第3話
彼女が指差したのは、現在人気急上昇中の若手俳優・西宮紘一(にしみやこういち)のポスターだ。若干二十二歳でありながら、その演技力は他の俳優達より群を抜いているし、ビジュアルや物腰、性格も秀でている事から、若い女性のみならず、男性のファンも多い。
そんな彼は『ムカイコーポレーション』の稼ぎ頭の一人であると同時に、女――向井杏奈(むかいあんな)の交際相手であった。
もちろん、二人の交際には事務所内で箝口令(かんこうれい)が引かれているし、マスコミにも世間にも一切の秘密としてある。
事務所が二人の仲を裂かなかったのは、社長の一人娘だからという以前に、二人が真剣に将来を見据えての交際をしていると認めたからだ。だから、公表のタイミングは慎重に慎重を重ねて見定めるつもりでいたし、茂久も父として、または社長として温かく見守る事を決めた。そして、これまでと同様、西宮紘一には実力に見合った仕事を任せると彼女に約束したのだ。
ゆえに、娘が憤慨するのも当然だと半分納得した。本来であれば、あの映画の主役は彼が演じるのがベストなのだ。そして、親バカだと思われるだろうが、そんな彼の傍らに杏奈を置き、少ない実績の糧にしてやりたいとも思った。
だが、監督から「主役には西宮紘一ではなく、この男を使いたい」という話を聞かされた時は、衝撃を受けた。
まさか…、と素直にそう思った。まさか、彼がこの世界に入ってくるなどとは夢にも思っていなかった。彼女と二人、どこかで穏やかに生きているものとばかり思っていたのに…。
「ねえったら!私の話、聞いてるの!?」
杏奈の大声に、茂久ははっと我に返る。
目の前には怒りに頬を紅潮させて、こちらをきっとにらみつけている二十歳の娘がいる。十五年という時間の長さを、改めて思い知った。
「杏奈。とにかく、もう決まった事なんだ」
ゆっくりとした口調で、茂久は言った。
「早く現場に戻って、衣装合わせの続きをしてこい。キャスト表ができた以上、もう変更はないんだ。紘一君にはまた別の大きな仕事を任せる、それでいいだろう?」
「…本当信じられない。相手がコウちゃんじゃないんだったら、ラブシーンなんか絶対やらないから!」
子供のような物言いでそう言うと、杏奈は投げ捨てたキャスト表をそのままに社長室から足早に出て行く。そんな娘の後ろ姿を、茂久は少し目を細めて見送った。
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