第8話 琥珀の記憶
深夜二時十五分、日付は替わっていて土曜日となるのを、暗く静まり返ったこの部屋にカチカチとこの音だけが静かな空間にアナログの目覚まし時計の針だけが奏で示していた。
目覚まし時計の、その音に隠れ微かに小夜香の寝息が聴こえている。彼女が頭を置き寝る枕の傍には、天使の人形のテンちゃんが寄り添っている。
小夜香は、そのテンちゃんを両手で顔に引き寄せ、今にも泣き出しそうな表情でいる。しかし、彼女の体は此処にあるが、彼女自身の意識はもう既にテンちゃんと供に彼女の世界、夢の中へと行っていた。
「おうおう、さぞお辛いことだったでしょうね。小夜香様が、今宵この店に着くなり、このミルクティーを頼まれるのですから……まあ、私めも貴女様がこのお飲みものをご所望のことと思っておりましたので、このようにポットウォーマーで、この通り……さあさあ、小夜香様、今、カップにお注ぎ致しますから」
夢のじいは、そう言い。ティーポットを被せていたキルト製の布を取って、小夜香の前に置いた角砂糖が二個入っているカップに、濃い目のリーフの香りを強く感じさせるティーを注いで銀のスプーンでかき混ぜ、更にミルクを注いで彼女の手元にそのカップを寄せた。
「じい、ありがとう……あ、ありがとうございます。無理を言って、ごめんなさい。しかし、私はこの前のようにもう一度、今日具志堅さんに聞いたことを踏まえた上で、今の自分のこの眼で父と真沙美さんへの私の至らなかった行為を反省のためにも視て来たいのです」
「はい、小夜香様、私めもその方が善しいかと思います。貴女様のお父様は、勿論のことではありますが、小夜香様の今のお母様の真沙美様のことに至っても、私たちも大好きでおります。なにせ、あの方は、お父様からの嘆きだけを唯一身に受けておりまして、他には何ひとつも望んではおりません。しかしですね。小夜香、やはりお父様はお偉いです。そんな真沙美様のことを、あの方は心には分かっていて、いつかはと真沙美様のお幸せも、っと思っておるのですから……しかし、お亡くなりになった志緒梨様のことを思うがために出来ないようです。だからお父様は、真沙美様に唯労いの言葉しかお掛けになれないのです。でも、今日の話の締め括りに、具志堅様が言っておられましたね。お父様は、未だ亡くなられたひとのために、ご自分の人生だけではなく。もうひとりの生き方さえも不幸なものにしていると……私もそう思います。小夜香様は、如何お思いですか……さあ、それでは、そのミルクティーを飲まれて下さい。そして、ご自分のその眼で、その当時、貴女様が心を閉ざし視ないでお仕舞いになられたあのおふたりの姿を視て来て下さいませ」
小夜香は、じいを見つめ、目を深く閉じ頷いてカップに手にとった。彼女の傍では、テンちゃんが心配そうに
「ごめンネ! 小夜香ちゃン、僕もついて行きたいけど、これだけは……ネ?。だから、小夜香ちゃンが、笑顔で戻って来るのを僕は小夜香ちゃンの傍で待っているからネ!」
「ありがとう、テンちゃん。それじゃあ、じい、飲みますね。飲んで、私の眼であのふたりの想いを視て、受け止めて来ます」
小夜香は、立ちのぼるカップの香りを深く吸い込み懐かしい記憶の扉を見つけ、ロイヤル・ミルクティーを飲んで意識をまた過去へとトリップさせた。彼女の今いる。彼女が今視るモノはあの頃、彼女自身が母を失いその上、父が他のひとへと心を奪われた、と勝手に思いこんでいた
そんな小夜香が、小学校から帰って着た。「小夜香ちゃん、おかえりなさい」とリビングで義理の母の真沙美が、なにやら縫い物をしている。小夜香の記憶に微かに残る服だった。
それは、彼女が六年生の最後の学芸会で白雪姫の主人公の白雪姫の役をもらい、そのことを彼女は母の真沙美に言い出せなくて当日本番ギリギリ、後三日となる日までいたのを真沙美は、そんな小夜香の態度を感知したのか、学校の担任に聞き出して、用意をしてくれたのだった。
小夜香は、そのことに真沙美に対して唯「ありがとうございました」と他人行儀に言っただけで、そのことは今も彼女の心に深く『何故に、あの頃の私は、あのひとに本当の思いの感謝の気持ちを伝えきれなかったのか』という後悔の思いが残っている。それは、心の中で好きだった父が、その学芸会当日に来て観てくれなかったという思いの腹いせなのか? その父も、その夜帰宅して、小夜香を見て何かを言おうとしたが、余りにも彼女の落ち込んだ顔を見てしまい、
小夜香は、今にしてその状況の中、思いやれるのは、その当時父の会社は食中毒事件もやっと収束し落ち着いてはいたが、幾ら真沙美の父の高柳家からの多大な資金の融資が入って来てはいても、未だ世間の信用を得られてはいない時期で、そのために父は更なる社内の意識を一つのものにして行かねば、と地方に点在する子会社にまでも直接行き、この会社を
それなのに、幼い小夜香はその晩、喉が渇いたと水を飲みに行くときに、リビングで父が、真沙美の撮ってくれた小夜香の学芸会のビデオを、真沙美が
更に小夜香の意識は、月日を
父はというと、会社の方は、全社の意向を取り纏めて出した結論が、その当時現社長の志緒梨の父のワンマン経営が招いたことが全ての原因だと意見が圧倒的に多く、小夜香の父はその声を無視出来なくなって、志緒梨の父に会社から
しかし、それでも志緒梨の父は納得がいかず、会長としての待遇を望んだが、それには周りからの佳孝への
しかし、小夜香が小六の学芸会以来、思春期を迎え多感期となった傍で父は、腫れ物を触る如きの接し方で、父は具志堅に「僕が、志緒梨の傍にいたから彼女を護れず不幸にしてしまった。だから、小夜香だけはなんとしても護ってやりたいが、しかし僕が傍にいては、また小夜香までも不幸にして仕舞わないだろうか?」と心を病んでいたといっていた。そのこともあり、父は小夜香に向けて言葉を少なくして仕舞った。
小夜香の父、佳孝、彼の人生は、小夜香の母の志緒梨と家庭を持った時点から、志緒梨の父の会社に
そんな父の面影を、小夜香は心に強く想い出として残している。それは、彼女が大学入試を果たして、東京へと立つ電車の窓から見た父の顔は、何か彼女に言おうとしているが、今迄のすべての想いが彼の口を塞いでしまい、彼は唯唇を小刻みに震わせ涙を流していたのだった。しかし小夜香は、その顔に何も言ってはやれなかった。その想いも、今迄のすべてを知った彼女には深く自責の念として残る。
小夜香は、過去へのトリップを終え、閉じていた瞼には夕映えのような帳があったが、その瞼には又やさしい明りが映って、彼女はゆっくりと眼を明けた。見えたのは、心配そうに
「ど、如何でしたか。小夜香様、ご自分の過去をご覧になられて、何処もお怪我などはされませんでしたか……」
「アハハ・・・、じいは、馬鹿なンじゃあないかなあ。ネエ、小夜香ちゃン?。小夜香ちゃンは、ただ自分の記憶の中に行って来ただけで、体はずっと此処にあったって言うのに、ネエ?」
テンちゃんは、そう言いながらパタパタと背中の羽を使い小夜香の許に飛んで来て、じいに舌を出してからかい気味に笑った。それを、小夜香は受けとめたのだが、彼女の表情が余りにも暗くテンちゃんも口を
「おうおうおう、小夜香様、さぞかしお辛い過去の想い出を見たことでありましょう……誰しも、自分の過去を
「アッ! ぼ、僕だって……僕だって、小夜香ちゃンのことは心配で、心配でいたンだ!。それなのに、それなのに・……ウッ、ウッ、ウエェーン」
テンちゃんが、じいの小夜香への思いを超える言葉が見付けきれずに仕舞いには泣いてしまった。
「じい、ありがとう。テンちゃんもありがとうね。二人の気持ちは、十分、私は分かっているわ。だからテンちゃん、もう泣かなくていいのよ」
「ほンと? 小夜香ちゃン、本当に僕の気持ちは、小夜香ちゃンに届いているの?」
「ええ、テンちゃん、貴方が私のことを常に心配している気持ちは確りと届いているわ。アッ、じい、じいの真心も確かに私のところに届いています」
小夜香は、テンちゃんに声を掛けて上げたのだが、彼女に向けるじいの視線が気になって、同じ言葉をじいにも掛けてあげたのだった。
「アッ! もうこんな時間になって仕舞いました。さあさあ、小夜香様、今夜は何をお持ち帰りになられるのでしょうか」
小夜香は、じいの言葉に、眼を宙に向け考える中、答えた言葉が。
「うーん、そうね……アッ! そうだわ。昨日の朝、起きる前に目覚めた時……ンッ? うーん、なんだか、難しい言葉だけど、じい、今の言葉は間違ってなんかいないわよね」
「はいはい、
「エッ! ええ、そう……それで、確か、私を起こすお母さんの声の後ろにいたの。確かに、ミュウの鳴いている声が、お母さんと一緒になって私を起こしていたわ。確か、朝ご飯をちょうだい、ちょうだいって確かいっていた……はず」
「それで、小夜香様……まさか、あの猫のミュウが欲しいとのことでしょうか?」
小夜香は、じいの問い掛けに彼女は申し訳なさそうに黙って頷いた。
じいは、彼女の答えになんと答えようかと、腕を組んで宙を見た時に、側からテンちゃんが彼女の前に顔を出し、両手をオーバーに振り答えた。
「小夜香ちゃン、駄目だよ!。生き物なンかは、この世界になンて……それに、小夜香ちゃンの生きている世界にだってアイツを持って行ったら、それこそアイツは化け猫になって仕舞うじゃあないか! アイツは、それにネ! アイツは、生きている頃、僕をいつも苛めていた。布の僕を
「これこれ、このでしゃばり馬鹿テン、お前なんか声も出せないって、その頃のお前は唯の人形だったじゃあないか……この、ボンクラ天使めが。アッ、それはそうと、小夜香様、しかしこのテンが言っていたことは合っておりまん。噛まれたことは、別ではありますが、生きているモノは確かにこの世界にも、小夜香様のおられる世界にもです」
「そうなんですか……アッ、私は別に是非にもということではないので、じいもテンちゃんも余り気にはしないで下さい」
そうは言うものの、小夜香の顔は明かに淋しそうな表情を作っていた。その顔を、じいにテンちゃんが、又も心配そうな眼で彼女を見ていたが、彼女もそれに気づき。
「アッ、大丈夫……私は、別に大丈夫ですから、それに私にはじいにテンちゃんたちが付いているじゃあないですか……だから、心配ないです」
「はい、分かりました……ありがとう御座います。それはそうと、小夜香様。よくよく考えてみれば、今日はお仕事がお休みなので、ごゆっくりされてゆかれても構わないのではないのでしょうか。それと、もし小夜香様が、お持ち帰りになるモノを迷いになっておられるのなら、これは如何なものでしょう」
じいは、そう言い。背中の棚の奥から、小夜香にも見覚えのあるガラスの小さな小瓶を手にしていた。その小瓶は、懐かしい母の化粧台の上にあった母のお気に入りの香水だった。
「エッ? 如何して、これが……如何して、このお店にお母さんのモノが此処にあるの?」
「はい、小夜香様、この店には貴女様のご記憶になったモノは、全て揃っております。小夜香様、貴女様が過去にチラリと視て、記憶の奥底にあって、今では思い出せないでいたモノたちでさえ、此処にはあるのです」
じいはそう言うと、小夜香の目の前のショーケースの上にコトリとそれを置いた。
「じい、これを私が手に取ってもいいのですか」
小夜香の言葉に、じいは微笑みと共に頷いて見せた。
「あ、ありがとう……じい、ありがとう」
小夜香は、小瓶を手に取り眺めた。その小瓶は、この店の明りを受けてダイヤモンドのような細工のボディーはキラキラと煌めいている。中の香水の液体は、小夜香が傾ける度に薄茶の色がゆっくりとたゆとい神秘的な輝きを漂わせている。
「この香水の小瓶の蓋を開けると、あの懐かしいお母さんの匂いがするのね。昨日、私がじいのミルクティーを飲んで時を越えた時に、お母さんはこの香水を独り鏡台の前で付けて、涙を流し「佳孝……」って、父さんの名を呟いて居たわ……この香水の名は、なんて読むんだろう……メモワール・デ……」
「そうです。小夜香様、この香水の名は『メモワール・ドゥ・アンバー』といい。名は、フランス語なんですが、メモワールというのが記憶という意味で、アンバーは
「そうなんですか? アッ! それで、判ったわ。何故、真沙美さんが、お母さんと同じ匂いがするのかが……初めて会った時に、新しいお母さんだとお父さんに紹介されて、その時の真沙美さんは不思議とお母さんと同じ匂いがするって思っていて、それはお父さんの好みの匂いなんだって、その頃は勝手に思っていた。嗚呼、ごめんなさい……お父さん、それに真沙美さん。私は、なんて勝手な思い上がった酷い人なんでしょう」
「小夜香ちゃン、それは違うヨ! 小夜香ちゃンは、絶対やさしいひとだヨ……もしも、世界中の人たちがそうだと言っても、僕は小夜香ちゃンの本当の心を知っている! 僕の手や足が千切れ取れたりした時に、小夜香ちゃンは泣いて僕を直してくれるのをお母さンに言ってくれたし、僕だけじゃあなく他の人が学校で虐められた時にも、その子を
「そうです、小夜香様、貴女は世界の誰にも負けないくらいやさしいひとです。
だから、天国のお母様もアイツを貴女の許に……アッ! 嫌、なんでもないです。小夜香様、貴女様は、そこにいる馬鹿テンとこのじいが、貴女様の本当におやさしいという心を知っているのです。それに、貴女のお父様や今のお母様の真沙美様への貴女の本当の想いを届けるのには未だ少しは時間はあるのですから、今、貴女が間違いを知った今だからこそ届けるべきです」
「あ、ありがとう……じい、それにテンちゃん。で、でも、じい、アイツって……」
「嗚呼、小夜香ちゃン! それより、その香水をつけてみてヨ! 僕も、懐かしいお母さンの匂いを思い出したい!……だから、小夜香ちゃンお願いだヨ!。 僕にも、とてもやさしかったお母さンの匂いを、ネエ、小夜香ちゃンお願いだヨ!」
パタパタと小夜香のまわりを飛び回っていたテンちゃんが、突然彼女の胸元に飛び込んできた。
「ネエネエ、小夜香ちゃン、その香水の匂いをかいだら、小夜香ちゃンは誰の顔を想い出すのかなあ? もしかして、それは僕の顔かなあ? エヘッ!」
と、テンちゃんは、小夜香の顔に甘える目で言った。
「エッ? テ、テンちゃん……」
「おうおう、そうじゃ……しかし、こんなボンクラ天使なんかじゃあなく。きっと小夜香様が、瞼の奥に想いうかべるのは……ムフフ、きっと、私のことじゃ。さあ……さあさあ、小夜香様、どうぞその香りをお身にお付け下さいませ」
小夜香は、二人に急かされるままに手元の小瓶の蓋を取って、二人の目先で開けた小瓶の香りを漂わせた。すると、テンちゃんは、眉間を狭めて顔を少し背けた。
「ムムム……さ、小夜香様、この香水の香りは直接かぐと、なんといいましょうか、ウーン……そ、そう、一度は人肌に付けないとアルコールとは違う何か渋い成分が強いのか、私たちには多少きつく感じますね」
「アッ! ごめんなさい……きつかった? 私も……」
小夜香は、小瓶を鼻先に近づけて軽く息を吸い込んで匂いをかぐと、彼女もまた眉を
「本当に、なんだかきつい匂いがするわ。じい、これを如何すればいいの?」
「アッ、嫌え、小夜香様、お気になさらず、先ずは指先に小瓶の口を当て、それを貴女様の首筋などに付けてみて下さい」
小夜香は、じいにいわれた通りに自分の首筋に指先の
すると、香りは一気にこの店の中に拡がって行った。その香りは、様々な花の甘い匂いの中に仄かな渋さが
目を閉じた小夜香の瞼に、今は亡き母の幻が映り彼女に何か語り掛けていた。その声は聴こえはしないが、母の口元を見れば言っている言葉が彼女の心に届いてくる。
彼女の瞼に映る母の言葉は「小夜香ちゃん、私はいつだって、どんな時だって貴女のことを愛しているわ。貴女は、私と私の一番大好きなひとの世界で一番大切なひとなんですから……」と、いっている。
小夜香は、知らずしらずに、閉じていた目から涙が溢れ出し雫となって頬をつたい落ちてゆく。そして、思わず「お母さん……」と口から母を呼ぶ声が洩れた。っと、その時小夜香は、自分の声に弾かれたように意識が戻り目を明けると、彼女の目先にテンちゃんとじいが目を瞑り口元をだらしなくして「小夜香様……。小夜香ちゃン……」と寝言のような
二人は、彼女の笑いに気付き、やっと目が覚めて見開いた眼は照れくさそうに、テンちゃんはショウケースの上で身をモジモジさせて。
「ウーン、もう小夜香ちゃン……もう先に目が覚めていたの? 僕なんか、もう少し女神のような小夜香ちゃンの姿を見ていたかったなあ! でもネ! 僕の見た小夜香ちゃンはこの前と違い自由に
「おうおう、馬鹿テンもその小夜香様のお姿を見ていたのか。しかし、私の小夜香様は、もっと
「じい、オレイカルコスの剣ってなんですか?」
「アッ! オレイカルコスですか? オレイカルコスとは、古代ギリシア・ローマ世界の中の文献などに度々出てくるモノで、鉱物のことです。その鉱物は、この地球上の中でも最も硬く強い物ですが、それは伝説上のモノで実際は天上界でいうところに由れば、そのモノは精神を統一させ鍛え抜いた者だけが手に出来る剣だったり、身を護る鎧や盾のことのようです」
「エッ! じい、私は女神でもないし、まして剣なんて持つ必要があるのですか?」
「アッ! 嫌え嫌え、唯私たちが幻の中に見た小夜香様は、余りにも
「アアー、そうなンだ? 僕の幻の中の小夜香ちゃンが着ていたモノや、持っていた剣がオレイカルコスっていうンだ! 僕も、天上界で耳にしていたけど、あのホワイトゴールドのようなモノがそうなンだネ! アッ! 僕が聞いた噂では、その剣はどンな
「駄目よ、テンちゃん。そんな人の悪口を口にするのは、テンちゃんそういうことを言っていると、悪い人になっちゃうわ。私、悪い人は嫌い……」
「アッ! 嫌だ嫌だ!……僕、小夜香ちゃンに嫌われるのだけは……だから、小夜香ちゃン、ごめんなさい! もう絶対に、僕、人の悪口なンか言わないから……だから、小夜香ちゃン、許して!」
「そうだよ。テン、どんな悪い人でも、その人が心を入れ換えようとする意思がないのに、勝手に変えようとするのはいけないことなんだ。分かったか、この馬鹿天使が」
「じい……じいも、その言葉は余り私も好きにはなれないわ。テンちゃんだって、その呼び名ではいって欲しくはないと思うの」
「そうだヨ! 僕だってその呼び名は嫌だヨ! じいも、小夜香ちゃンが付けってくれた『テンちゃン』って、ちゃンとした名で僕のことを呼ンでヨ!」
「ウッ、そうなるとは、
「なンで、テンちゃンの前に、要らない『はいはい』が入るのかなあ? この際だから、言っとくけど……あのネエ!……」
「テンちゃん、駄目よ……じいも、これからはテンちゃんのことを、ちゃんとテンちゃんっていってくれると言っているのに、じいを追い込むようなことはしないで……ねっ! テンちゃんは、良い子だから分かるわよねっ!」
「そうだよ、テンちゃん……これからは、私もお前のことをちゃんとテンちゃんと呼ぶから、テンちゃん……ムフフ」
怒られているテンちゃんに、じいはまたまた形勢逆転して優位に立ったことに気を好くして、テンちゃんと呼びながら口元の髭を指先でいじり、不敵な笑みを浮かべた……
ポ エ ム 村上 雅 @miyabick23
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