第8話 友達になってください その3

「ただいま」

「おかえりー」


 帰宅した俺をリリアナが出迎えた。せっかくだから昼飯でも一緒にどうだ、と手塚を誘ったりしたのだが、ただでさえ気難しい顔を更にしかめて「すまん」とか言ってきたので最寄駅にて解散した。手洗いうがいを済ませて、冷蔵庫の中身を見る。我が家の家事全般は俺が担当しているので、昼飯を作るのも俺の仕事だ。

 居間のソファーでグデンとしているリリアナに声をかける。犬神家はリリアナと俺の二人暮らしである。大黒柱のリリアナはスナックで働いているのでいつも起きてくるのは昼飯時。今も起き抜けなのだろう、スノウホワイトにパープルのメッシュが入った長髪を適当に束ねたスッピンスウェット姿をさらけ出している。


「何か食べたいもんとかある?」

「オムライス〜」

「オムライスか。卵あったかな」


 換気扇を回す。

 フライパンに冷食のチキンライスを入れて炒めて解凍。

 解凍が済んだら別皿に移して、卵を焼く。


「今日は朝からどこ行ってたの?」


 いつの間にか後ろまで来ていたリリアナが、俺の肩に顎を乗せて耳に息を吹きかけてくる。

 酒臭いな。


「稲荷山霊園」

「お参りしてたの? あーん! アタシも行きたかった! 姉さんに挨拶したかったのにぃっ!」

「また一緒に行くからさ、お尻叩くのやめてくれない?」

「あーんっ!!」


 太鼓の職人の鬼モードくらい俺の尻を叩くリリアナを宥めて居間のテーブルで待つように言う。インスタントのじゃがいもスープをマグカップに入れて給湯器から湯を注ぐ。適当にサラダを作って、オムライスと一緒に配膳した。


「ワンちゃん、リリアナってケチャップで書いて?」

「はいはい、分かってるよ」


 何歳なんだよ、この人。

 俺はリクエスト通り、リリアナの分のオムライスに彼女の名前を描いてやる。

 パチパチ拍手をして名前付きオムライスを受け取った彼女は、それをなぜか俺の前に置いてくる。


「何してんだよ。名前描いてやっただろ?」

「あーんっ、ワンちゃんにあたしが食べられちゃーうっ!」


 キツいキツい。身内のこのノリキツすぎる。

 俺は特に何も言わずにケチャップ文字をスプーンで潰して伸ばした。

 リリアナが悲鳴をあげる。


「ひーんっ!!」

「いただきまーす」


 メソメソと泣き真似をする彼女を無視して飯を食う。

 いつも通り騒がしい彼女に食傷気味になりながら、けれど、その明るさや煩わしさで救われた過去へと思いを馳せる。

 いつもなら考えないようなことに思考を巡らせるのは、きっと手塚の家の話を聞いたからだろう。


 両親を失った当初、俺はその現実を受け入れることができず塞ぎ込んでいた。昔のことで記憶はすでに薄れてしまっているから鮮明には思い出せないけれど、リリアナにずいぶん酷いことを言ったような覚えがある。可愛げのない、引き取ってくれたことに感謝も示さない無気力な肉の塊。それでも彼女はずっとそばにいてくれて、持ち前の楽しい性格で姉のように接してくれた。もしその支えがなければ俺は立ち直ることができず、腐った玉ねぎみたいになっていただろう。


 けれど、手塚は違う。あいつは叔母さんの家庭に馴染めなかったと言っていた。つまり彼は絶望に屈する膝に鞭を打ち、歯を食いしばって、ひとり立ち上がったのだ。天国で見守る家族が誇れる自分であるようにと、小学生ながらに考えて、傷だらけで動かない体を引きずってでも、ボロボロになった心を奮い立たせてでも、あいつは逆境に立ち向かった。


 手塚は、俺を認めてくれていた。俺とお前は同じ苦境を超えてきた、と。

 けど、こうして考えを巡らせると、それは違うんじゃないかと考えてしまう。

 だってあいつは、ずっと一人ぼっちだ。

 俺にはリリアナがいる。

 トメ婆という友達もできた。

 だが、手塚には家族もいなければ、友達もいない。

 家に帰っても木造二階建てのアパートで彼を迎える人はいない。物音のしない暗い部屋の電気を灯して「ただいま」と言葉を投げかけても、誰もその言葉に答えてくれないのだ。


 学校では昼間さんたちがよく周りにいるけれど、側から見るに、手塚は彼女たちとどこか距離を置いている。

 凶悪な容姿。黒い噂。魔王と呼ばれる彼に歩み寄る者は彼女たち以外にはいない。嫉妬心に囚われた男子生徒たちから仇を見るような目で見られさえする。距離を取られるのが当たり前で、色眼鏡で見られるのがふつうで。そんな状況をすんなり受け入れている様子から、手塚がどんな過去を送ってきたのかを想像するのは易かった。


 心臓を糸で縛られたかのような痛みが胸を走る。

 昼間さんに振られた時に感じた心のざわめきとは別の何かが喉をせり上がるように膨れ上がった。

 オムライスを口に運ぶ手が止まる。


「どうしたの、ワンちゃん」


 伺うように一言。すぐに答えなくていいと言わんばかりに、リリアナはゆったりとスープを啜った。

 俺は、口を噤む。

 話たくないわけじゃない。

 自分でも、何を語ればいいのか分からないだけだ。

 しばらく心の内を吟味して、ただ一つ、明確に名前のある感情を見つけた俺はそれを彼女に伝えた。


「俺、友達になりたい奴がいるんだ。手塚悠馬って奴なんだけどさ、すげぇいい奴なんだぜ」

「あら、いい男なの? じゃあさっさと声かけちゃいなさいよ。骨なんて後でいくらでも拾えるんだから」

「……そうだな。うん、そうするよ。ありがと、リリアナ」

「どういたしまして。ねぇ、ワンちゃん。ところで、……その子ってイケメンなの?」


 容姿は整っていると思うが、いかんせんコワモテすぎるからなぁ。

 どちらかというと、恐怖男ホラーメンズ、略してホラメンだな。


「ま、友達になれたら家に呼ぶからそん時自分の目で確かめてくれ」

「わーお、それは楽しみね!」


 涙袋をぷっくりとさせて目を細めたリリアナは愉快そうにオムライスを頬張った。



※※※



 次の日、早めに家を出た俺は校門の前で手塚が来るのを待っていた。

 計画は特にないが、とりあえず顔を合わせればどうにかなると思う。

 なるよな?

 うわぁ、ちょっと緊張してきたな。

 同年代の友達ってどうやって作るんだっけ?

 あー、やばい。パニクってきたかも。

 半世紀以上年上の友達に相談しよ。

 スマホを取り出し、ロインでメッセージを送る。


『婆ちゃん、友達ってどうやって作るんだっけ?』

『一緒に過ごしている間に、何となく友情が芽生えていると感じた時、それが友達になった瞬間なのではないでしょうか?』


 メッセだと敬語なのか、普段と差があってキモいな婆ちゃん。 


『そんなまどろっこしいことしてられないよ。どうにかしてよ、オバえもん』

『そうは言っても私の経験上、友達とは「今日から友達になりましょう」と言ってなるようなものじゃありません。時に辛抱強く待つということが私たちには必要なのですよ』

『すみません、あなたはほんとにトメ婆ちゃんですか?』

『はい、そうですが?』


 ダメだ、慣れないな。違和感に気を取られちゃって内容が頭に入りにくいし。

 もういいや。なるようになるだろ。婆ちゃんは女の子だしな。女同士の友情は積み重ねなんだろう。俺が予想するに、男同士の友情ってやつは、たぶん直球勝負な気がする。知らんけど。


『相談に乗ってくれてありがとう。今度、お礼にあんこ餅買って遊びに行く』

『あら、うれしい。楽しみにしてますね』


 スマホをブレザーの内ポケットに入れる。

 まだかなー。まだかなー。

 背伸びして、校門に吸い込まれていく生徒たちの波を眺めていると、ふいにブレザーの裾を誰かが引いた。


「おい」

「ん?」


 下から聞こえた声に目線を下げると、そこにいたのは昼間さんだった。

 おおっ、小さくて気づかなかったぞ。

 気だるげに彼女は言葉を継ぐ。


「お前、もしかしてしつこい?」

「え?」

「……とぼけるな。ぼくのこと、校門で待ち伏せしてたんだろ?」


 腕を組んで、お前の考えはお見通しだっ、とばかりに鼻を鳴らす昼間さん。

 以前までの俺なら、彼女と会話をしているだけで天にも昇る気持ちになっていたはず。心臓はその存在を主張し、ハートはポップなビートを刻み出していたことだろう。だというのに、いま俺の心は森の奥底にひっそりと広がる湖面のように穏やかで、波風一つ立っていない。そんな自分の変化に驚きながら、ともかく勘違いを正そうと身振り手振りして否定した。


「そんなことしないって。俺が待ってるのは違う人」

「下手な言い訳だね。じゃあ誰を待ってたの?」

「手塚だよ、手塚」

「はぁ? なんでおまえが悠馬のことを校門で待ってるんだよ。……あ、まさか、あのクソ憎たらしい噂を真に受けて、ぼくのためだとかほざいて難癖つけるつもりじゃないだろうな!」


 眉を吊り上げてこちらに詰め寄ってくる昼間さん。背が低いので俺を垂直に見上げるみたいな体勢になっているが、小柄ながら中々の迫力が全身から漲っていた。猫がシャーってしてくる時あるだろ、あんな感じだ。まあまあ怖い。

 今にも掴みかかってきそうな彼女から後ろ歩きで距離をとって、不興を買わないよう真摯に説明を差し上げる。


「そんなことしないって。あんな噂は嘘だって分かってるから。俺はむしろ、手塚は良い奴だって思ってるよ」

「じゃあなんで悠馬のこと待ち伏せしてるんだよ」

「……理由聞いても笑わない?」


 なんかさ、友達になりたいから待ってます、とか言うの恥ずくね?

 小学生みたいじゃね?

 思わずもじもじしちゃう俺のみぞおちギリギリに、小さな拳の正拳突きが寸止めされる。


「はやく言え。次は当てる」

「ひぃっ、ともだち、てて、手塚と友達になりたいから待ってますぅ!」


 くっそ情けない声で俺は鳴いた。

 昼間さんは予想だにしていなかったのだろう俺の言葉に、ぽかんと口を開ける。半月のような瞳をパチパチとしばたかせて彼女が何かを言おうとした瞬間、向き合う俺たちの横から、閻魔大王が風邪を引いた時の声みたいな音が響く。二人してそちらを向くと、そこには普段通りナマハゲが裸足で逃げるくらい怖い顔の手塚がいた。


「犬神、俺と友達になりたいのか?」


 どうやら先ほどのセリフを聞かれていたみたいだった。

 どうしよ。どうしようもないか。

 男なら、まっすぐ一本道、真っ向勝負!

 俺は手塚と真正面から向き合って、拳を突き出して腹から声を出した。


「友達になってください!! よろしく!!」


 時が止まったかと錯覚するくらい辺りが静まりかえる。

 登校中の生徒たちの目線をすべて集めるくらいの大声を出してしまった。想いのデカさと声のデカさって比例するもんな、仕方ねぇよ。恥ずかしさに顔を俯かせそうになる心にスパンキング。ジャックナイフのごとき三白眼をしかと見つめ、手塚の返答を待つ。


「──ふっ。そんなに大きな声を出さなくても聞こえるぞ。……まあ、俺でよければよろしくな」


 過去の傷痕が残る拳が、俺の拳にコツンとぶつけられる。

 手塚が俺と友達になってくれたのだ。

 しかし、俺の思考はそのことを理解する前に別次元へと吹き飛んでいた。

 あの手塚が。

 なかなか笑うことのない彼が、俺に対して笑顔を見せたのだ。

 色眼鏡で見る他の連中には悪魔の笑顔にみえるであろうそれは、なぜだろう、俺の心を信じられないほど高揚させて、耳たぶがじんと熱を持つほど胸を焦がした。

 完全に散り終えていた桜の花びらが地面から空へ舞い上がる。

 木々が踊るように騒めいた。

 春風が体を持ち上げるように吹く。

 手塚の前髪がハラハラと揺れた。


 いま、この瞬間を、ガラス瓶に閉じ込めて部屋に飾りたい。

 心からそう願う。

 手塚悠馬の笑顔はダイヤモンドのように美しかった。

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