異邦人 - 2

 金曜日になると、青い髪の青年は本当にエントランスにいた。ぼうっと何をするでもなく立ちつくしている。その様子に違和感を持つ人物はいなさそうだ。彼が今回はカジュアルだが質の良いポロシャツとデニムという姿だからかもしれない。


「こんばんは、キャスパー・エヴァンズ」


トヒルから渡された名刺に書かれていた名前で呼んでやる。恐らくこの建物中に仕掛けられたカメラに音声も入る。であれば常識的に考えていそうな名前を呼んでやるのが適切だ。ハンノの判断はそうだった。


「あ……ああ、お前か。部屋で会った時と随分姿が違ったから、一瞬迷ったぞ」


トヒルのその言葉は、ハンノが仕事時、いつも髪色のカモフラージュ装置を身に着けているためだろう。別に髪を染めた技術者は珍しくないが、人々に記憶されにくい姿をとった方が正体の露呈を防げる、それがハンノの考えだ。


「まあ、目立つのも悩みなんですよ。あなたと違って」


ハンノはそう返すとエレベーターの方へ歩き出す。トヒルも彼に続いた。高階層にしか止まらないエレベーターなので、しばらくは誰も乗ってこない。だが特に話すことも無い。それはトヒルも同じだろう、と思っていると、彼は思いもよらない行動をとって見せた。


「虚しいものだな。金はあるのに心はない。全てをあきらめたようだ」


 懐かしい、故郷の言葉の響き、この世界のどこを巡っても似た言葉を聞くことはなかった、正真正銘の故郷の言葉だ。聞き覚えの無い訛りはあるが、それでも十分会話できるくらいではある。ありえない、どうしてという疑問がハンノの中を支配していた。


「恐ろしいか? シンがエンキという男に教えていたものを、俺も一緒に記憶した。筆記は上手くないが、音を似せるだけならできる」


「だから何だと言うんですか。僕に優位性を見せつけたいだけなら、こちらだってあなた達の言葉を覚えるくらい造作もないことです」


同じ言葉で反撃する。しかし罠にはめられたらしい。ハンノの言葉を聞くと、トヒルはにやりと笑う。


「何と戦っているんだ、お前は。俺はお前よりも優れていることを証明する気は一切ないぞ。ただ手段を示しただけだ。誰にも聞かれない会話もできる、とな。そして分かった。お前の心がそうにも閉ざされている理由が。怖いんだ、何かを失うことが、拒絶されることが」


ハンノは何も言い返せなかった。この一週間で青い髪の男はハンノを分析し、弱点を探ってきた。彼の目的は恐らく指導者である昔のシンを解明することだ。


脅威と話していたのを事実とすれば、記憶を戻そうとはしないだろうが、この黒曜石の神に他の仲間がいるとして、その仲間たちより優位に立つことを目的としているのは確実だ。


対応を間違えれば簡単に主導権をとられてしまう。早くエレベーターが目的の階に到着してはくれないか、願ってもエレベーターは一定の速度で階数を上げていくばかり。


「これ以上はやめにしよう。俺はお前を言いくるめたいんじゃない。俺はいつか、あの男を追い越したいだけなんだ」


「それは無理ですよ。あの方は私なんかが及ばないほど長い時を生きていらっしゃいます。誰もあの方には勝てなかった。あなたみたいな若者があの方へ挑戦したところで、といったところです」


こんなことを言ったところで、トヒルにとっては知ったことではないのだろう、というハンノの予想通りトヒルは知らないな、と答え


「だったらなおさら、お前らの常識をぶち壊しにしたくなるな。だが俺にもあれに到達することは容易ではないことくらいは分かる。一人で一国滅ぼせるのだろう、あれは」


 なんてハンノに笑いかける。ハンノはどうしたら良いのか分からず、ただただため息をつくしかできなかった。これならジェイムズやミリアと何気ない毎日に起こる様々を語り合う方がずっと満たされた毎日だった。


そういえば、ミリアはまだ生きているのだろうか。まだ二十年程度しか経っていないので、生きているとは思うが、ジェイムズの家はまだ貸別荘なのだろうか、まだロンドンの住宅街に家があるのだろうか、結婚しているのだろうか、子供はいるのだろうか、彼女の両親も息災だろうか。


ふと、短い間の思い出が蘇ってくる。着いたぞ、とトヒルに言われるまでエレベーターが止まったことにも気づかなかった。部屋に戻ると、トヒルはまるでこの家の主だとでも言うかのようにソファに腰をかけると、隣に座るハンノへ容赦なく英語で質問をぶつけた。


「お前は何を悲しんでいる? お前を全てから心を閉ざす者に作り替えたのは何だ? 歳上と分かっているがお前のその姿は俺よりずっと幼く見える」


この男に何が分かるのだろうか。この星に生きる全てとは別の生き物として、人と関わることに失敗したハンノ自身の。黙ったままハンノがトヒルの隣に座ると、トヒルは話を続け


「今日はそれについて聞きに来た。皆が俺らのような世界なんて想像しただけで吐き気がするが、そこで本物の死など実感できまい。話を人にぶつければ、時に楽になる。心を無理に開く必要はない、俺もお前のことを優しさではなく、哀れみでこう接しているのだからな」


どこまで話すべきだろうか。何故この男はハンノを哀れむのだろうか。ハンノの脳裏をそんな疑問が駆け巡る。


ここで弱みを握ってハンノを彼の何らかの目的に引きずり込もうとしているのかもしれない。具体的に何か、など何でもいい。ただこの男の食い物になってはならない、なりたくもない。


「よっぽどらしいな。仲間すら信じないとは。お前の言う指導者は何も恐れないぞ。あいつから見たらほんの一瞬で死んでいく人間たちと友人になり、共に生き、やがて彼らの最期を悲しむ。それを俺が生まれる数十年前から繰り返している。その中で何度でも人々から恐れられ、拒絶されてきたのだろう。それでもあの男は人間を愛し、その可能性を信じ続けている。


俺たちのようなあれの作った集団に属さない仲間たちにも一切嫌な顔はせず大事な仲間のように接してくる。鬱陶しいが、これらの行動はあれにしかできん。つまりだ、お前の指導者は人とは何もかも違う存在でありながらお前のように全てを拒絶し、心を閉ざし人々に見切りをつけるなど一切しなかった。そんな彼のもとで働いたお前なら、もっとよく知っているんじゃないか?」


 トヒルは感情表現がハンノとは別方向に下手くそなのかもしれない。哀れみと言っていたが、トヒルは単にハンノを慰めようとしているのだ。どうしてだが、それを無下には出来ない、ハンノの心がそう言った。


「きっとあなたのように他者を思いやれる方を、優しい方と言うんだと思いますよ。私に何が起こったのか、お伝えしましょう」


ハンノはそう言うと自身の身に起こった全てを話した。


公園でのジェイムズとの出会い、彼の死、彼の家族との出会いと別れ、ミリアを拒絶した自分自身。そんな長い時を生きる彼からしたらよくある話かもしれない、ハンノにとっての悲劇をトヒルは静かに聞いていた。


そしてハンノが語り終えると、トヒルは何も言わずに頷いた。


「初めてにしてはなかなか壮絶な経験をしたな。流石にお前のところの指導者も最初はエンキという味方がいたぞ。人間不信にもそれはなる。こんな空虚な富で心を満たすのも分からなくはない」


先ほども登場したエンキという男は、ハンノも聞き覚えがあった。なんとこの星の文明調査を行っていた彼らの計画を聞きとり、浄化計画の阻止を試みたらしい。


そして唯一ハンノやトヒルの同胞の中で、本物の死を獲得した者だ。その死体を解剖したかったが、指導者がエンキの死を悲しみ、埋葬する姿を見た調査隊はその死体を持ち帰る気にはなれなかったらしい。


指導者にとってエンキはよっぽど良い友人であったのだろう。


「いいえ、私にも味方になってくれそうな方はいました。しかし僕は彼女を拒絶してしまったんです。それも傷つけて。あの時は気が動転して、僕には敵と味方の判断が下せなかったのです。愚かなものでしょう」


トヒルは黙って首を横に振る。


「それは簡単なことではない。はじめは誰しも誤ることだ。お前らの指導者も、人の身だったころはそうだったはずだ。お前がそれで心を閉ざし続けるなら否定はせん。だが、お前ほどの人材がそうすることを俺は勿体なく思う。俺とだけでも、友人にならないか。俺は死なん」


 暖かい、何がどう暖かいのかは上手く説明できないが、今まで心の中に抱えていた暗雲のような感情が全て消えていくような感じがした。しかしどうしてこの青年はハンノのためにここまでしてくれるのだろうか。今はそれだけがどうしても知りたかった。


「でしたら、あなたのことを教えてください。あなたがどのように生き、何故私を哀れに思ったのか。そうでないと、あなたを完全に友人とすることは出来ません」


トヒルは観念したように笑うと、簡単にだ、と話をはじめ


「俺はシンとエンキが生まれた百年後に生まれ、隙を見てあいつらの血を飲んで仲間になった。だがその罪の意識にさいなまれ、後世の人間が新大陸と呼んだ場所へ逃げ、そこで国を築いた。


それから七千年、俺は世界のどこよりも強い国を作り、お前らに挑んだ。だがお前らをこの星から追い出すことは出来ず、大洪水に全てを奪われた。お前らを追い出したのはシンであって俺ではなかった。俺は初めて己の無力さを知った。それから俺はもう一度国を興す勇気もなく、惰性で五千年間を過ごしている」


彼が語った人物に該当する者に、ハンノは心当たりがあった。この星でかつてどの文明よりも栄え、挙句には調査隊の保有していた技術の研究までを行い、彼らからの独立を望んだ要注意人物。


「あなた……ウシュムガル……なるほど、あなたの記録は調査隊がしっかり持ち帰ってきましたよ。あなたのおかげで計画が全て狂ったと」


ウシュムガルは誇らしげに笑うと、まだ覚えていたのか、とハンノの顔を覗き込む。


「俺を罪人として処刑するか? まあお前では俺を捕らえることも出来んだろうがな」


残念ながら彼の言葉は本当だ。ハンノは指導者と異なり戦闘特化型ではない。ここでトヒルに挑んでも殺されるだけだ。それに彼は指名手配犯という訳でもない。


単に特筆するべき人物として、語り継いでいるまでだ。この星における「指導者」として。


「処刑という行動に意味など見出していませんよ。それにあなたが悪いことをしたなど、誰も思っていない。まあ計画は台無しになりましたが、あなたがいようがいまいが、いずれ失敗したんだと思います。私たちはあの頃、自分達を神と思っていました。しかし、あなたがたの件も含めて色々ありまして、自分達が神ではないと思い知らされたんですよ」


 トヒルはハンノから視線をそらすと、外の雄大な人類文明を眺める。仮に調査隊が浄化計画を立案せずに撤退していたら、この地に大国を築いたのは彼だったのかもしれない。何か思うところはあるのだろうか。


「お前らはつくづく馬鹿らしいな。人間が神になどなれるはずなかろう。だが、その傲慢さが技術を発達させ、俺の作った全てを破壊することすら可能にしたとも言える。それに、一歩間違えれば、俺も驕り高ぶって周辺諸国だけでなく遠方までをも征服し、絶対唯一の神としてこの世界に降臨しようとしたかもしれない。お前たちのように」


完全無欠といった雰囲気のトヒルが自分のしなかった失敗の可能性を語るのがどうしてか面白いものに思えて、ハンノはつい笑ってしまった。


「きっとあなたは良い指導者だったんだと思いますよ。あなたの言うシンという方とは別の方向で」


「そうでもないと、死んでいった国民に顔向けできそうにもない」


摩天楼は地球文明が発明した電灯で輝き続け、地上から夜空を明るく照らしている。このマンションの一室を照らす光も、夜空の星をかき消すことに貢献しているのだろう。かつてウシュムガルの民はこの世界へ、そして外に広がる星々へと挑んだ。


ハンノの故郷でもそれは同じだった。遠い星々から生命の暮らす星を探し出し、彼らへと挑んだ末に敗北した。明るく照らされた夜はそんな敗北の記録を全て消し去ってくれるようで、ハンノもつられて窓の外の見飽きたはずの摩天楼に見とれてしまった。そんな時、トヒルがふと思い出したかのように話し始める。


「これで、お前と俺は友人同士だ。それで構わんな」


ハンノは大きく、はっきりと頷いた。彼ならばジェイムズやミリアのように失ってしまうこともない、そしてハンノのことも理解してくれる。


「だったらワインでも開けて盛大に祝いませんか? お好きなら、ですけれど」


「良い趣味だな、ぜひとも」


 ハンノは冷蔵庫からワインを取り出すと、グラスに注ぎ、一つをトヒルに手渡し、自身もグラスを持ってソファに座った。


「新しい友人に乾杯」


ハンノがそう言うと、トヒルは自身のグラスをハンノのグラスに軽くぶつけた。


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