Ⅰ 守護者の亡骸に守られし最後の希望

城壁を這いまわる蛇の群れ、辺り一面がかつては城下町だったなど、誰が想像できるだろうか。魔物の巣窟と化した家々。屋敷は魔人(ファントム)の魔法に掛けられ、悍ましい姿に変えられた。元居た住人がどうなったかは筆紙(ひっし)に尽くしがたい。


 身体に走る苦痛と閉じた瞼の裏に張り付いた悪夢の光景だけが、自分が生きていると実感させる。


 魔王軍の進行から2か月以上が経過した今、キャンサー帝国は地獄と化していた。魔王軍の先鋒はエキドナ――かつて大陸を震撼させた魔人テュポンの『伴侶』


 そして、その『娘』のヒュドラ。


 テュポンは、キャンサー帝国に行ったような悪逆非道を大陸全体で行った魔人だ。十数年前、タナトスが出現するよりも前の時代、勇者ソムヌスとその仲間達によって討たれた。


 そして、その『家族』も共に討たれた筈だった。だが今、彼らは『魔王』タナトスの元で、再び姿を現し、一国を地獄に変えた。己の父を討った仇(かたき)に仕えるというのはどういう心境なのか、人間には想像もつかない。


 テュポンとエキドナは歴代魔王が生み出した直接の配下の魔人でないこともあり、実に数百年もの間、魔王が台頭する度に出現し、人類を蹂躙してきた。


 そんな中、ヒュドラは比較的若い魔人であり、キャンサー帝国にとっては因縁の相手だ。彼女が、この国にとっての仇敵であること“だけではない”。


 大陸での“帝国の権威を失墜させるに至った”忌まわしい存在だからだ。国の皇帝一族、重鎮らは最初から無かったことにしようとしているが、噂とは人づてに伝わっていくものだ。


 国の守護神が、魔人ヒュドラの無二の友であり――あろうことかヒュドラを討伐しようとしたソムヌスを妨害し、返り討ちにあった。その巨大な骨は未だ国の中心部に鎮座している。


 堅牢な甲羅と二対の鋏(はさみ)、30フィート――物見塔のある砦と大体同じ位の大きさ――もある巨体は皮肉にも、再度侵攻してきた魔王軍を足止めする為の物理的な護りとなった。


 生き残り、未だ戦える者達はこの巨大な守護神の亡骸の周囲に簡易的な砦と、障壁を立てた。周囲の家々を潰して魔法仕掛けの罠を多数設置、侵攻できる道を一本化して頑強に抵抗を続けた。彼らを治めていた皇帝一族はその殆どはレオ大帝国、キャンサーの同盟国――というよりもほぼ隷属に等しいが――へと逃れていた為、実質国としては機能していない。


 当初は多くの帝国軍兵士が決死の覚悟で魔王軍と戦っていたが、その数も殆ど減って久しい。それでも尚、抵抗を続けることが出来たのは――。


 「師匠、また蛇野郎出たよっ! 3時方向、蟹の鋏の方!」


  華麗に舞うのは、頭に二つの角、銀色の長い髪、腰に竜の尾を持つ少女から発せられた。彼女の身なりは奇怪だった。背中に背負子(しょいこ)のように背負ったのは巨大な甲羅、その甲羅の左右には絡繰り仕掛けの腕(アーム)が伸びており、それぞれ楕円状の巨大な盾を保持している。


 甲羅が少女の上半身を覆い、その盾の内部からは二対の刃が展開する。


 翼の生えた蛇の魔物――アンピプテラ二体を左右の盾から伸びた刃が挟み込み、真っ二つに切り裂く。間髪入れず、正面から襲い来たのは獅子の顔、山羊の胴体、蛇の尾を持つキマイラ。”蟹”の鋏(はさみ)の上を走り、少女に襲い来る。盾の”ハサミ”を向ける暇は無い。体ごと回して、腰の尾を鞭のようにしならせて、キマイラの首に叩き付ける。


 よろけたところに、少女自身の手が持っていた三又槍(トライデント)を突き刺す。三又槍(トライデント)の内部に設置した水色の魔光鉱石(マナ・オーア)が稲妻を発した。


――雷轟電撃(らいごうでんげき)


 少女が叫び、キマイラが一瞬の稲光と共に消し飛んだ。


 軽やかに“蟹”の鋏へと着地した彼女の後ろにトンと、誰かが降り立った。


 大きな襟の立ったマント、角立った黒い髪の長身痩躯の男だ。顔の下半分を覆う頬当てにより、表情は一切読めない。だが、仮にこの男が頬当てを外していたとしても、その感情は一切読めなかっただろう。


「師匠、全部倒しといたよ、何か言う事は?」


 少女は巨大な“甲羅”をフードのように外して背中に預けると、腰に手を当てて、じっとりとねめつけるように、師匠と呼んだ男を見上げた。


「…………………………見事だった。レヴィ」


 じっと見つめて若干気が遠くなるほど時間を掛けて、”師匠”はそう告げた。弟子の少女――レヴィ・メルビレイは溜息一つ、三又槍(トライデント)を肩に担いで、元来た道へと戻り始める。


「いつも思いますけど、よくそんなんで“勇者の仲間”をやれてたね。いざって時に何も伝わらないんじゃないの?」


「……言葉とは煩わしいものだ。余計な憶測を呼び、ありもしない疑念を生む。かつて、我々は言葉等頼りにせずとも通じ合う事が出来たのだ」


「あっそー……、私と師匠は未だに通じあえてないみたいだけど。まぁ、種族が違うし当然かな?」


 レヴィは竜人(ドラゴニアン)と呼ばれる種族だ。かつては人間とも交じり合っていたという竜とその人の間に生まれた種族の末裔。人間からは奇異の眼差しを向けられ、時として敵意すら向けられる。


「通じあえていたからこその苦痛もある」


「あたしにはそれが理解できないから教えて欲しいんだけどね、勇者とアンタに何があったのかを」


 残念ながらそれ以上、男が話す事は無かった。これがレヴィの師匠――勇者ソムヌスの親友にして右腕だった男――モロス・アガメムノンだ。キャンサーが未だに持ちこたえる事が出来ているのはこの男の手腕によるところが大きい。


 彼は生き残った者達を纏め上げ、その圧倒的な武術と魔法を持って押し寄せる魔王軍を食い止めた事で、壊滅的な状態から、どうにか拮抗状態にまで持ち込むことができた。


 これも長くは続かないだろうとモロスは言っているが、レヴィは勿論、多くの人間の命を救い続けているのは確かなのだ。もっと自信を持って欲しいと彼女は思った。


 元勇者の話になるとモロスはいつも以上に口が鈍い。


「はぁ、それにしても、”現”勇者サマがもう少し長く滞在してくれていれば、魔王軍ももっと簡単に撃退できたのにな」


「…………仕方あるまい、勇者とて神ではないのだ。それに彼らのおかげで、一時は凌げ、ここまで持ちこたえられたのだ。直、アリエス、ジェミニの連合騎士団が来る」


 2か月前、魔王軍の襲来の折、勇者とその仲間が駆けつけ、瞬く間に撃退した。その際はレオ大帝国の皇太子の眼に留まり、なんらかの交渉があったらしく、数日滞在の後にこの地を去った。


 本格的な魔王軍の攻撃が始まったのはその後の事だった。すっかり油断していた帝国軍は総崩れとなった。モロスがいなければとっくにこの地は魔王軍が闊歩していただろう。


「その騎士団というのも当てになるんだか――ほら、何か弱そうな名前だったじゃん。羊毛なんとか――」



「金羊毛(トワゾン・ドオル)騎士団だ。“現”勇者の仲間――もいるらしい……お前は彼女から多くを学べるだろう」


 師の瞳からは、やはり何を考えているのか表情が読めない。だが、その“現勇者の元仲間”という存在に、彼の評価が厳しいことだけはわかる。


「多くの失敗を、な」

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