3
無言の行進はそれからしばらく続いた。背後でひそひそと監視達が囁くような声がするのはあまり気持ちの良いものでは無い。時折わざとらしく咳をすると暫く静かになるが、少しするとまた不愉快な囁き声が聞こえ始める。
「放っておけ」
僕が何度か咳払いを繰り返した後に、隊長は静かにそう呟いた。
「でも」
「ここらでいいだろう」
突如そんな事を言った後、彼は振り返って僕の首根っこを掴んだ。ぎょっとして顔を上げた先、彼はにっと歯を出して笑っている。鋭い、肉食獣のように鋭利な歯が並ぶ弧を描く口元から目が離せぬままでいると、僕の体はいつの間にか宙に浮いていた。
瞬きの間に僕を放り投げた彼が、長剣を腰から抜くのが見える。全てが遅くなった視界の中で、その一連の動作だけが異常な程に滑らかに動いていた。驚いた監視が武装する暇さえ与えず、彼は己が踏み歩いて来た海氷の上へと長剣を突き刺した。
──と、そこまで鑑賞した後に、僕は冷たい地面へと叩き付けられた訳である。幸運にも受身を取れた為、大きな怪我さえすることは無かったがじんじんとした衝撃が体に残っている。
続きを見届けるべく、顔を上げると監視二人の足元まで細かな無数のひび割れが既に向かっており、地面は嫌な音を立て始めている。
「鰓の兄弟の元へ帰るといい」
するり、と海氷から長剣の先を引き抜いた瞬間、彼らの足元の氷は呆気なく崩壊した。悲鳴さえ上げることなく、監視達は暗がりの中へと呑まれて行く。
それを見届けた後、彼は雪を振い落して再び鞘の中へと美しい鋼を納め直す。
「ここまで来れば、国の連中の目は届かん」
何でそんなことを知っているんだ、と口を開こうとしたところで彼は此方へと踵を返した。今も尚地面と仲良くしている僕の方へ、無機物を観察するような──何の感情も読み取れない視線がこちらへ寄越されている。
「鼓動を聞こうにも、お前の咳払いが煩くて堪らん」
「あれは、監視の奴らがうるさくて」
のんびりと身体を起こそうとする僕の横を、足音を立てずに彼は通り過ぎて行く。置いていく気だ、と慌てて身体を起こし、その後に再び続いた。
「俺には何も聞こえなかった」
──この男は、肩に着いた雪を払い落とす動作さえ美しい。
「お前、あれの正体を知らんのか」
「あれって」
「たった今突き落とした」
監視の正体と言われたって、僕らと同じ生き物じゃないのかと首を捻った。少なくとも姿形は同じように思われる。
しかし、先程の鰓の兄弟という言葉が胸の内で引っかかっていた。
「ああも作りが荒いと、俺はこの耳で言葉を拾えん。俺には鰓が無いからな」
鰓、と言えば、魚にある物だと教わった。僕らのような陸で暮らす生き物にあるという話は聞かないし、自分の首を手で確かめてみるがそこはつるりとした肌があるだけだ。
まるでこの人は、彼らが魚であるような話し方をしていると思う。
「考えている事を当ててやろうか」
……先程とは打って変わって、隊長のそれは酷く楽しげな声である。声を抑える必要が無くなり、会議室に乱入した時のように一面に響く声でそんな事を言ってくるものだから、僕は思わず眉根を寄せた。
「まず、あれは魚では無い。魚に足は無いだろ」
「でも鰓が何とかって」
「魚を食い過ぎれば、それは海に近付いていく」
僕の言葉に被せるように発言をする時、大抵は彼が自分自身の美しいさを褒め讃えるときか、鳥の乙女に関する事ばかりである。
──或いは、僕の発言内容に過ちが有り、恥をかかないように正解で上書きするときか。
「魚を食うと、食った者の魂その物が死んでゆく。死骸に魂を啄まれて、軈て内側から海に近付く」
僕は、魚を食べた事がある。
然し、幼少期に一度喉に骨が刺さった事で、恐怖から口に入れる事が出来なくなっていた。
食事で魚を避ける僕を見た上官達には酷く馬鹿にされたものだが、彼は何も言わず同じようにして魚を避けていた。
「良かったな、内側を食い潰される前に魚を絶って」
視線だけをこちらに寄越す彼の口元は、先程と同じように緩やかな弧を描いている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます