第3話 あなたが好きです

清霞は険しい表情のまま、渋めの日本茶をごくりと飲んだ。

美世はあいかわらず暗い表情ですこしずつ、ぜんざいを口に運ぶ。


「怖かったか。」

「いえ・・・・・。」


そういえば大きな異形を目の前にしたのは初めてのことだった。

怖かったかと旦那さまに聞かれて初めて、そういえば恐怖は感じなかったと思い出す。

それはそばに旦那さまがいてくださったから。


男らしいとは言えない細身の身体ではあるが、旦那さまの実力は知っての通りだし、ただ傍にいてくださるというだけで頼もしい。

かつて実家でひとり、悪意に耐えていた時とは違う、頼れる手がすぐそこにあることが美世にどれだけの安心感を与えているか、言い表せないほどだ。


わたしはこんなにもたくさん、大事なものをもらっているのにひとつも返せていない


そんな思いが美世の心を支配し、ぜんざいをより味気ないものにさせていく


美世と清霞が向かい合って座る席の横を颯爽と、洋装の女性がひとりで通りすぎていった。

背筋をぴんとさせて、堂々と、前を見つめる瞳はまっすぐだ。

きっとわたしもああいう女性であれば、旦那さまを少しは支えられただろうに


旦那さまはお優しいから、わたしの過去を知って情が湧き捨てるに捨てられなくなっているだけかもしれない


しゅんとちぢこまったままうつむく美世に清霞が少しむっとした口ぶりで尋ねた


「では何が美世をそうさせているのか、教えて欲しい。私は言ったはずだぞ、今回の件、お前に非はないと。」

「はい。」


本当は情でも奇跡でもなんだって構わないから、この人の傍にいたいのだ。

努力したところで、旦那さまの隣に並べる人になれるとは到底思えない。


それでも、旦那さまの暖かさに触れていたい

また優しくお声をかけて欲しい

柔らかい瞳でわたしを見て欲しい

たとえそれが不釣り合いだとわかっていても


「旦那さまは、どんな方がお好みですか。」

「好み?それはどういう意味だ。」

「結婚相手はどのような方がよいのか、と。」


清霞は美世の質問の意図が読み取れず、ただ視線を泳がせた。

そこそこににぎわった店内のため、少し声を潜めながら

「だから、お前が良いと言っている。」


「ですが、旦那さまにはもっと、旦那さまを支えてあげられるような方が良いとわたしは思うのです。何かあれば助けてあげられる、怪我を治して差し上げられる、お仕事のお力になれる、そんな立派な女性がよいのではと、わたしは、」


机の上に置いた両手をぎゅうと握りしめながら、ようやく本心を言い終えた美世の息は少し荒く、それを見た旦那さまは一瞬驚いた顔をされて

けれど、すぐにいたずらっぽく笑うと


「十分支えてもらっているだろう」

とはにかんだ


「美世の作ったご飯はいつもうまい。一緒に食事をするために、仕事を早く終えて帰るだけの価値がある。それに、綺麗な服を用意して、ほつれたら直してくれている。十分、私の力になってくれている。」


「ですが、私よりももっと旦那さまにふさわしい人はたくさんいらっしゃいます。」


「いたらもっと早く結婚相手が決まっているんじゃないか。これは私が決めたことだ。私は美世と、結婚したいと思っている。」


過去に何度も見合いを破談させた旦那さまが、旦那さまの意思でわたしがいいと言ってくださっている。

なんのとりえもないのに、それでもわたしがいいと、まっすぐわたしを見てそうおっしゃってくださっている。


だったらやはり、わたしはもう少し、いいえ、たくさん頑張ってみたい。

いつか、いつまでも、旦那さまに釣り合う人間にはなれないかもしれないけど、それでも、この居場所を失くしてしまいたくないから。


清霞はもう一度渋い日本茶をひとくち含み、美世を優しく見つめた。


家に戻ってから、家にある救急箱をすぐに持ってきて美世は清霞に迫った。

「旦那さま、手当をさせてくださいませ。」

「いいよ。隊の人間がやってくれたんだから。」


清霞は軽く首を左右に振ったが、美世は引き下がらずに

「いいえ。五道さまより、応急手当であるゆえ、家に戻ったらしっかり消毒と包帯のまき直しをするようにと仰せつかっております。」


さぁ、さぁ、と迫る美世に根負けして清霞はしぶしぶ着物の襟から左腕を抜いて美世に差し出す。

「じゃあ、頼む。」


そうして腕をまじまじと見てから美世は自分の言い出していることがどういう行為であるかを思い出し、急に顔を赤く染めた。

清霞の白く長い腕が、少し傾いた陽のよく当たる部屋のなかで神々しくあらわになり、あきらめたような薄い青の瞳がじいと美世を見つめている。


だんっ、旦那さまのうでっ、うでがっ・・・・


細く見えるがよく鍛え上げられた腕は引き締まっていて、普段見ることのない腕の付け根あたりには格好の良い筋肉が心地よくついている。


どっくどっく今にも飛び出しそうな心臓で、なるべくお顔を拝見しないようにと傷口に集中しているつもりなのだが、ときたま、旦那さまは小刻みに肩を震わせている。

まさか、私の不慣れな手つきに吹き出しているのではなかろうか。


はっとして顔をあげると、仏様のように柔和な笑みを浮かべた旦那さまがわたしを見ていた。


「あの・・・なにか、おかしいでしょうか。」

「いや・・・・その・・・・・。可愛いなぁと思って。」

「か、かわっ」


驚きと同時に手に持っていた包帯がぽとりと畳の上に落ちた、ひとりでにころころと転がり明後日の方向へ行ってしまう包帯を追いかけようとして美世がバランスを崩した。


「おっと。」


不意に崩れた美世の身体を支えた力強い腕と胸の温もりは間違いなく旦那さまのものである。

同じ洗剤を使っているのに、なぜか旦那さま独特の香りが美世の鼻を抜けていく。


とくん、と大きく心臓が跳ねて、かぁっと全身に血がめぐっていく。


旦那さまの右腕が美世の腰を、左腕が背中を支えるように回り、硬直している美世をゆっくりと引き寄せた。

旦那さまの胸の中にすっぽりと納まってしまった美世は、どうしてよいものか分からずぎゅっと身体を固くして、ただ旦那さまのぬくもりを感じていた。


「美世が嫌でなければ、その腕を私の背にまわしてほしい。」


「はっ、はい。」


強くてしっかりとした腕が美世の身体をしっかりと包みこんでいる。胸に当たっている頬や耳からは旦那さまの鼓動がしっかりと聞こえて、それは一般的なものよりも少し早くて強いのではないだろうか。


今この時が最高にしあわせで、こんな時間がもっと、もう少し長く続いてくれたらいいなと思う。


背に回されていた旦那さまの手がゆっくりと離れていく。

美世は寂しさを感じながら、しかし、その時を受け入れようと思っていたが、違っていた。


背中から離れた手は、美世の頭の上に乗せられて、ぽんぽんと軽く叩いてから髪を撫でた。


「あなたが好きです。」


聞こえはしない、けれど、あふれ出して包み込むほど大きくて美しい愛情が美世と清霞をひとつにしていた。


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わたしは旦那さまがいいので【わた婚SS】 紅雪 @Kaya-kazuha

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