指輪と認識して真っ先に脳裏を過ぎったのは、
『 母親が俺を今の実家に押し付けて出て行った時、俺に押し付けた 』
『 渡された頃はこれを大事に持っていればその内母親が帰ってくるんだって思い込んで—— 』
そう、そっと微笑んだ紅騎の、本当の宝物。
あの時はどんなデザインかなんてじっくり見る余裕はなかったけど、女性もののサイズだった事は覚えている。
いつ落としてしまったのか。急いで振り返るも既に教室に紅騎たちの姿はなく、廊下まで走る。
テストを終えたスポーツ科と一般科、お昼を買いに行く特進科で賑わう廊下に、背が高くて見つけやすい紅騎の姿はもうなかった。
近くの階段を降りて行ってしまった可能性が高い。
「っ」
「純くん? もうお昼買ったんだ、
早く食べよー自習時間なくなっちゃう」
「ぁ、桜さん……そう、だね」
丁度すれ違い様に声を掛けて中に入ろうとした桜さんに指摘され、手首に掛かったそれを見る。
そうだ。折角紅騎が買ってきてくれたご飯を食べないわけにはいかない。
自習もやらないと。
指輪は必ず後で渡そうと大切に仕舞って最後のテストへ向かった。
・ ・ ・
「純」
「ん……わっ」
結局皆、寮への戻りを野球しながら待っていてくれた。キャッチャーに扮して腕を大きく回していた菫と、一緒に帰り、青空に吸い込まれていくボールも一緒に見上げた南も道連れに、自転車はないからバス経由で。
久しぶりの電車に乗って海へ向かった。
期末テストが終わって気が抜けてしまって、空いた心地よい電車の揺れに舟を漕いだ。
次に声が聴こえて目を覚ますと、目の前にこちらを覗き込む紅騎の顔があって驚いた、今。
「ごめ、寄りかかっちゃってた!?」
涎を拭いつつ謝るも、紅騎はふと口元に弧を描くだけ。
「起こしてごめんな、ほら」
紅騎の視線の先。追い掛けると、窓の外には空より深い青に染まる海が広がっていた。
「うわぁ……!」
思わず身を乗り出して声を上げると目の前で同じように眠っていた潮が目を覚まし、その隣で恐らくいつも対戦しているスマホゲームに勤しんでいた湊と菫も窓の外を振り返った。
「おー! ついに来たな!」
「ただの海じゃん」
興奮する湊とは対照的に、すぐにふい、とスマホに視線を戻す菫。南が「そういや菫の地元って海近だっけね」と呟く頃には湊が「あー! ズリィ!!」とまたスマホに引き戻されている。
思えば、海に来るのは初めてだった。
「えーー!! 純 水着持ってきてねぇの!?」
海に着いて早速パラソルを借り、その時に買ったレジャーシートを敷いた側でラジオ体操。音源は菫のスマホだ。何なら完全に敷き終わるより早く流し始めて強制参加を促していた。
こういうところが急にスポーツ科っぽいよね、と南が言う。ボクもそう思った。
「うん……泳げないんだ」
体操しながら心苦しい言い訳だが、泳げないのは本当だった。昔、嘘が苦手なら嘘にほんの少しの本当を混ぜればうまくいくと聞いたことがあるような。
「なんだよそれ先に言えよー。知ってたら登山にしたのに。か、バーベキュー」
「え」
予想外の反応が返ってきて、より胸が痛む。
何で来るんだよ、とか断れよ、じゃないんだ。
優しいなぁ。
今度は湊にじーんとさせられて、見上げる。ボクはベージュのハーフパンツを引っ張り出して履いたのと、上は、
「っつーかその服何? ただの服じゃなくね」
「これラッシュガードっていうんだって。ボクも初めて」
湊に指摘された胴を見下ろす。深い紺色のそれを小さく摘むと「買ったん?」と訊かれた。
「ううん、さっき寮を出る前、皆の所に向かう途中で寮長さんに会って。海行くって伝えたら丁度良いのがあるって貸してくれたんだ。
乾燥機かけたら縮んじゃったんだって」
より詳細を述べると、元々着ていた薄ベージュの半袖を見て先ず海に入らなくても万が一水に濡れたらどうするんだ、それじゃ透けるぞ、ともっともなことを指摘し貸してくれた。
なんて機転が利く人だろう。
乾燥機で縮んだ、と見せられたそれは体躯の優れた寮長さんの物ということもあり、まだぼくの身体には余るものがあったが有り難くお借りした。
「へー。濡れても大丈夫そうだな」
に、と笑って覗き込む湊に顔を蒼くすると、皆の前に立ちキビキビと見本となるラジオ体操に励んでいた潮に「そこ! ラジオ体操と海を舐めるな!」と叱られてしまう。
「サァーセンッッ」
「すみません!」
部活のTシャツを着た潮は何故既にゴーグルをしているのだろう。サングラスの代わりかな。
こう、全体を見ると、音源提供者の割に既に怠いのか眠いのか、あくびをしながら上裸で体操する、顔と腕、脚に関して一番くっきりこんがりな菫と見事なゴーグル焼けの潮に比べたら室内競技の紅騎と湊の外周焼け? が軽く見えるから不思議だ。
近くにいた紅騎を見ると、目が合って不思議そうな表情を返された。
その奥の南。オーバーサイズのTシャツから覗く腕は全然焼けていない。
……というか、こう見ると、って。
真横で安定の上裸でいる湊と普通に会話できるくらいには耐性ができてきたのか。いつの間に。
「よーーーーし」
体操を終え、湊の「それじゃ横一列に並べー」の掛け声で皆がぞろぞろと両隣に整列した。
「えっ、何」
「純は〜誰が一番に海に到達するか見てて」
悪戯な表情の湊に言われると、反対側の隣に来ていた南が補足する。
「砂浜熱いから。ここからダッシュすんの」
「純、これ持ってて」
「えぇっ」
南の奥の紅騎が着ていたTシャツを投げてきて、慌てて受け取る。
「一着はどーするよ」
「夏休みの間だけ出現する幻のアイス自販機で三回奢り、だな」
「えー。菫食いもんばっかじゃん」
「るせ」
「早くやろ。俺だけスポーツ科じゃないからハンデほしいくらいだよ」
「純ならいいけど足速い奴はだめですー」
遠回しに批判されたような気もするけど、皆が気合いを入れ直したタイミングで黙って、背を屈めた湊に肘で小突かれる。
ボクか……!?
待たれたスタートの合図を任されたことにハッとして、慌てて背筋を伸ばした。
「位置について〜〜!
よ〜〜いっ
ピ〜〜!!」
出せる限りの精一杯声を張り上げると、出鼻で両隣の湊・南がズッコケた。
「!?」
びっくりして飛び跳ねたが、順調なスタートを切った紅騎・菫・潮が砂浜を駆けて行く。
が、潮は——ボクのような者が言えたものではないが——足が遅かった。
膝は高く、腕も大きく振ってはいるのに何故か全てが垂直であまり前には進んでいない。
その脇をアイス三回権目掛けて菫が突破していく。
その菫と競っているのは勿論紅騎だ。これは何度見ても『足が速いっていいなぁ』と焦がれずにはいられない。
ギラギラしている菫も含めて海に向かう二人の背中はキラキラと輝いている。
「「純〜〜〜〜!!!!」」
「えぁっ?」
そういえばと足元に視線を下ろすと、砂浜から腰を浮かせた湊と南がこちらを恨めしそうに見上げていた。
「おまっ、そこはピーじゃなくてせめてどんだろ!!」
「『ピ〜〜!!』って」
あはは、と目尻の涙を拭う南。
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