ったような、一切の光を跳ねかえさない黒いドレス。ぴっちりと首元から肘の先、足元までを覆うドレスは身体の線をくっきりと浮かび上がらせ、同じく黒の長手袋もあって顔以外の肌は一切出ていないにも関わらず、淫靡ですらあった。

 しゃらりと手元、首元で鳴るのは重ねられた繊細な金の輪。それだけで視線と心を奪い尽くされてもおかしくない美貌で、手を広げて歓迎の意を評した“魔王”サタニスに、


「……大変な歓迎を、ありがとうございます」


 何故か、若干顔を引きつらせてユーラリングはそう答えた。これには、うん? とばかり僅かに動きを止めるサタニス。どうしたものか、と困っているらしい、というのは読み取ったようだが、何の事かまでは伝わっていないようだ。


「…………すまない筆頭執事殿、任せていいだろうか」

「申し訳ございません、リング様。一度お戻りいただけますでしょうか」

「承知した」


 しかも何故か扉を開けた姿勢のまま向こうの部屋で待っていた、筆頭執事に声を掛けている。筆頭執事は筆頭執事で、ちら、とこちらに目をやると、しゅっ、とばかり扉のこちらに来てユーラリングを誘導にかかった。それに大人しく従って「客間」に戻るユーラリング。

 サタニスが、あら? と思っている間に、ぱたん。扉が閉まり。


「我が主。ドレスの前後が逆で御座います」

「えっ」

「首元の留め金は後ろで止める物で御座います」

「胸が苦しい訳だわ」

「後、その髪飾りはご自分で追加なさったのですか?」

「頭が寂しいかなって……」

「恐らくは蛇モチーフのリング様の前に出るに際し、蛇の串刺し型の髪飾りは流石にどうかと愚考いたします」

「あっ」


 そんな訳で、テイク2。


「いらっしゃい、リングちゃん。待ってたわ」


 ドレスを着直し、髪飾りを玉串型に変えて全く同じ姿勢と言葉で歓迎をやり直したサタニス。もうこの時点でぐだぐだだが突っ込んではいけない。

 なのでユーラリングもこれ以上は何も言わず、何も無かった、とばかりの態度だ。具体的には柔らかく笑みを浮かべ、す、と軽く頭を下げた。


「お招きいただき、ありがとうございます」


 外行き用なのは服装だけに非ず、態度も込みでこそ。と言うお手本のような優雅さでの応答。中の人の緊張度は別として、外面としては完璧であった。


「うちの者が迷惑をかけたみたいで、ごめんなさいね?」

「対処する、と聞いております。外に出さないのであればそれで十分です」

「ありがとう。さ、座ってちょうにゃっ」


 空気が固まる。


「コホン。……座って頂戴?」

「お言葉に甘えまして」


 テイク3。大丈夫かこの人とユーラリング(の中の人)は若干顔を引きつらせていたのだが、もちろん表には出さない。これ本題に行き付けるかなぁと随分低いハードルに頭を抱えているのも出さない。

 直径2m程の円卓には真っ白なテーブルクロスが掛けられているだけで、他には何もない。並んでいる椅子も上座に当たるのだろうサタニスの豪華な物と、その対面に来客用らしいシンプルな椅子があるだけだ。

 す、と手前にある椅子に座ったユーラリングが、ふと顔を上げると、


「よいしょ」

「我が主、流石にこの場面でそれはお止め下さい」

「でも遠いわ?」

「お止め下さい」


 ………………見なかった。『天地の双塔』の主程の“魔王”が自分の椅子を持ち上げてこっちに来ようとした光景なんて見なかった。

 テイク4としてサタニスが大人しく座るのを見つつ、ユーラリング(の中の人)は内心、「これは泊まりまで覚悟しないといけないか」と、遠い目をすることになった。

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