第164話 取引
夕方にグリズリーさんの事務所を訪れた。
既に夏休みも終盤になって学園内で活動する生徒が増えてきたなと感じながらぼーっとしていたら、いきなり連絡が来て驚いたのだ。最近はゴエティアの問題ばかりであまり他の仕事をしていなかったから、もしかしてなにか大きな進展でもあったのかと思っていたのだが……呼ばれた理由は「彼女が呼んでいる」というものだった。
事務所を訪れた俺が目にしたのは、椅子に座りながら一心不乱にスナック菓子を食べている澪の姿だった。
「……与えすぎないでくださいね?」
「俺がやったみたいな言い方をするな。やったのはエドガーだ」
「あぁ……確かに、あの人なら求められるままに与えてそうなイメージありますね」
子供に弱そうと言うか……とにかくそういう雰囲気のある人ではあると思う。
俺が来たことに気が付いたのか、澪は手に持っていたスナック菓子を机の上に置いてから俺の方へと身体ごと視線を向けてきた。
「待ってた」
「呼び出しってどうしたんだ? てか、頬にお菓子ついてるぞ」
菓子の欠片を取ってやると、澪はそのまま頷いた。
「貴方が知りたいこと、私が知ってることなら全部喋ってあげる」
「……言ったろ? 澪からゴエティアの話は聞くつもりが無いって」
「聞いた。でも、私から話すなら問題ない……それに、貴方が言っていたのはあくまでも私から無理やり情報を聞き出すことをしないと言う意味。なにより、貴方たちは少しでも情報が欲しいんでしょう?」
「今日は随分と饒舌だな。やっと表に出てきたって所か?」
「そんなところ」
幼女のような印象を受ける喋り方から、少し理知的で少女ぐらいの年齢に感じる喋り方に変わっている。これは俺が初めて彼女に出会った時の人格だと考えていいだろう。
「なんで、喋る気になったんだ? もう片方なら俺が聞くままに答えただろうけど、そっちの澪はそんなのまともに取り合うつもりもなかったんじゃないか?」
「そんなことない。けど……喋りたくなった理由は、貴方が私にとって特別だから」
「特別?」
「そう。もう1人の私が初めて興味を抱いた他者で、死に恐怖することなく戦う姿の理由が知りたくて……なにより、私に名前を送ってくれた人だから」
あー……彼女にとっては、それだけ名前というのが大切だったのだろう。
「タナトスだって名前じゃないのか?」
「あれは私たちに対する恐れの気持ちから勝手に名付けられたもの。名前じゃなくて識別信号……近くにいたら殺されるかもしれないってニュアンスでつけられたものでしかない」
「御影澪って名前が気に入ったってことか?」
「うん」
思ったより素直に返事をするな……どうやら、彼女の悩みの一つだったらしい。
無理やり聞くつもりなんて全くなくて、本当に俺は保護したって気持ちだったんだが……どうやらどうしても喋りたいらしい。
「ただし」
「ん?」
「私が一方的に喋ろうとしても貴方は受け取らないと思うから、これは取引ってことにする」
「取引って言うと……俺からも澪になにか差し出せばいいのか?」
「そう。貴方の考えていること、死に対する理解や、それ以外のことについてもゆっくりとでいいから私に教えて欲しい。私と……もう1人の私が知りたいと思っている、今岡俊介という人間について、詳しく教えて欲しい」
「俺についてかぁ……自分を客観視して話すことなんてできないから、滅茶苦茶主観的な話ばかりになるかもしれないがそれでいいか?」
「構いません。その方が貴方という人間をよりよく知ることができるでしょうから……ですので、これからは何処に行くにも私を連れて行ってください」
「あぁ、これからよろしく……なんて?」
「何処に行くにも私を連れて行ってください」
「繰り返さなくていいから」
え? なんで? どうしてそうなってしまったの? もしかして頭を何処かにぶつけてしまっておかしくなってしまったの? 首が取れても復活するのに?
「ダンジョンにはちゃんと連れて行ってください。貴方がどのようなことを考えてダンジョンで命をかけているのか気になるので」
「そ、そこまで真面目にダンジョン入ってない気がするんだが……どうしましょう」
「自分でなんとかしろ」
「いや、普通に考えて澪をダンジョンに連れて行くってのはかなりの問題ばかりが起きると思うんですが……そもそも彼女、免許持ってないと思いますし」
「そこら辺をなんとかできない組織だと思うか?」
ですよね。仮にも国連管理下の組織なんだから、それぐらいの特権が使えるのは当たり前だと思った方がいいですよね。
「いや、だからって彼女を連れて行くのは」
「なにが問題になるんだ? 実力もお墨付きなのだから連れて行かない理由がないだろ。ゴエティアと共謀して背後から殺そうと思っているわけでもないんだろう?」
「はい。私はそもそも組織と連絡を取る手段なんて持っていませんし、今は彼の観察を最優先にしたいので、邪魔をするのならば誰であろうと容赦するつもりはありません」
「な?」
「グリズリーさん、面倒だからって全部俺に投げようとしてませんか?」
すっと視線を逸らされてしまった。どうやら図星らしいが、高校生に投げるのはちょっと重たすぎるのでは?グリズリーさんには視線を逸らされてしまうし、澪には滅茶苦茶真っ直ぐの視線を向けられてしまって俺は何とも言えない状態で固まってしまった。
普通に考えて、俺が澪を連れて歩くには幾つかの面倒な点が存在している。まず、彼女が戸籍を持たないような人間であり、もしゴエティアの人間に見つかれば何を言われるかわかったものではないということ。なにより、彼女が完全に裏切って俺の方についているとわかったら、敵のボスが対処する為に色々と手を打ってくる可能性は高い。あくまでも澪は俺に興味を持ってついて行ったというだけにしておけば、本格的に敵対とはみなされない筈だ。
「……嫌?」
「わ、わかったよ」
だらだらとデメリットを頭の中に羅列して見ても、首を傾げながら嫌なのかと聞かれてしまうとなんとも答えづらくて頷くことしか許されなくなってしまう。圧があるとかではなく、折れなければなんとなくかわいそうだと思ってしまうのだ。
「安心して……貴方がもし大変なことになったら、ちゃんと守るから。それも取引の条件に加えてあげる」
「あー……余計にヤバい気もするんだけどな」
それ、俺がもしもゴエティアの連中と戦っている時でも、俺の味方をするってことだよな。うーん……ここは腹を決めるしかないのか?
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