異邦人 - 4

 トヒルと知り合ってそろそろ三年が経過した。ハンノはカレンダーの日付を確認し、そう認識する。あっという間だ。


トヒルは良い友人だがハンノにとっては知り合ったばかりの人物にすぎない。今日は金曜日、いつものようにトヒルが訪れるだろう。ドアをノックする音が聞こえる。今日は一体何をするのだろうか。


「やあ、一週間お疲れ様」


トヒルはやけに疲れた様子で、ハンノの呼びかけに答えることも無く家の中へと入っていく。そしてぐったりとソファに座り込んでしまった。ハンノも慌ててドアを閉め、トヒルの隣に腰かける。


「そろそろ仕事を辞める時が来た。同僚に言われたのだ。もうこの職について十年になるのに全然変わらないと。話が上に行けば俺の正体の露呈にだって関わりかねん。お前も用心しろ。俺は今週中にこの国を発つ。短い間だったが、世話になった」


 トヒルは何かを隠している。ハンノは直感した。トヒルもハンノほどではないがそれなりに長い時間を生きている。


であれば正体を調べられる経験は初めてではない筈だ。特に寿命の生物しか存在しない世界では。これらのことを踏まえると、よっぽど緊迫した状況下に違いない。


「落ち着いて、一体何があったのか教えて。よっぽどのことが起きないと、君は慌てたりしない」


トヒルは頷くと、すまない、と答えて続きを話し出した。


「同胞が俺を探ることに協力していた。一応俺らの中の不文律として正体隠蔽の際は協力すると決めている。どうやら裏切られたらしい。あの顔は覚えている」


トヒルががっくりと項垂れる。裏切られることがどれほど辛いのかならハンノも理解できる。今でもジェイムズの息子が理解できないものを、化物を見るかのように睨みつけてきたことをハンノは覚えていた。あんな目を向けられたくない、その気持ちがハンノの心に鍵をかけたのだから。


「だったら僕にそいつの相手をさせてくれないか? 戦闘は得意じゃないけど、それ以外の手段で止めてみるよ」


トヒルは首を振る。


「ダメだ。相手は俺やお前よりはずっと若いが、相手が人間か同胞かくらいは見分けられる。それにあいつも天才だ。必ず自分が勝つ手段を見つけてくる。なおかつ歳の割には強いぞ」


もしかしたら、トヒルは過去にその同胞に負けたのかもしれない。ハンノはそう考えた。何も恐れることなく、長い生を生き延びているトヒルからは想像できないほど、頭を抱え思考をめぐらせている彼の姿は弱弱しかった。とっくに見慣れている彼の恵体が小さく見えるほどに。


「その様子からするに、かなりの強敵が相手らしいね。でも幸い僕にはある程度外見をカモフラージュする術はある。僕のためにも敵の情報を共有してくれないか?」


トヒルは顔をあげると、気をつけろよ、と答えた。


「まず、敵の生まれた時の名はアレクサンドロス、生まれは紀元前三五〇年ごろ……ちょうど二三〇〇年前くらいだ。ここからは他人の受け売りだが彼は自分が俺らの同胞と知った後は各地に潜伏し続け、十七世紀、三百年ほど前に初めて同胞らの前に姿を現した。


俺は彼の従者の一人をやっていた。あれは世界征服を目標に掲げ、そのためならばどんな手段でも厭わない下劣な男だ。あれも王だったとは到底思いたくはない。今回も俺の正体を探ればあれに有利になる話でも持ちかけられているのだろう。そもそも世界を征服したところで何になるという。嘆かわしいばかりだ」


トヒルのその説明からするに、彼にとってはそのアレクサンドロスという男はかなり厄介らしい。しかし、指導者と比べれば大した敵ではない筈だ。


「分かった。そいつの相手は僕がやる。友人なんだから。困っているときくらいは助けになりたいよ」


トヒルはやむを得んとため息をつき


「任せよう。だがあれと長時間接触し続けるな。どれほど隠そうとあいつはお前の正体に気付く。そうなればお前の存在はかつて指導者だった男の耳にもいつか入るだろう。それが千年後であれば良いが、そうだったとしてもあれの記憶を呼び起こす引き金になりかねん。また、話術の点では俺らの中でもあれは上位だ」


ハンノの頭の中には一つのアイデアが浮かんだ。その通りにすればそのアレクサンドロスという人物すら出し抜けるかもしれない。


「任せてくれ。僕には彼に勝つ手段が恐らくある」


トヒルは仕方ないと諦めたように笑い、


「だったらやってみると良い。お前なら、もしかしたらあれにも勝るかもしれんな」


どこかすがすがしいといった様子でトヒルは立ち上がると、ワインでも取り出すつもりなのか立ち上がって冷蔵庫の方へと歩いて行った。


 一週間後、一般市民の恰好をしてトヒルの後ろを歩く若い青年の後ろをハンノもまた何気なく歩くようにしていた。髪をダークブラウンに見えるようにし、不老不死人を行動不能にするために作られた武器を身に着け、治安が怪しくなる夜のストリートを進んでいく。


店はどこも閉まっており、遠方に見えるオフィス街だけが光り輝いている。防犯の為か観光資源か、人が交代で働き続けているのか。トヒルが上手く誘導し、恐らく諜報員の若い青年は人気のない裏道へ入った。


ハンノは体力のある方ではないが全速力で走り、トヒルを見失って辺りを見回す青年の背中に銃口を突きつける。


「突然すみません。お聞きしたいことがあるだけなので、こちらを向いていただけますか?」


青年はおそるおそるハンノの方を振り向く、そのタイミングでハンノはサングラスを外し、青年と目を合わせる。


「オーンクーツ。あなたの上司にあたる男の元へ僕を案内してください」


オーンクーツ、ハンノの故郷で命令するということを指す言葉で青年に指示をする。本来なら何を言っているんだと一蹴されてもおかしくないというのに、青年はついてくるようにハンノへ言い、ストリートを再び歩き出す。


「お前、俺に何をした? どうしてかお前をデイヴィスさんに案内しなければならないと思い込んでいるんだ。今初めて会ったばかりだっていうのに」


諜報員の青年はそうハンノに文句を垂れる。だが命令をキャンセルすることはできない。


「簡単だよ。脳に電気信号を送って、君は僕を案内しなければならない、という命令を下した。脳は言われた通りに君を行動させているだけだ」


 本来はこのような行動が出来るのは遺伝子操作を行われた者のみだ。だが、ハンノの故郷で作られた特殊なコンタクトは命令するという言葉をトリガーとして他者を一時的に従属させることを可能にした。


元々は指導者の仲間に遭遇した場合の戦闘モデルではないハンノの防衛用として与えられたものだが、まさかこんなところで役に立つとは思っていなかった。


「そうか。世の中には化物がいるって話は本当だったのか。高い金で雇われた甲斐があったぜ。金持ちの道楽に付き合わされるだけだったらいくら何でも勘弁してくれって感じだったからな」


「そうか。ところであとどのくらいで着く?」


残念ながらこの雇われの男は高額な報酬を受け取ることは出来ない。理由はすぐに分かることとなる。トヒルを見張るために彼の職場の近くのアパートに上司は事務所のようなものを構えているということだったので、三十分も歩かないうちにアパートまで到着した。


ハンノは動いていない筈の心臓が何故か若き日のように鼓動しているような錯覚に陥りながらも、サングラスをかけ直し、アパートの階段を上がっていく。無言で進み続ける青年はやがて三階の一番奥の部屋で止まった。


「ここか?」


「そうだ。入ってくれ」


青年が鍵を開ける。ハンノはお世辞にも広いとは言えないアパートの中を進んでいった。


「おかえりなさい、ユーゴー。と、そいつは誰だ?」


 ユーゴー、恐らく本名ではないが、そう呼ばれた青年はただいま戻りました、と狭いリビングでベランダを背景にまるで世界の頂点であるかのように一人掛けのソファに座る男へ頭を下げる。


ハンノはそんなユーゴーの真後ろに立ち、ソファの男からは見えないように銃をユーゴーの背中に突きつけ、発砲した。闇夜を貫くような発砲音に、ユーゴーが崩れ落ちる。その様子を見てなお、男は表情を一切変えなかった。


ハンノからは男の顔は、正確には目ははっきり見えているが、男の方からはハンノの顔は見えても目はサングラスで遮られている筈だ。若いうちは至近距離で目を合わせないと仲間を識別するのは難しい。


男は確かにトヒルの言う通りせいぜい二千年生きたかどうかというところだった。この星の人類史からすれば長い時間だが、ハンノにとってはそう長い時間でもない。


「こんばんは、お客様。随分手荒な真似をしてくださいましたね。要件は何でしょう」


怒りも動揺も感じられない声、青と黒のオッドアイの眼は正確にハンノのサングラス、その先の眼を捉えようとしている。


「そんなに目を見て大丈夫ですか? この死体の二の舞になりますよ」


 ハンノはユーゴーと呼ばれた男の死体を足でつつく。腹部の血管を狙ったからか動くことも再生することも無かった。ハンノは本当に人を殺し、本当の死をもたらしてしまったらしい。


すぐに逃げ出したくもなったが、ここで引いてはトヒルの身に危険が迫ってしまう。


「なるほど。あなた、目を見られては困るんですね。それで遮光性の高いサングラスでこちらからは目を見れないようにしている。あと、勘違いなさっているようなので忠告します。あなたが私を殺すよりも、私があなたを殺す方が速い」


 瞬間、男はジャケットのポケットから何かを取り出し、投げつけてくる。慌ててしゃがむことでハンノは避けたが、目に見えないほどの速度で投げつけられた何かの起こした風圧でサングラスが外れてしまった。


慌ててサングラスを拾おうとするハンノの手をいつの間にか立ち上がり、ハンノのすぐそばまで来ていた男によって踏みつけられてしまう。


「さあ、ちゃんと顔を見せてください。話はそれからにいたしましょう」


ハンノは腹部を蹴られ、仰向けにアパートの床に倒れこむ。月明かりに照らされたハンノの目を、男はじっくりとのぞき込んだ。


「なるほど。あなたの行動の意図はよく分かりました。それにしても、あなたは何年生きているんですか、私では見えないほどの時間のようですが。あなたはシンという男を知っていますか? あなたと彼は私たちとは比べ物にならないほどの時間を過ごしているんでしょう」


「オーンクーツ、今すぐに……」


ハンノが命令を言い終える前に、男はハンノの腹部を踏みつける。うめき声を漏らすハンノを、男は冷たい眼で見つめる。


「生きた時間の割には弱いんですね。命令ならやらせない。要件も大体、キャスパーの件でしょう。彼の身元調査を行い、その結果を上へ報告する。そうすれば私には世界を変えるための準備が出来るんです。


君も思わないか、この世界は私が死んで二千年経った今でさえ、一つになることはなく、依然問題は増え続け、平和はどんどん難しいものとなっていることを。そんな時こそ大きな力を持つ者が必要だ。


それこそがこの私なのだ。私はこの星の全てを統治し、完全なる平和な世界を作り上げる。そのために永遠を手にし、蘇ったのだ。死があっては、再び殺し合いが始まってしまうからな」


明らかに語り口が変わった。きっとこの男が人間の頃より持っている顔が世界を支配したいという支配者の側面なのだろう。


そういえばこの星ではアレクサンドロスという名の王が少し前に東西を支配し、文化を発達させたが彼の死後は後継者同士が殺し合いをする世界になった、ということがあったような気がする。地球人類史の講習内容だ。


「世界を一人で統治することは常人の域を超えた者であっても容易ではありません。世界が一つになることだけが正解ではありません。寧ろ争いを経て変化していく世界こそが正常な在り方なんです。


世界を手に入れたあなたは停滞に退屈します。そして争いを起こすでしょう。星の内部で、外部で。あなたは人として壊れてしまう、その高潔な志すら見失ってしまう。どうかそんなことはやめてください」


ハンノの腹部に再びかつてアレクサンドロスだった男の足が振り下ろされる。そのままかかとでハンノの腹を抑え続ける。


「黙れ! 貴様に私の志の何が分かる! 遠い地で我々を観察し、挙句の果てには支配しようとしてきた貴様らに! 私は失敗などせん。私は世界を……」


男がその言葉を言い終えるよりも前に、白い槍上の武器が男の心臓を貫いた。男は一瞬バランスを崩し、腹部の痛みから解放されたハンノは上半身だけでも起き上がらせる。一体何が起きたのだろうか、とベランダの方を見ると、トヒルが立っていた。


恐らく三階のベランダまで外から上がり、槍を投げて男の体を貫いたのだろう。男に刺さった槍をよく見ると、ハンノが護身用に与えられたものだった。


ハンノの同族に使用すれば、一時的に再生能力を阻害できる。耐性が無ければ、一時的に死亡状態にすらなるだろう。


「再生が……効かない……。私は……夢半ばで、死ぬのか」


ハンノは首を横に振る。


「その物質が発見された当時、私たちは大いに喜びました。やっと私たちにも終焉が訪れると。ですがその物質の分解が終われば私たちの体は何の問題もなくまた再生します。なので安心してください」


トヒルはベランダの窓ガラスを力ずくで割ると、アパートの中へ足を踏み入れる。


「これ以上俺のことを探り、金を得ようなどと考えるのなら、お前を何としてでも殺してやる。だが、今この場所で息をしている我々は同胞だ。俺だってお前を殺したくはない。それに世界を手に入れるという野心は嫌いじゃないぞ。故に、俺から手を引くのならこれで今回は済ませてやる」


アレクサンドロスは槍を引き抜くと、維持していた意識も限界を迎えたのか、まるで死んでしまったかのように床へどさりと倒れこんだ。真っ赤な血がフローリングを汚していく。しかしあと数時間もすれば目を覚ますだろう。


「ごめん、何とかするって言ったのに」


トヒルはまっすぐとハンノの方へ歩みを進めると、手を伸ばした。


「構わん。元々お前だけではこの男に勝てんことは分かっていた。それに、俺はだが、困難を共に乗り越えることも友人だと、思う」


 ハンノはトヒルの手を掴み立ち上がる。幸いにも現在の名は分からぬ男から受けた傷は回復しているようだ。サイレンの音がする、どうやら警察に通報されていたらしい。トヒルは槍を拾うと、ハンノの手を引きアパートのから出ようと階段を駆け下りた。


その後ハンノとトヒルはサイレンの音を避けるように裏道を通り、ハンノの住む高層マンションへと身を隠した。


二人はソファに座り込むと、思わず声をあげて笑ってしまった。


「僕、同族相手に戦うなんて初めてでさ。怖かったけど何だかすごくドキドキした。こういうアトラクション、故郷に持ち帰ったら絶対流行るよ」


「俺は友だから、という理由で誰かを助けたことなどない。不思議な感覚だ。何故だか心が満たされる。それに一番厄介だった相手を何とかできたんだからな。


かつての権力者と同じ名というだけで、あそこまで出来るのもまた才能なんだろう」


ハンノはひとしきり笑い終えると、トヒルの方へ目を向ける。


「何だ、いきなり」


「助けてくれて本当にありがとう。あとどうして僕の家には武器があるって分かったの? そんな話をした覚えないけど」


ハンノはふと気になったことを尋ねる。疑いたいわけではないが、家の中を詳しくは教えていない筈だ。


「お前は見た目をごまかすための装具を持っていただろう。もしかしたらお前ならこの地で指導者と戦闘になった場合の備えを持っているのではないかと考えた。それで家に立ち寄らせてもらったが、使用方法が分かるのは槍だけだった」


セキュリティ任せでそういえば鍵をかけることなく家を出てしまった。それ故にトヒルはハンノの部屋に入れたのだろう。


「仮に僕が鍵をかけて家を出ていたらどうするつもりだったのさ。管理人でも呼ぶ?」


「いや、扉を破壊してしまえば良いだけだ」


流石戦闘型モデル、とハンノは笑う。


「それで、これからどうするの? やっぱりこの国から出る?」


トヒルは数刻の間黙り込むと、申し訳ないと頷いた。


「やはり疑われ出すのも時間の問題だ。それに次の行先も定めている」


ハンノはそっかと返すことしかできなかった。しかし、不思議と寂しさはない。何故だか、どこにいてもトヒルとは友人同士でいられる気がしたのだ。ハンノが故郷に帰る日が来たとしても。


「次はどこに行くの? 休暇には遊びに行くよ」


「ペルー、南米の国だ。来てくれるなら、俺もお前のことを待ってやる」


ハンノは別れと新しい地でまた再開することを約束したい、そう考え手を差し出す。トヒルにその意図が伝わったかは分からないが、彼はハンノの手をしっかりと握った。

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