「そ!! うなんだ」


あまりに真っ直ぐ、それでいて柔らかく笑むからドキッとしておかしな反応になってしまった。

南は「あは。まー件のパン食い競争はクソダサい三位でしたが……? 吐かなかっただけギリ及第点かなァ、写真撮られてたら終わるわ」と顔を傾け自虐している。


「いっつもこういう所で外すんだよねー…ぶっちゃけ足速くなかったら最下位だったし」


「いやいや及第点どころか百二十点満点の活躍だったよ、部分的じゃなく全体的に見たら。因みにボクは餡パン食べられるのに最下位だったよ足遅すぎて」


うる…うる…と眸を潤ませる南に声を張り上げたら「純〜〜!クソダサい最下位とか言ってごめん〜〜!」と頭を抱きしめられた。苦しい。し南は別に最下位をクソダサいとは言ってなかったような。本当はそう思ってたんだね。



「うし、純。借り物競走頑張ろ」


「うん。ボクも最後まで諦めないで上位を目指すよ。南はたった一人をメロメロ骨抜きにしてね」


今度は拳を突き合わせた。




そうして借り物競走は幕を開け、ついに順番が回ってくる。この競争に足の速さは加味されないのか寮生かそうでないかだけが分けられそのままの並び順でスタートラインに立ったから、隣には南も、戻ってきた後直前まで話し、喧嘩していた桜さんと橘くんもいた。


「純……俺、もしお題が“好きな人”だったら、その人掻っ攫ってくるわ」


「えっ」


真っ直ぐ前を向く南の横顔は真剣そのもので、所謂“恋バナ”の経験値が乏しいボクにはそれに何と返したら南の為になるのかすぐ思い付かなくて、只管頑張れ、と心の中で唱えた。


「位置について、よーい」



パン、と音が弾けて、弾む心臓抱えて踏み出す一歩。その瞬間、思い出す。ボク以外の南、桜さん、橘くんが選抜リレーの出場選手だったことを。


一緒に走り出して身に沁みる、同じ年数生きてきてこうも違うのかという足の速さの違い。

当然置いて行かれたボクは菫に言われた『おまえすげー足遅いな』『足音うるせーし』を思い返しながらも必死に両の脚をバタつかせて追い掛けた。


既に朦朧としつつ腕ごと突っ込んだお題箱。もう三人は近くに居らず、行方が気になったけど気にする余裕も時間もないから急いでメモを開く。大丈夫、勝負はここからだ。



“ 相部屋の人 ”



ボクの借りもの、紅騎だ……!!



勢いよく顔を上げて、校庭の反対側を振り返る。スポーツ科のパン食い競争で盛り上がるその場は人集りで個人の判別がし難い。もしかしたら紅騎はまだこれから走る列に並んでいる可能性だってある。

視線を滑らす。汗が顳顬を滑り落ちると同時にその方へと走り出す。紅騎の名前を心の中で繰り返し呼んだら、抜ける人集りの中でこちらを振り返ったその人物と目が合った。


「紅——ッ」


はちまきを首に下げて餡パンを頬張る所を見る限り、丁度走り終えたのか。確かに“1”が記された襷も肩から掛けられている。

南みたいに掻っ攫えたら良かったんだけど、


「純?」


ぎりぎり見た紅騎がそう唇を動かした気がした。

咽せたボクは膝に手を付き、人に埋もれて小さなメモを握り締める。


「どうした、今借り物競走中じゃ——」


あっという間に傍で言い掛け、何かを察した紅騎がメモを握る拳を開く。



「…了解」


それだけ聞こえると、身体が宙に浮いた。


「えぁっ!?」


未知の感覚に舌を噛みそうになりながら声を上げる。周囲の様子を気にするのを忘れてしまうくらい、必死の最中の衝撃だった。


「こ、うき」


「舌噛むからしっかり掴まって」


ボクを背負った紅騎はそれを云うと同時に駆け出していた。身体が浮いたことの次に同学年の男の子の背中に乗せられるなんてイレギュラー、処理しきれずに紅騎の見た目よりがっしりした背中にしがみつく。


動物の親子でもこういうのを見たことがあった。


今さっきライバルの皆の足の速さに驚いたばかりなのに、今度は下になった紅騎の足の速さが同じ世界線とは思えなくて心臓がバクバクした。振り落とされないように必死に、でも、心のどこかで紅騎はそんなことにならないという安心感があって。


「答え合わせ、あそこ?」


クイ、と顎と顔の向きで示された方向に「うん……!」と力いっぱい声を出す。紅騎は何か小さく返事をして再度足を速める。

恐らく最後の種目も走り終えた直後だった紅騎の疲労度やら負担度が過ぎって途轍もなく申し訳ない気持ちと、最終的なその不思議な安心感とが入り混じる。


一瞬だったその瞬間の後、息を切らした紅騎の「2年6組 西園寺純の“借り物”、相部屋の戸堂紅騎!」の声に、降りる意思表示をした。

それでも紅騎はわざわざ地面に膝を着いて、転がり落ちないように降ろしてくれた。


「はい、確かに。順位は——


一着!

おめでとうございます〜!」



「一着!!?」


思わず後退り。それをしゃがんだままの紅騎が見上げて、「やった」と祝福してくれた。幼稚園の時のかけっこに始まり運動系の競争で一位を貰ったことなどない人生だった。


「紅騎〜〜〜〜」


「おめでと」


緊張は解けて感謝が溢れ出す。首筋の汗を拭う紅騎はそんな情けないボクを笑った後で先に自分の一着の襷を掛けてくれた。





・ ・ ・





「「「「「カンパーイ!」」」」」



体育祭を終え、お風呂もご飯も素早く終えた五人が集った205号室になみなみジュースが注がれた紙コップの当たり合う音がカスカスと。耳をすませば聞こえた。


「どぅわっ、ちょ、ウシオ! 強く乾杯しすぎ溢れた!」


早速湊が怒る向かいで、隣の南に「菫は?」と尋ねる。


「爆睡だって」


「そっか…」


状況を知ってか知らずか「また乾杯しに行こ」と覗き込んで微笑んでくれる南。そうだね、と微笑み返す。


「まだ力加減の感覚取り戻してないわ。つーかこの部屋、上に動物でも居んのか? うるさくないか」


目の前で湊に堂々と言い返している『ウシオ』は湊の相部屋の男の子だ。この一週間、部屋は近いのにまだちゃんと話したことはない。思い返せば確かに始め、寮長さんとの会話の中でも名前を耳にした気がするけど……他にも何処かで、この声……


「あ。ウシ……佐久間さくまくん」


「? うしおでいい」


「ありがとう。憶えていたらなんだけど潮ってもしかして先々週の日曜日の夕方、食堂に来たりした?」


「先々週の日曜日の夕方」


真顔で繰り返した潮は黙り込み、代わりに湊が「って何日?」と南に問うた。その答えを聞いた後で潮は「あぁ」と口を開く。


「ウルトラに捕まって連れてこられたやつか。寮の座敷童子をついに見つけたとか何とかで」


「ザシキワラシ」


『ウルトラ』聞き覚えがある。ということはきっと座敷童子とはボクのことで、潮はあの時の筋肉ダルマさんの正体だ。


「ン……。……。ウワッ!?!?」


ついに目の前に筋肉ダルマさんがいる現実に感動すら覚えて見つめ合った一瞬の後、筋肉ダ…潮は悲鳴を上げて壁まで飛んで行った。隣の湊が「何!?!?」と驚いて注ぎ直したばかりのジュースをまた零してしまっている。


「おまっ、エッ、キャア!!!!」


「ウッッルセェェよ!!」

「うるせぇ!」

「うるさいの潮じゃん…」


湊、紅騎、南が一斉に声を上げた。まだそこまでの連携が取れていないということなのかこの波に乗れなかったボクだけが瞬きをする。湊は「あ〜〜また零れたぁぁ」とめしょめしょしていて可哀想だ。

しかしこの甲高い「キャア」…あの時ヒマリさんが近付いて悲鳴を上げていたのは意外にもその『ウルトラ』くんだけじゃなく潮もだったんだなぁ。


「何っえ!? 食堂に棲み着いているんじゃないのか!? 出てきて大丈夫なのか!?(※俺らが)というか皆見えてるんだよな? 何平然と座ってジュース飲んでやがる……!」


205号室この部屋の寮生だからだよ」


紅騎が先に苛つき全開の様子で説明してくれた。


「リョウセイ……?」


潮の切れ長の眸は点になり、南がツッコむ。


「いやいやいやうそでしょ? 隣の隣だよ? 廊下とか食堂とか風呂とかトイレとかランドリーとか洗面所とか、たった一週間ちょいでも何度かは見掛けてるよね?」


お風呂はないけれど…と思いつつ黙って聞いていると、服をティッシュで拭う湊が「コイツ、基本寮生活で眼鏡掛けねーから」と言って服を脱ぎ出した。


「!!」


「どーした純。顔真っ赤だけど」


急に背筋が伸びたボクを不審に思った紅騎が声を掛けるもまさか湊が上裸になったからびっくりして、直視できないなどと言えるものか。


「トッとんでもない」

「はぁ?」


「だからって」


「食堂で見た時はやはり今日もいる、俺らに混じり飯を食っていると思ったし、廊下とかで見えてしまった時はおでかけかと」


「ODEKAKE」


何がツボに入ったのかどっと笑い出した南の代わりに、直視できない湊が「わりーな純、こいつ、ちょっと厨二っぽいとこあんだよ。純粋っつうかメルヘンっつうか」と思い遣りのフォロー。


「今日バスケの試合の時もボールにキスしたらしいし」


フォローかと思いきや呆れ顔で潮を睨んでいる(気がする)。突如笑い声が止んだ南も、紅騎も、チベットスナギツネみたいな顔で潮を見ている。


「寮長はどうだったよ」


湊からの問い掛けに、まだ戸惑った様子の潮が見開いたままの眸に合わせて口を開く。


化け物バケモンだった」


「…寮長って中学はバスケ部だったんだよな、」


「現役バスケ部かと思ったぞ」


何故かこちらを見たまま湊と会話する潮に釘付けになっていると、隣から「いいなぁ」の声がした。振り返ると紅騎が頬杖をついている。


「俺が寮長とやりたかったわー…」


引く湊に「誘えばいいじゃん」と南。


「だって三年って隙あらば受験勉強〜〜って感じでそういうキッカケでもないと声掛け難くね?」


「まー、そっか。気は遣うか。

でも紅騎が逆の立場だったら後輩の誘い断らないでしょ?」



「どんまい潮。俺もサッカー部のくせにチートでフットサルに参加しやがったタケシに天才と対峙という名の暴力を受けたぜ」


自分を挟んだ南と紅騎の会話の向こうで、湊が潮の肩を抱いている。


——借り物競争はあの後、揉めながらお互いがお互いを引っ張り合う二人三脚状態の物凄い勢いでゴールした桜さん橘くんが二着三着と続いた。どちらが先着かも最後まで揉めていて結局どうなったか訊くという賭けには出れなかった。間違って三着となった方に訊いてしまったら大事だからだ。二人のお題が何だったのかも訊けていない。


最後に酷く疲弊した様子でモサメガネくんのメガネ部分だけを持ってきてこれじゃだめですか、と問い、だめだった南は……モサメガネくんのということは、南のお題も“相部屋の人”だったのかな。


「借り物競走、南のお題は何だったの」


「“今朝起きて最初に話した人”。モサメガネの奴、近くに居ると思いきや全然見当たらなくて、何とサ・ボ・り! やっと見つかったと思ったら面倒くさいから行きたくない、はいこれどうぞって眼鏡渡されて失格よ」


「そうだったのか」


「純の借りものが紅騎だったならどの道勝てなかっただろーけど」


また一瞬チベッドスナギツネに戻って失格を告げた南はボクの手元に置いてある1が記された襷に目を遣って笑った。


「本当、ボクは今回引きが良かっただけでこの一位は紅騎のものだよ」


「運も実力の内だろ。丁度近くにいたってのもあるけど、純が軽くなかったら流石におぶって走るとかできねーし。っつーか純、異常な軽さだったけど大丈夫か。走ったら飛んでいくんじゃねーかと思ってそっちのが心配だったわ」



「お二人サンめちゃくちゃ注目浴びてましたが……? 俺のパン食い競争一位が霞むくらいに」


「ね〜〜湊その不憫ムーヴ止めて」


「好きで不憫やってんじゃね〜のよ」


今度は湊がツボに入ったらしい南は笑い転げて、つられて。潮は最後まで一生懸命にボクを人間と認識しようと頑張ってくれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る