解氷-伊万里の今までの買い物

「伊万里ってさ」

 

 六月の中旬。週末のさなかに挟まる土曜日のあくる日、昼の太陽の角度を斜め見味わいながら、まだ冷房で冷え切っていない物理室にて、俺は彼女に話しかけてみた。

 

 俺の声に反応して、彼女は、へ、と声を出しながら顔を上げる。物理室前方の方で自然科学部の事務作業に集中していた彼女の視線は、確実に俺の方へと向いていた。

 

「今までどうやって買い物してたんだ?」

 

 俺は、これまで気になってはいたものの、なんとなく聞けずにいたことを言葉に出してみる。

 

「あ、あれ。前に言ってませんでしたっけ……?」

 

「言ってたっけ?」

 

「……もしかしたら言ってないかもしれないです」

 

 彼女は委縮しながら答えるので、少しばかりの申し訳なさを抱くけれど、実際あまり記憶に残っていないのだからしょうがないと思う。

 

 伊万里 京子。彼女は四月からこの定時制の高校に入学して過ごしているが、彼女が抱えている吃音症というものは、対人関係において大きな問題となって立ちはだかっていた。

 

 ここ最近では店員と会話をすることもできるし、知っている人間であるのならば、吃ることもなく話すこともできるのだけれど、以前まではそうじゃない。確か、おにぎりのコーナーで立ちすくんで、そのまま購入することもできずに逃げかえっていたほどだったように思う。

 

 そんな彼女だからこそ、以前はどのように生活していたのかが気になってしまう。伊万里は四月の入学時点でも独り暮らしだったはずだし、そんな過ごし方をしているからこそ、物を購入するうえでは人とのかかわりを避けては通れないはずだ。

 

「それで、実際どうやって過ごしていたんだ?」

 

「……ええと、その」

 

 伊万里は言い淀むようにした。

 

「……Amazon、です」

 

「Amazonか」

 

 Amazon。インターネットの通信販売の最大手とも言えるサイトであり、基本的になんでも取り揃えられる万能のサイト。

 AmazonのロゴにあるAからZの間に引かれる矢印は、アルファベットのAからZすべてのものを、なんでも取り揃える、という意思が含まれているとか何とか、そんなことを聞いたことがある。

 

「……でも、支払いとかは?」

 

 お金の話、というのはあまりしたくはないから、お金の出自については考えないものとするけれど、それにしたって金を支払う上で、大抵は人と関わることにはなる。

 

 例えば代金引換であったり、コンビニ払いであっても店員にバーコードを定時しなければならなかったり、そういったやり取りが存在するはずだが……。

 

「あっ、そ、それはあれです。プリペイドカードで……」

 

「……プリペイドカードを買うにしても、店員に金とか払わなければいけないだろ?」

 

「え、ええと。プリペイドカードアプリっていうのがありまして……」

 

 伊万里はそれから饒舌に語った。

 

「そのアプリを使えば、コンビニのATMに入金すればそれだけで支払いが出来たりするんですよ。……近所のコンビニはそれに対応してないので、対応しているコンビニまで歩いてやってたりしましたね……」

 

「……」

 

 そこまでして人と関わりたくないのか? と言いたい気持ちはあるものの、実際伊万里にとってはそれほどの問題だったのだろう。それに突っ込むのは話題として本末転倒でしかないし、俺は言葉を飲み込んだ。

 

「支払いは分かったけれど、それじゃあ受け取りとかは? 通販で買うにしても、最終的には玄関で受け取りとかしなきゃいけないんじゃないのか?」

 

「ええと、それは受け取りボックスでなんとかしました」

 

「……受け取りボックス」

 

 聞きなれない言葉に対して、俺はただただオウム返しをする。そんな俺の様子を汲んで、伊万里は補足するように説明をする。

 

「あっ、受け取りボックスっていうのがあるんですよ。配達物を入れるための箱があって……」

 

「郵便受けのでかい版みたいな?」

 

「か、感覚的にはそんな感じです。私の場合はアパートにもともとついていて、それを利用して荷物を受け取ったりしてました……」

 

「なるほどね」

 

 いまいち受け取りボックスというものが身近にないから理解はしていないものの、ともかくそういったものがあるからこそ、伊万里はこうして飢えに苦しむことなく毎日を送っていたのだろう。

 

「ただ……」

 

「……ただ?」

 

「……配達の関係上、ナマモノとかは難しかったりするので、いつもインスタントばかりで、ええと、その、……あんまり身体に良くないものばかり食べたりしてたんですよね……」

 

「……まあ、仕方ないわな」

 

 それを思えば、なんだかんだ今の彼女の姿は健康的だ。元の姿から健康的ではない、というつもりはないものの、それでも今では学校の元花壇ないし畑で野菜を栽培していたり、人と会話が出来るということもあって、普通にスーパーで買い物もしている、とか以前皐との会話で聞いたような気がする。

 

「でもよかったじゃないか。今では普通に買い物が出来るんだからさ」

 

「そ、そうですね!」


 伊万里は努めて明るく振る舞うように、元気な声で俺に答える。

 

 ……四月と比べれば、本当に彼女は成長にしたように思う。

 

 今の彼女の姿と過去の姿を比較して、その成長を間近にできた喜びを、俺は何となくで噛み締めた。

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