Ⅳ 心の赴くままに
「じゃあ、一年生は、ポエムってことで」
放課後、文芸部の集まりに参加すると、部長から今回の課題が発表された。ポエム、か。用意してきた専用のノートを机の上に広げてはみたものの、書ける気がしない。
救いを求めるように、周りを見回してみる。文芸部の基本の活動は部員同士のおしゃべりで、いつものように、他の人たちは小説以外の話で盛り上がっていた。
……結局、一度も口をきいてくれることがなかった、保科くん。だけど、意識的に無視されている感じではなかった。わたしなんか、最初から存在していなかったみたいに、自然で。
ふと、息苦しさを覚えた。何の不自由もなく生活させてもらっているのに、贅沢かもしれない。でも、それでも、どこにも自分の本当の居場所がない気がするし、自分の存在も不安定なものに思えて、なんだか ————— と、そのとき。
「…………?」
この近くの教室から、かな。お世辞にも上手とはいえない、軽音部らしき人たちの演奏が、わずかに耳に入ってくる。自分でもよくわからないまま、部室を抜け出していた。聞こえてくるのは、廊下のいちばん奥の教室。
近づくにつれて、音の輪郭がはっきりしてくる。全体的にバラバラな演奏だけど、注意深く耳を傾けると、歌とギターだけは比較的しっかりしているし、それに……と、教室の前で聴き入っているうち、演奏が突然止んだ。
どうしたんだろう? 不思議に思って、扉に近づこうとすると。
「疲れた。休憩」
不意に、中から出てきたのは、結城くんだった。
誰もいない廊下で、目が合う。
「あ……練習中?」
「何?」
めちゃくちゃ、機嫌悪そうというか、気まずい。
「えっと、いい曲、だね」
演奏はともかく、そう思ったのは本心だったのに、わたしをじろりとにらんでから、面倒そうな表情で結城くんが去っていく。
そっと中をのぞいてみると、「難しいなあ」と、他の部員の男の子たちがため息をついている。
マイクスタンドの前の人の姿は不在で、すぐ横にギターが立てかけてあった。やっぱり、結城くんが歌ってたんだ。そういえば、結城くんは軽音部に入ると、保科くんから聞いていたのを思い出した。
「ん? 何か用?」
「あ、いえ……!」
部員の一人に声をかけられてしまい、あわてて部室に戻る途中、わたしは考えていた。さっきの曲、ちゃんと、最後まで聴きたかったな。また、ここに来れば、きっと聴けるよね。
部室に戻ると、気を取り直して、ペンを取った。放課後、部室に行く楽しみができた。このときは、半分無理矢理作った、ささいな楽しみにすぎなかったんだけれど。
「え……? 俺?」
クラス全員で引いたくじを一斉に開いた瞬間、教室の後ろの方の席の保科くんが、声を上げた。
「保科か。あと、もう一人は?」
「あ、わたし」
クラスの委員長の問いかけに、わたしの斜め後ろの席の女の子が手を挙げる。決めていたのは、体育祭実行委員。
「じゃあ、うちのクラスからは、保科と前川さんってことで、解散。あとで、二人にはプリント渡すから」
クラス委員長の締めで、クラスの人たちが教室を出ていく。
そんな中、周りの人にひやかされながら、委員長から受け取ったプリントを読み込んでいる保科くんに目をやると、明らかに表情が曇ってる。単純に大変そうだからというのではなく、困っている感じ。
「なっちゃったものは、しょうがないよね。頑張ろ?」
同じく、実行委員に決まった前川さんが、明るく保科くんの背中を叩いた。そんな前川さんに、保科くんも笑顔で応えているけれど……。
「保科くん」
保科くんの周りに人がいなくなったのを見計らって、声をかける。勇気を振りしぼって。
「あのね、体育祭実行委員の仕事のことなんだけど」
「うん。何?」
驚くというより、けげんそうな顔を向けられた。
「わたしに、やらせてもらえないかな。本当は、やってみたかったの。でも、みんなの前だったから、手を挙げられなくて……」
陰でバカにされているとわかって、気まずくなってしまったあとでも、そう言い出さずにはいられなかった。
「いいよ。くじ引いたのは、俺なんだから」
わたしの発言が本心でないことは見抜かれていたらしく、さっさと話を切り上げたそうに、保科くんは立ち上がったんだれけど。
「お願い。その方が、いろいろと都合もいいの」
なんて、自分でも意味のわからない理由を説明しながら、今度は頭を下げると。
「……わかった」
わたしをしばらく凝視してから、何かを心得たように、保科くんが軽くうなずいた。
「そこまで言うんなら。ありがとう」
「う、うん」
棒読みっぽい調子で、お礼を言われて。
「じゃあ、これ」
予定の書かれたプリントを、すっと差し出された。
「……ありがとう」
顔を見ないで、受け取る。いろいろと都合がいいっていうのは、航生くん絡みだとでも受け取られたのかもしれない。なんとなく、あきれられている空気。
「でも、正直助かった。埋め合わせできる機会があったら、するから」
「ううん! べつに、そんなこと……」
言葉を続けようとしたときには、すでに保科くんは教室にいなかった。プリントをながめてみると、仕事の内容は、週一回か二回のミーティングに出席することと、当日の手伝い。そして、いちばん大きな仕事が、クラスの看板作りの指揮。
しっかりしていそうな前川さんも一緒だし、わたしでも何とかなるはず。これを機会に、クラスの人とも馴染むことができるかもしれない。そんな淡い期待を胸に、実行委員の集まりの日を待っていたのに。
「前川さん」
当日、思いきって、教室で声をかけてみた。
「あのね、保科くんの代わりに、わたしが委員になったの。よかったら、一緒に移動……」
「なんで?」
前川さんの冷たい視線。
「野呂さんに代わったとは、保科くんから聞いたけど。なんで、そんなことになったの?」
「それは……保科くんが、忙しそうだったから」
わたし、何も考えていなかった。きっと、保科くんと仕事をすることを楽しみにしていた、前川さんの気持ち。
「ふうん。それなら、わたしも忙しいんだよね。だから、野呂さんだけでやって」
「あ、前川さ……」
友達と一緒に、前川さんが去っていく。保科くんにいい顔しちゃって、信じられないとか、いやらしいとか、そんな会話が廊下に響いていた。
相変わらずな自分が、嫌になる。当日の手伝いは、わたしが二人分やれば、どうにかはなりそうだけれど。こんな状況で、看板のデザインを決めて、手伝ってくれる人を見つけられるのかな……。
第一回目の委員の集まりに出たあと、一人で部室に残って、課題のポエムを考えていた。まだ、半分程度しか埋まっていない、わたしの原稿用紙。正直なところ、ポエムどころではない。
本当に、どうしよう? やっぱり、わたしの行動は間違ってたのかな。役に立つどころか、クラスの人全員に迷惑をかけることになってしまうかもしれない……と、そこで。
「あ……」
部室に来るときは、委員の仕事のことで頭がいっぱいで意識していなかった、結城くんたちのいつもの曲が聞こえてきた。扉を開けて、廊下に飛び出す。
初めて耳にしたときよりもだいぶ整ってきて、メロディーと歌詞がしっかりと浮き上がっている。演奏のたどたどしさは残っているけど、シンプルな音と歌詞は、わたしの心の奥にまで入り込んでくる。
こんなふうに、無条件に、まっすぐに自分を好きになってくれる人が、わたしの前にも現れる。いつか、きっと 。 そんな、期待というよりも、泣きたくなるほどの安心感で、胸がいっぱいになる曲。
数分後、音楽が止んだ。それとほぼ同時に、片付けの始まった物音。この前みたいに、廊下で鉢合わせちゃったら、気まずい。名残惜しい気持ちを抱きつつ、静かに部室に戻って、書きかけのポエムの紙をながめてみた。
あの曲は、結城くんが作ったのかな。歌い方から、深い思い入れみたいなものが伝わるし。もちろん、音楽もだけれど、どうしたら、あんな言葉を生み出せるんだろう?
時計を見上げてから、戸締りを確認しようと窓に近づくと、片付けを終えたらしく、結城くんたちが歩いていく姿が見える。
一度、外の空気を吸いたいと思い、窓を開けたら、内容まではわからないけど、入り混じる話し声と笑い声が耳に入ってきた。よけいなお世話だけど、結城くんも軽音部の子たちとは慣れて、楽しくやっていけるようになったみたい。
「……やっぱり、書き直そう」
ポエムが苦手分野だからって、納得のできないものを残しても、意味がない。少しでも、いいものを残したい。そう心に決めて、席に戻ろうとしたときだった。
「きゃ……!」
外から吹き込んできた風に、わたしの原稿用紙がさらわれた。2階のこの教室の窓から、はらはらと校庭に舞い落ちていく。
「待って……」
願いもむなしく、よりによって、原稿用紙は結城くんたちの前に。拾い上げて、こっちを見上げている、結城くん。
「ご……ごめんなさい。今、行きます!」
窓から大きな声で告げると、階段を駆け降りる。
「ごめ、なさ……それ……」
校庭へ出て、結城くんの元に着いたときは、息も切れ切れ。
「また、あんたか」
「その……拾ってくれて、ありがとう」
差し出された原稿用紙を、無事確保した。薄暗いし、何が書いてあるかまでは、知られずにすんだよね。なんて、胸を撫で下ろしたのも、つかの間。
「何? その恥ずかしい詩みたいなの」
「…………!」
やっぱり、見られてた。
「これは、課題のポエムで……」
「ポエム?」
一緒にいた男の子三人が、笑い出す。結城くんは、ぶすっとしたままだし、もう泣きたい。
「しょうがないの。わたしは、結城くんみたいに才能がないから」
いたたまれない気持ちになって、そんなことまで口にしてしまった。
「あ? 俺?」
「うん。あの、さっきの曲の歌詞みたいに……結城くんたちが演奏してるのを聴いて、ずっと気になってたの。この前も言ったけど、すごくいい曲だなって」
引っ込みがつかないから、言葉を続けるしかない。何より、本当に思ったことだし。
「だってよ、結城」
「俺には、あの曲のよさ、いまいちわかんないんだけどね」
「全然、見せ場がないんだもんなー」
「えっ? あの……」
口々に勝手なことを言い始める、男の子たち。本人の前で、そんなふうに言っちゃうの?
「……何をカン違いしてるんだか、知らないけど」
「あ、は、はい」
言いたい放題な男の子たちをにらんでから、大きなため息をついて、結城くんが口を開いた。
「あれ、俺が作った曲じゃないよ」
「そうなの……!?」
まさか、わたしの思い込みだったなんて。
「あの曲は、イロイッカイズツっていう……」
「ごめんなさい、待って。ちゃんと覚えたいから。えっと、イロイッカ……? 英語?」
「違う。カタカナ」
イライラしたようすで、自分の肩かけバッグから、筆記用具とノートを取り出すと、最後のページにさらさらとペンを走らせ、破いた切れ端を突き出された。目をこらすと、“イロイッカイズツ”と書かれてる。
「自分で、検索でも何でもしろよ」
ぶっきらぼうに続けて、結城くんが友達と去っていく。
「あ……」
お礼を伝えようとしたんだけれど、タイミングをつかめず、その場に立ち尽くす。
「イロイッカイズツ……」
誰もいなくなった空間で、その不思議な響きを
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