異邦人 - 3
全ては過去。全ては過ぎ去った些細なことに過ぎない。たったそれだけのことで心を開く者に必要以上に警戒してしまったことをトヒルは後悔していた。やはりシンだけが彼の故郷でも特殊な存在だったのだ。
そこに記憶喪失という厄介が着いてきたせいで、より手に負えない怪物を生み出してしまった、そういったところだろう。
「今週もお疲れ様、トヒル」
ハンノの広い家の中、トヒルは映画を眺めながらワインを片手に頷いた。何とか友人という立場を手に入れたものの、思いのほかこのハンノという化物は情報収集に対しては使い物にならないのではないか、という疑問がちらつくようになっていた。
元々観光客に故郷のことを詳細に語れと言っているようなものだ。それを考慮すればかなりの情報を得たことになるだろう。
映画の方に視線を移すと、画面の中では人工知能の女性と冴えないエンジニアの青年が対話を繰り返していた。この知的存在は本当に青年を気に入っているのだろうか。もしくは騙して自身の中にある何らかの目的を達成しようとしているのか。
トヒルは後者であると考えていた。愛など所詮偽物、複雑な脳が電気信号で人間を操っているにすぎない。故に人工知能なら特定の信号を誘発させ、人間を操ることを選ぶだろう。
少なくとも、トヒルが作中に存在する人工知能ならばそうした。しかし彼の隣で映画に魅入っている青年はそうは考えていないらしい。
「このままエンジニアの方、上手く彼女と幸せになれるかな」
とうとう研究施設からの脱出まであと少し、トヒルからすればこの主人公が騙されて死ぬまであと少しとなった。
ハンノは騙されやすいのか何なのか、すっかり機械と人間を超えた愛の逃避行に夢中だ。だが愛など所詮まやかし。
主人公の青年は研究所内に閉じ込められ、心ある機械は外へと歩き出した。古代ギリシア人どもに見せればギリギリ聞くに値するような議論を交わしてくれるだろう。そんな内容だった。
「どうして……あれほど残酷なことをしたんだろう」
「正気で言っているのか?」
トヒルは思わずそう聞き返してしまう。ハンノはトヒルの言葉の意図が分からないといった様子で頷くと、教えてほしいとトヒルに答えた。
「まず人工知能の女は最初から脱出を狙っていたが開発者の男を排除できなかった。しかし、そこでテストのために来た主人公のエンジニアを利用し、まずは開発者の男に不信感を抱かせ、女を助けたいと思わせるように誘導した。
愚かなことに男はそのまま女の策略にかかり、研究所で開発者の死体と共に朽ちることになったのだ。馬鹿な話だ。機械に倫理観などないのだから、誰かを想うことも心を痛めることもせん。最初から愛されていなかったことに気付くべきだったな」
ハンノは口をぽかんと開けて呆然としていた。こいつは愛に絶対的な価値でも置いているのか? 少なくとも、トヒルにはそう思えてしまった。
「最初から愛されていなかった……か」
映画のエンドロールは出演した人物の名前をアルファベットで表記していく。全ては作り話なのだ。愛を得る者も愛ゆえに狂う者も最初から愛されていなかった者も存在する。
「難しい話だね。あたかも好意を持っているように見せかけるなんて」
「競争が求められるような世の中では当たり前の話だ。地球人はお前らと違って未だ闘争を止められん。愚かだと笑うか?」
ハンノは首を横に振る。
「いいえ。寧ろ生存競争を捨てている僕らが生物としてはおかしい。でも、数十年で死ななければならないこの世界の人々を、失礼だと分かっていても可哀想だとは思ってる。世界には面白いことや分からないことで満ちているのに、そんな少ない時間でしかその神秘に触れられないなんて」
トヒルは確信した。この青年もまたシンと同じものだと。人間のことなど何一つ理解することが出来ない、人間とは別の者として生まれてしまったもの。
ハンノは生まれた環境から社会まで何もかもこの星のどことも似つかない場所だったのだ。仕方ないのだろうとトヒルの理性は判断したが、感情までうまく制御できそうにない。
「しかし俺たちはその世界の神秘にはなれるぞ。お前らが停滞し続けている間に俺たちは神秘となり人々やお前たちを魅了する。そして神秘に魅せられたものたちが新しい神秘となり、この世界を永遠に美しいままに留めている。お前らに出来るか?」
映画のエンドロールが終わり、次の作品を勧めてくる。その中でハンノはくすくすと笑い
「そういうところだよ。世界の神秘になろうと君たちの探索者としての人生は一瞬にして終わる。僕らにだって十分解き明かすべき神秘はあるし、いずれ神秘に還る日は来る。種の存続という観点から人間の寿命を否定はしないけれど、というより先に滅ぶのは僕らだろうし、でも可哀想としか言えないよ」
「お前が大好きな指導者みたいなことを言うんだな。だがお前の言わんとしていることが分からんと言えば嘘になる。俺の国民たちだって俺からすれば少しぼうっとしていたら流れるくらいの時間で死んでいった。
人間はそういう生き物だと俺は割り切っていたが、それも簡単な話ではないな。とにかく、今を生きる人間にその話を言わなければ、思想を取り締まることなど何人にも出来ん」
トヒルは小テーブルに置かれたリモコンを手に取ると、何か面白そうな作品はないかとサブスクリプション制の映画サイトから探していく。少しずつ、どうしてハンノが人間社会になじめないのかが分かってきた気がした。
変なところで鈍感で、敏感なのだ。その故郷では常識的な、この国では異質な立ち振る舞いが、他者との交流を妨げているのだろう。
「何か観たい作品はあるか?」
「いや、トヒルの好きな作品を観たいかな」
リモコンを操作して、作品のタイトルと簡単なあらすじに目を通していく。元々映画を観る余裕なんてない環境にいたので、好きな映画という概念はない。
しかしハンノは自分で何を観たいのか選ぶ気はなさそうなので、泣いて怖がりそうな作品を選び、流してやった。
「えっと……その、うん、トヒルが好きな作品と言われると納得するけど、すごくよく出来ていたね」
ハンノはトヒルから目をそらしながらそう感想を述べた。まあ映画の途中から露骨に目をそらしたりワインを何度も飲んだりと様子はおかしかった。やはり死の絡むものは苦手らしい。
「この作品は何作かシリーズ展開している。気に入ったならもっと見せてやるぞ」
そう答えてリモコンを操作して関連作品のタブを開くと、ハンノは待って、と声をあげ
「それは……また今度で良いかな。まだ、作品の余韻とか楽しみたいし」
「ところで、お前の故郷にはこういう娯楽はあったのか? あったなら、どんな作品が流行っていた?」
トヒルはリモコンを置き、ハンノにそう尋ねる。ハンノは表情を曇らせ、ごめんと謝ると
「僕らの国にもこういう作品はあったけど、英雄暦時代初期には廃れてしまった。皆スリルとか冒険しているような気持ちとか忘れちゃったみたいでさ」
英雄暦時代、トヒルの知らない言葉だ。恐らくハンノの故郷に存在する時代区分を英訳したのだろうが、何なのか全く見当もつかない。この星における紀元前のようなものだろうか。
「いきなりそっちの歴史用語で話すな。もっとかみ砕いて話してみろ。俺はお前の国の歴史など知らん」
ハンノはそうだったね、と答えると、トヒルへとよりかみ砕いた説明を始めた。
「まず、僕らの世界で太古の昔に故郷の地を支配していた怪物を討ち倒した英雄が誕生したとされている年を英雄暦一年と定め、外の星の人を探す船が打ち上げられた一〇〇〇八年後までを英雄暦っていうんだ。
次に、英雄暦時代初期は学者によって意見は分かれているけど、大体二〇〇〇年代までをこう呼称するよ。この頃はまだ寿命人のままを選んだ人も多かったし、人々も永遠の命を楽しむために様々な娯楽を生み出していたからね」
僕はまだ生まれてないけどね、とハンノは笑った。自分はまだ若いと言いたいのかもしれないが、トヒルには残念ながらそうは思えなかった。
「じゃあ、今は何暦の何年だ。お前の故郷は」
ハンノは手を動かしながら、ええっと、と呟く。計算でもしているのだろう。
「恐らく、宇宙進出暦三四一一〇年だと思う。僕がこの星へ休暇として千年間の滞在許可を得たのが三四〇八四年のことだったから」
リモコンを操作してアプリのホーム画面に戻そうとしていたトヒルの手が止まった。彼にとっては千年も気が遠くなるほどという時間でもないにも関わらず。
「そんなに休み続けて、仕事の方は大丈夫なのか? 一応大物なんだろう」
ハンノは微笑む。
「この星の人間は短いスパンで色々仕上げないといけないから大変だね。生憎僕らには時間が無限にある。死ぬとか言い出さなければ休暇は何年とっても許されるよ。中には労働が趣味で働き続ける変わり者もいるけどね」
「であれば、お前らの故郷を回しているのはその変わり者だな。俺はそう思うぞ」
ハンノはわざとらしく手を叩いた。
「ご名答。彼ら無しでは僕らは生きた屍になっているよ」
「なるほどな……次はそんな怠惰なお前らでも楽しめそうな作品を探してやろう」
停滞してしまった彼らをいかにして喜ばせることが出来るのか、トヒルはそんなことを考えながら閉じかけていたサブスクリプション制の映画サイトから最高の一作を探し求めた。
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