#6 2日目:遭遇
魔道具屋の幼い姉妹の父親の為に――厳密には報酬の魔力回復ポーションの為に――私たちは薬の材料があるという森の奥までやってきていた。
実のところ、私はここに来るのを少し渋ってしまった。虫型のモンスターに出くわそうものなら薬草探しどころでは無くなるからだ。
けれど、魔道具屋の女の子から、魔物が棲みついてしまう前は自分でも薬草を取りにいけていたような場所と聞き、そんな所すらいけないと思われるのは、私の吹けば飛びそうなプライドでも許さなかった。
……それでも、虫がたくさんいそうなのは嫌だったけれど。
森の中を一時間ほど探して、ようやく目当ての薬草を見つけられた。
ヒヤクヨモギ。その名の通り、様々な薬の素材として重宝されているほか、これ単体でもある程度の薬として利用できる薬草だ。
普通のヨモギと異なり、あまり日の当たらない森の深くなどにポツンと生えていることが多いため、見つけるのは少し大変なのだ。
「ようやく見つかったわね。じゃあ、さっさと帰るわよ。時間も限られているし」
ヒヤクヨモギを摘む私に、フローレンスはそう告げる。
「ええ。わかってますよ。私もこういうところからさっさと帰りたいですし」
周囲には苔むした木々が鬱蒼と茂っていて、日があまり差し込んでこない。いつ虫と遭遇するか気が気ではないのだ。
それに、長居していると最近棲みついたとかいう凶暴な魔物と出くわすかもしれない。
目的の薬草は見つかったし、フローレンスに言われずとも早く帰る気満々だった。
「ん?」
と、不意にフローレンスが何かに気づいた。
「……何かがすごい勢いでこっちに向かってきてるな」
フローレンスがそう視線を向けた先に、それはいた。
ツルハシホーンだ。
熊ほどの大きさで淡い赤色の体毛を持つ水牛のような姿をしている。
名前の由来にもなっているツルハシのように鋭く尖った角を突き刺し、獲物の動きを止めてから捕食するという非常に凶暴な肉食の魔物だ。
魔物と戦い慣れている者ならば倒せない相手ではないものの、それでも人間たちにはかなり危険視されていると聞く。
普通は人里離れた荒地や岩山に住むらしいが、どういうわけかこの森に棲みついてしまったようだ。
女の子から聞いた話だと、すでに何人か襲われて犠牲になってしまっているのだとか。
放っておくと、犠牲者が増えて、死神の仕事も増えてしまう。
恨みは無いけど、ここで大人しくしてもらおう。
私は転送魔法を使い手元に大鎌を召喚し、構える。
ツルハシホーンはたてがみを振り乱し、鋭く大きな角をこちらに向けて突っ込んでくる。
確かにこれは、人間達にとってはかなりの脅威だろう。
落ち着いてツルハシホーンを迎え撃とうとしている私を、フローレンスは意外そうに眺めている。
「……どうかしました?」
「いや。コイツのことは怖がんないんだなと思ってね。てっきり、あばばばばば……なんて情けない悲鳴をあげ、顔を引きつらせてるものかと」
「いえいえ、こんなのオペルさんが飼ってるケルベロスに比べたら、愛玩動物みたいなものですよ」
そうこうしているうちに、気づけばツルハシホーンの角が眼前に迫っていた。
はあ。また身体に大穴が開くことになりそうなんですけど……。
なんてことを考えていると、突然ツルハシホーンが大きく吹っ飛ばされた。
その巨躯が叩きつけられた反動で、地面が揺らぐ。
どうやらフローレンスが防御魔法を使って、私を守ってくれたらしい。
「……ありがとうございます」
私が礼を言うと、フローレンスは「ふん」とそっけなく返事してから、どこからともなく杖を召喚し構えた。私もそれにならって大鎌を構え直す。
弾き飛ばされたツルハシホーンはゆっくりと起き上がると、後ろ足で地面を擦り、咆哮あげながらこちらに突っ込んで来た。
「来るぞ」
フローレンスの言葉を合図に、私はツルハシホーンを迎え打つべく駆け出す。
そして、ツルハシホーンの側面に回り込んで大鎌を振るう。
しかし、大鎌はツルハシホーンの身体スレスレの空を切った。
フローレンスが信じられないものを見るように目を見開いている。
今のを外すのか、と言いたげな目だった。
ツルハシホーンが、鼻息を荒くしながらこちらに向き直トドメ
直後、地面から無数の棘が突き上がり、ツルハシホーンの身体を下から貫いた。
私も受けたことがある土の棘による拘束魔法だ。
ツルハシホーンは棘から抜け出そうと、咆哮をあげながらもがくが、動けば動くほどに、土の棘が身体に食い込んでいく。
「客観的に見ると、これはエグいですね……こんなのを私に浴びせたんですか? 私、仮にも女子なんですけど……」
「私は敵であれば男だろうと女だろうと容赦しないタイプなの。そんなことより……」
と、フローレンスが続ける。
「ほら。動きを止めてやったわよ。私は魔力を極力温存しておきたいからな。トドメはお前が刺しなさい」
「わかりました」
私はツルハシホーンの首筋に叩きつけるように大鎌を――。
振るったつもりだったけれど、大鎌はツルハシホーンの首を少し掠めて地面に突き刺さった。
「……は?」
フローレンスが、気の抜けた声をあげる。
「……実は私、武器の扱いがちょっと苦手っていうか……」
転送魔法とか使って、格好良く大鎌を召喚しておいて恥ずかしいのだけど、私は大鎌をうまく扱うことができないのだ。
そのことを私が告げると、
「お前は、本当に追い込まれないと使い物にならないタイプみたいね……もういいわ、私がやる」
フローレンスは大きなため息をつきながら、杖の先から閃光を放つ。
その光は、いまだ棘の中で咆哮をあげてもがいているツルハシホーンを貫いた。
直後、ツルハシホーンの身体は、断末魔と共に爆発四散した。
「ぎにゃあああああっ!」
ツルハシホーンの近くにいた私も、爆風で吹っ飛ばされて顔から地面に叩きつけられる。
鼻血をたらしながら、私はフローレンスに抗議した。
「ちょっと……魔力を節約したいって言ってましたよね? だったら、もう少し弱めの魔法を使うとかすると思うんですけど……これ、私が普通の人間だったら死んでてもおかしく無いんですけど!」
「わるいわね。そうしたいのは山々なのだけど、あいにくショボい魔法の使い方を忘れてしまってね……。でも、魔力は抑えた方よ? でなければ、お前も粉微塵になってるはずだから」
十歳くらいの姿になりながら、フローレンスはそんなおっかないことを口にした。
私は顔を手で拭って傷を再生させながら、大きくため息をついた。
「あの……いくら私が不死身だからって、あんまりぞんざいに扱われるといい加減泣きますよ? 身体の傷は痛みもないし、すぐ治せますけど、心の傷はそうはいかないんですから」
フローレンスに言い聞かせるていると、不意に冥界でも滅多に感じないような陰鬱な気配が――。
研修で地獄に行った時、そこの罪人たちの中でも、一際重い罪を犯した者たちだけが放っていた邪悪な気配が――。
私の全身を粟立たせた。
「な……何が?」
震えが止まらなくなるほどの邪気に振り返る。
そこにはライオンのたてがみのような髪をした巨漢がいた。
重く頑丈そうな鎧に身を包み、右手には禍々しい装飾が施された大剣を、左手にはその大きな身体をすっぽりと覆い隠せるほどの大盾を持っている。
一見すると重戦士のように見えるが、全身から立ち上る邪悪な気配が人間でない事を証明している。
男はゆっくりと私達の方に歩いてくる。
「霊体でありながら生きた人間と見間違える程の魂の存在感……。先程の魔法の威力……。聞いていたより少し幼い気もするが……オマエがあの女が言っていたフローレンスだな?」
「……あの女?」
フローレンスの目の色が変わった。
「その女について詳しく聞かせてもらえるかしら?」
「これから消える者が知る必要はないっ!」
男がフローレンスに大剣を振り下ろす。
大剣はフローレンスの防御魔法に弾かれ、フローレンスに傷をつけることは叶わなかった。
「人間の防御魔法如き簡単に叩き割れると思っていたのだが、なるほど、あの女が言うだけのことはあるな」
「あ、あなたは何者なんですか……?」
声を震わせながら私が尋ねると、男は愉快そうに答えた。
「オレの名は魔王軍幹部が一人、サブナック。新入りの女がフローレンスは魂も残さずに始末するべきだなんて言ったものでな。確実にフローレンスを消すべくオレが直々にここに来ることになったのだ。光栄に思え」
フローレンスとの旅を始めてまだ二日目だって言うのに、いきなり魔王軍幹部と遭遇する羽目になるなんて……。
「それにしても、おかしなものだな。そこの小娘、オマエは見たところ死神のようだが、なぜフローレンスと魔物退治なんてしていたのだ? オマエの役目はフローレンスを冥界に連れて行くことじゃ無いのか?」
「そうなんですけど、色々あって、昨日からこの人と一緒に旅をするのが仕事になりまして……」
サブナックの邪気に気圧されながら、私はボソボソと答える。
「つまり、オマエはフローレンスの仲間。ということは、魔王様の敵。魔王様の敵はオレの敵。死神の小娘、オマエもここで消えてもらうぞ」
舌を出して楽しそうに笑うサブナックに、私は戦慄する。
私のバカ。余計なことを言わなきゃよかった。
サブナックは、勢いよく大剣を振り上げた。
やばい攻撃が来る。
そう直感した私は、テンパった挙句、脱兎のようにその場から逃げ出していた。
「ちょっと! 何してるのよ、お前!」
後ろからフローレンスの叫び声が聞こえた。
直後に、大剣と防御魔法がぶつかり合う音が聞こえたかと思うと、周囲に轟音が響き出した。
私は振り返りもせずにひたすらに走る。
フローレンスが無事に戻ってくることがあれば、私は確実に粉微塵コースだろう。
けれど、今後も魔王軍幹部クラスの敵に遭遇するような旅を続けるくらいなら、いっそ粉微塵にされて冥界に送られた方がマシだと思えるほどの邪気と圧が、サブナックにはあった。
不死身であろうと、恐怖を覚えずにはいられないものがこの世界にはあるのだ。
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