第3話 お子様とアサシンさん

―――アサシンさんは、実は子供にはめっぽう優しい。


黒い覆面姿の見た目とは違って。


それを知ったのは、私が彼女と出会ってから、九ヶ月と少し経ってから……つまり『今日』であった。



「それでは三千六百円のお返しです。お待たせいたしました」


蓬莱さんと局長のお昼休憩も終わった二時過ぎ。

私は税金の支払い処理手続きを終え、若いお母さんらしきお客様にお釣りをお渡ししているところだった。

今現在、局内にはこちらのお客様と、待合で絵本を読んでいる連れの女の子、それから五十代くらいの壮年の男性が一人という束の間の閑散タイムになっている。ちなみに、アサシンさんは壮年の男性の手続き作業中である。


……普段はほぼこんな感じなのになぁ。

年末年始になると「どっから湧いて出たっ!?」というくらい町内の住民が押し寄せるんだから不思議だ。まあ、人口の約七割が高齢者という過疎地域だから仕方ないっちゃ仕方ないんだけど。


それに年賀状をメールでは無く手書きで出してくれるのはノルマがある身としてはありがたいことこの上ない。


しかし―――そんな、いつもと変わらない空気の中『ソレ』は起こったのだ。


「ご利用ありがとうございました……って、え、あ、お、お客様あああっ!?お子様があああっ!?」


財布にお釣りを入れている若いお母さん客の肩越しに、オレンジラインの自動ドアに突撃していく小さな子供の背が見えた。


年の頃は五つか六つ。ピンク色のリボンで小さなツインテールを飾った女の子は、丁度入ってきたご年配のお客様によって開いた自動ドアの隙間から、するりと外へ抜け出ていく。

それはさながら、城を抜け出る忍者の如き素早さで。

待って、という私とお客様の声すら、その子には届かない。


うちの郵便局!目の前道路なんですけどっっっ!?


この日本という国では、郵便局は大抵が通りに面して建てられている。

我が轟郵便局もその例に漏れず、田舎とはいえ局の前には比較的通行量の多い二車線道路が広がっていた。


「ちえちゃんっ!!」


お母さんの声も空しく、女の子の姿は自動ドア越しの道路へと踊り出て―――そこに、一台のトラックが走り込んできていた。あまりに直前に飛び出したものだから、恐らく死角になっているのだろう。


トラックはクラクションを鳴らさず、そのまま突っ込んで来ている。


局内に、悲鳴と驚愕の声が轟いた。


駄目だ……!間に合わない!!


咄嗟にそう判断し、無残な姿となる女の子の末路が脳裏に浮かんだ。

嫌だ、助けたい、と瞬時に思う。けれど、私の目の前にあるのは窓口用のパーテーション。

たとえ飛び越えたところで、間に合う筈も無い。


そう思った瞬間、私はなぜか隣にいるアサシンさんに視線を向けた。

いや、正しくは『アサシンさんが居たはずだった場所』に視線を向けていた。


彼女は、定位置である窓口席には、居なかった。


咄嗟に眼球だけを動かし通りを見る。

すると、トラックと女の子が接触するまさに寸前、突如として『黒い影』が出現した。

そして瞬きする間も無く、二人の姿がトラックの前からかき消える。


女の子の存在にも、アサシンさんにも気付かなかったのだろうトラックは、そのまま常と同じく道路を真っ直ぐ通り過ぎて行った。


やった……!


通りの向こう側、郵便局員の黒い制服と黒い覆面をつけたすらりとした女性が、目を白黒させている女の子を腕に、まるで何事も無かったみたいに冷静に佇んでいた。


アサシンさんんん……!!

ぐっじょぶううううううっ!!


私は勢いよく席から立ち上がり、窓口ブースから飛び出して少女のお母さんの手を取った。しかし、お母さんはあまりの衝撃に気が抜けたのか、その場でへたり込んでしまって動けない様子だ。


「お客様、気をしっかり!大丈夫!お嬢さん、無事ですよ……!早く抱き締めてあげて下さい!」


きっと怖かっただろうから、と若いお母さんの手をぎゅっと握りしめながら諭すと、彼女ははっと意識を取り戻したように覚醒し、我が子の名前を叫びながら自動ドアから飛び出していく。


すでに通りの反対側から局へと移動してきていたアサシンさんが、腕に抱いていた可愛らしい女の子をお母さんへ手渡す。すると、彼女は堰を切ったように泣き出して、涙で顔をぐしゃぐしゃに濡らしていた。


うんうん。急にトラックが迫ってきて、めちゃめちゃ怖かったよね。

良かったね、無事で……!本当に良かったよ……!


と―――私が感動したのも束の間。


「……っぐ」


ぐ?


「ぐろ゛い゛っ!!お゛ね゛え゛ぢゃん゛が!!ご、っごわ゛がっだよ゛お゛~っ!!」


お母さんの腕の中に収まった女の子は、抱っこ状態で確かに号泣していた。

怖かったと、小さな肩を小刻みに震わせながら。


自らの命を奪わんとしていたトラックに対してではなく、まさかの命の恩人であるアサシンさんに怯えて。


私は、既に窓口の定位置へと瞬間移動していたアサシンさんに目を向ける。

でもって、納得した。


……そういえば。

郵便局員の制服って、基本的に黒いんですよね。

冬場はジャケットも着てるから上下真っ黒だし、その上アサシンさんは覆面も黒だからまさしく上から下まで(タイツも)全部黒。色味無きこと闇夜のごとし、ってやつなんですね。


確かに五歳やそこらの女の子の前に、突然全身黒ずくめの人が現れたら、トラックよりそっちの方が怖いと思っても致し方ない。いや、致し方ないけど。

良いことしたんだけどね……!アサシンさんめちゃめちゃ英雄だったよ……!


女の子の号泣に、若いお母さんはどうしたらいいのかおろおろしている。

たぶん、感謝を先にするか謝罪を先にするか混乱しているのだろう。


うん。わかります。お気持ちはものすごく。ですが大丈夫ですよゆっくりで。

だってアサシンさん、既に窓口に戻ってますから。完全に通常営業ですから……。


ってうお!?

消えた!と思ったら目の前に出た!しかも何か持ってるっ!?


定位置に戻ったかと思われたアサシンさんは、再び女の子の前に出現し、今度は何か茶色くもふもふした物体を彼女の前に掲げて見せた。


「うええええっ!!……え?」


すると、泣いていた女の子がそれを見てぴたりと泣き止む。


アサシンさん……!

そ、それは……!?


彼女が手にしている、茶色と白を基調とした焦げ茶のラインが特徴的なその物体。

それは―――


当時、某有名ピアニストの女性と共に出演したCMで、一世を風靡した郵便局のキャラクターのぬいぐるみ。


愛らしい見た目に反して豪快に詰め込まれた頬袋が面白可愛いと評価され、今やグッズにはプレミアがつくほどの超有名動物である。好きな言葉は「貯金」、嫌いな言葉は「引き出し」というなんともリアルな局アナならぬ局リスさんだ。ちなみに趣味は「残高照会」らしい。ちょっとリアル過ぎてエグい。


「わーっ!リスさんだぁっ!!」


女の子は、さっきまでの涙はどこへやら、眼前のもふもふなぬいぐるみに夢中になっている。

しかもその横から白い紙がにゅっと姿を見せ、それには「どうぞお持ち帰り下さい」と簡潔な一文が綴られていた。


おおおお!アサシンさん上手い!女の子の記憶を恐怖から歓喜に塗り替えたよ!


局の奥から「それ……非売品……」とかごにょごにょ聞こえるが気にしない。

助かったとはいえ死の恐怖を味わった子を、このまま何のフォローもせずに帰すなど郵便局員の名が廃る。


その証拠に、蓬莱さんも「いいわよ~怖い思いしたんだものねぇ。それくらい持っていってもバチは当たんないわ」とフォローを入れてくれた。局長にガンを飛ばすという強化付きで。


「よ、よろしいんですか……?助けていただいたのに、この上ぬいぐるみまで……」


既にリスのぬいぐるみを手にキャッキャ喜んでいる我が子を困惑した表情で見つめてから、若いお客様は申し訳無さそうに私達に視線を向けた。すると、またまたアサシンさんが白い紙をぱっと掲げる。


「ええっと、今度もまた、笑顔でお越しいただけると嬉しいです……そうですね。私も同じ気持ちです」


申し訳ないを全身で体現してくれているお客様に、私はにっこりと微笑みながら「また、お子様とご一緒にお越し下さい」と頭を下げた。


若いお母さんは何度も感謝と謝罪を口にしながら、リスのぬいぐるみを手に満面の笑顔を浮かべている女の子と並んで局を後にした。

「くろいおねーちゃんたち、ありがとうーっ!」という明るい声が、局内に優しい名残を残していった。

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