第21話 楠木舞は準備する。
窓から差し込む光がよく磨き込まれた床に反射して、朝の道場内を照らしている。
夜明けから間もないこともあって薄暗さが残り、まだ鳥の鳴き声すら聞こえてこないぐらいの頃――道場の中央に正座で座る一人の少女の姿があった。
道着に袖を通し袴を着付け、背筋がぴんと伸びた姿勢には凛々しさを感じる。
長い黒髪を後ろでポニーテールに束ねているその姿は、いかにも剣道少女と呼びたくなるような見た目だ。そしてその想像を肯定するように脇には一本の木刀が置かれている。
少しして少女の瞼がゆっくりと開かれると、流れるような動作で木刀を手に取りすっと立ち上がる。
片脚をさっと下げて正眼に木刀を構え、そして素振りを始めた。
一振り一振り丁寧に。だけど決してゆっくりな動作ではなく、風を切る音が規則的に道場内に響く。それは五十を超えても百を超えても止まらず……ついにそのカウントは千回を目前にする。
「――千っ……ふぅ」
千回目のときのみ終わりを告げるかのように回数を口に出し、振り切った体勢から再び構えを元に戻す。
かなりの回数をこなしたこともあってか、その頬には汗が伝っている。けれど呼吸に乱れは無く、傍目には一切の疲労を感じさせない。
そして次に始めたのは型の練習のようだった。しかしそれは剣道で習うようなものではなく、おそらくはどこかの流派に伝わるような剣の型だと思われた。
その瞳には何が映っているのか。まさに一心不乱という言葉通り、他の全てを意識から追い出して剣の練習に没頭しているように見える。
少女の動きは止まることなく、徐々に道場の中が明るくなっていく。
日が昇って来たのだ。
果たしてどれぐらいの時間、木刀を振り続けていたのか。少女の動きが止まったとき、その顔には滝のような汗が流れていた。
「…………」
「――舞」
「っ!? お、お母さまっ!?」
乱れた呼吸を整えていると、突然自分の名を呼ぶ声が聞こえて少女――
「そろそろ準備しないと、学校に遅刻しますよ?」
「えっ、もうそんな時間?」
道場の壁に設置されている時計を見ると、その針はいつもより三十分も余計に回っていた。
「ほ、ほんとだ!?」
「珍しいですね。いつもならロボットみたいに正確なのに」
「人をロボットに例えるのは止めてください。今日はちょっと気合いが入ってしまったというか……」
「そう――それより、さっさと汗を流してらっしゃい。このままだと朝食抜きになるわよ?」
「そ、それは無理ぃ!? お母さま、朝ご飯準備お願いします!」
「はいはい」
慌てて道場を後にする娘の姿を見ながら、舞の母も「掃除は……後でいっか」などと呟きながら急いでいる舞の朝食を準備する為に母屋の方へ戻っていった。
一方、いつもよりも倍速でシャワーを浴びていた舞はこの後の行動と時間を計算しながら朝練に没頭し過ぎてしまったことを反省していた。
その原因は分かっている。
数日前――
学校の帰り道で偶然ダンジョンの出現通知を受け取った舞は、シーカーとしてその場所に向かった。正直を言えば、自分一人で行くことに対して不安があった。
舞はシーカーになってから、その多くの探索を兄と共に行っていた。
自分よりもシーカーとしての経験が深く、何より実力者である兄が隣にいることで常にどこか安心感があった。
しかし今のままではいけないとも思っていた。それも舞の足をそのダンジョンへと向けさせた理由だった。
そしていざ到着してみると、そこにいたのは自分と同年代ぐらいの女の子だった。
柔らかそうな目元をしたどちらかと言えば可愛い系になりそうなその女の子は、自分と同じようにシーカーになったばかりだと言う。
だというのに、普段から一人で探索し、そのとき出現したような二型ダンジョンの攻略経験もある凄い人だった。
だから思わず一緒に攻略しないか、といきなり提案してしまったけどその子は快くそれを受け入れてくれた。内心、やってしまったとかなり反省していたのは多分バレてなかったはず……
そうして一緒に探索して、攻略して――やっぱり自分は今のままじゃダメだと思った。
それは強さ云々の話ではない。
自分一人でも相手を恐れずに立ち向かっていく。その心意気が自分には不足していると感じたのだ。
その子――宮内さんのように、自分の力で戦えるようになりたい。
そう考えると自然と気合いが入ってしまって、日々の練習にも思わず気合いが入ってしまった。近くランクアップ試験に挑むことも、気合いが入り過ぎてしまった理由の一つかもしれない――
「はぁー……よしっ」
「ちょっと舞。本当に遅刻しますよ~?」
「えぇ!?」
母が呼びに来たのに慌てて舞が時間を確認すると、本当にギリギリの時間になってしまっていた。
「もうっ~~!! 何で私って~~!?」
文句を言っても過ぎた時間は戻らない。
急いで制服に着替えて食卓に向かい用意されていた朝食を流し込むように掻きこむ。
「お行儀悪いですよ?」
「もごご、むごもごっ!!」
「何言ってるか分かりません。食べながら喋らない」
「っ…………ごちそうさまでしたっ! 行ってきますっ!!」
過去最速といってもいいほどの速さで朝食を食べ終えた舞は、そのまま全速力で学校へと向かって行った。
その後、何とか登校時間には間に合ったものの前日の鞄の中身をそのまま持っていってしまった為、教科書を忘れてしまった授業がいくつかあったのだった。
その日の放課後、若干気を落としながら家に帰って来た舞は制服から道着へと着替えると道場へ足を向ける。
途中ですれ違った門下生たちに挨拶を返しつつ向かった道場からは気合の入った声が舞の耳に届く。既に何人か門下生が来ていることを察した舞が足を急ぐと――
「兄様っ!?」
「ん? おお、おかえり舞」
「おかえりはこっちのセリフですよっ。いつ戻って来たんですか?」
「ついさっきだ。長旅の気晴らしも兼ねてこうしてちょっと鍛錬を見に来てたんだ――ほら振りが浅くなってるぞ! しっかり振り抜けっ!」
「「「はいっ!!」」」
「気晴らしでって、だったら休めばいいのに……」
「俺にしてみれば、じっとしてるよりもこうしてる方が休まるんだよ。それより舞、久しぶりに打ち合ってみるか? 俺がいない間にどれだけ成長したか見てやるから」
「たった二週間かそこらだよ……――でもお手合わせ願いますっ!」
「よし来たっ!」
自分が目指す先にいる人物の一人である兄との試合は舞にとって願ってもないものだ。むしろ言われなければ自分から言おうと思っていたところだった。
ランクアップ試験が迫っている今、自分よりも高い実力を持っている兄との試合はどこか蟠っている気持ちを晴らすのにもちょうどいい機会だった。
舞の兄は竹刀を振っていた門下生たちにそれを止めて自分と舞の試合を見ておくように指示する。
観戦者がいるぐらいで舞はもちろんその兄の集中力が削がれるなんていうことは無い。普段からよくしていることであり、道場の中でいえば上から数えた方が早い力を持つ自分達が手本を示すのは当然だという考えもあるからだ。
「いつでもいいぞ」
「はい……」
そうして対峙した二人だったが……その表情は対照的だった。
まだ打ち合ってもいないのに苦し気な表情を浮かべる舞に対し、兄の方はまるで何の緊張も感じていないような涼し気な表情を浮かべている。
自然体、と表現すればいいのか一見すれば何の圧力も感じない。
けれど開始以降まだ攻めていない舞の様子を見れば、それが素人目の勘違いだということが分かるだろう。
「……はっ!!」
少しして先の動いたのは舞の方だった。
何かしら隙を見つけたのかそれとも見つけられず強引に前に出たのか、どちらせよ舞は普段の時とも朝稽古の時とも違う力強い迫力でもって果敢に攻めていく。
「っ! っっ!!」
「前よりも打ち込みが強くなったか? こりゃ何度も受け止めてると腕が痺れてきそうだ。それに切り返しのスピードも前より、うん。ちょっと上がってるな。シーカーの活動の影響か。それにしっかり稽古してたのも見える」
「はぁっっ!!!」
「やっぱり舞は筋がいい。あと数年もすれば俺なんて追い越されるんだろうなぁ……でも――」
ひたすら受けに徹してい舞の兄だったが、試合が始まって初めてその竹刀が攻めのために動かされる。
舞の振り下ろしに合わせたカウンターとして繰り出されたその一振りは、舞の竹刀を滑るように軌道を逸らし舞の頭すれすれでピシッと止められた。
「っ!?」
「今はまだ俺の方が強いけどな。ていうかじゃないと兄としての威厳が保てないし」
「……やっぱり兄様は強いです」
「いやいやホントに舞も成長してるんだからなっ! 俺の方が先に剣を始めたんだから経験と年季の差があるのは仕方ないけど。でも俺が舞と同い年ぐらいの時はもっと弱かったぞ! 絶対に俺よりも才能がある!」
「もう一本、お願いします……!」
「そうだな。今度は俺も攻めてくから舞も気合い入れろよ」
「はいっ」
それが二人なりの兄弟のコミュニケーションだと言わんばかりに剣を交えた。
戦績でいえば舞の大敗だったが以前よりも少しだけ善戦できるようになった自分に手応えを覚えていた。
そうして鍛錬を終えた夕食の席。
「そういえば舞、お前次のランクアップ試験受けるんだって?」
「うん。一応要件は満たしたから今の自分の力を試すって意味でも、挑戦してみようかなって」
「てことはDランク試験かぁ。ていうかついこの間シーカー登録したばっかりだったはずなのにもうランクアップ試験を受けられるとか早過ぎないか? やっぱりうちの妹は天才か?」
「そんなんじゃないよ。私と同年代でもっと強い人だって沢山いるし、それにこの間も私と同じぐらいにシーカーになって次のランクアップ試験を受けるって人に会ったんだから。凄いんだよその人! 身の丈ぐらいの牛型のモンスターの突進を正面に立って真っ二つにしたんだから! 兄様ならともかく私にはまだまだ出来ないなぁ~」
「……そいつ、男か?」
「え? 女の子だけど」
「そうかなら良しっ。にしても舞ぐらいの年の女の子でそんな実力者がいるのか。その子も剣術やってそうな感じだったか?」
「多分やってない、と思う。パワーとかはともかく振り方は型とかを習った人っぽくなかったから。もし宮内さんが剣術もしっかり習ったらもっと強くなっちゃうんだろうなぁ。私ももっと頑張らなきゃっ!」
楽しそうに話す舞の様子を見ていた母がある提案をする。
「それなら、その子をうちの道場に連れて来ればいいのではないですか?」
「えぇー!? い、一応連絡先は交換したけどまだ二言、三言喋ったぐらいなのにいきなり家に呼ぶなんて」
「でも本音は呼びたいんでしょう?」
「それは、まあ……」
母の指摘に顔を赤くして恥ずかしがっている舞の様子を見た兄が今度は狼狽した様子で口を挟んでくる。
「な、なあ。その子、本当に女の子なんだよな? ほんとは男だったなんてことないよな?」
「何言ってるんです兄様? さっき女の子って言ったじゃない」
「そ、そうだよな。そうだよな……」
いらぬ疑問に頭を悩ませ始めた兄を無視して――
いきなり家に来ないか?と連絡するのもあれだから、ランクアップ試験の日に会ったらさり気なくうちの道場の話をしてみようかなぁ、などと考える舞。
せっかくちょうどよく兄が帰って来たのだから試験までの間に特訓をつけてもらう、あとはダンジョンに行って地力も上げておきたいし……など先のことに頭を巡らせる。
小花が試験に向けて準備する一方で、他の参加者たちも準備を始めている。
ランクアップ試験は決して勝負や試合の場ではない。
一番の成績を叩き出した者のみが昇格できるのではなく、合格基準を満たした者が次のランクへと上がることが出来る。
でもだからといって準備し過ぎてし過ぎなということはない。
何故なら試験に集まって来るのは自らと同ランクの人間たち、いわばライバルといっても過言ではない。そんな現在のまた将来のライバルたちに自分の力を示しておきたいと考える者も多いのだ。
他にもランクアップ試験は外部からの鑑賞が可能である。中には有名無名様々なパーティーやクランが試験を見守っていることもある。
つまりはそれに対するアピールをしてそんな存在の目に留まろうと考える若手シーカーも少なくはないのだ。
もちろん、全員が全員そんな思惑を持って試験に臨む訳ではない。
直に始まるランクアップ試験にはどんな者達が集ってくるのか。
それによってはひょっとすると穏やかなだけでは終わらないのかもしれない。
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二週間近くになりますが長らくお待たせいたしました!
また書きたい気持ちが溜まってきましたので更新させていただきます!
(改めて思いましたが定期更新って難しいですよね。作家さんとして活動されている方々は本当に尊敬します……!)
では次回の更新をお楽しみに!
こんな感じですが応援してくれると嬉しいです!
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