樹洞の中

 ペンライトの弱い光は、上下左右の闇ばかりを照らし出した。

 たちまちピクニック気分は失せ、僕は軽いパニック状態に陥った。


 「タテハぁ~」

 暗いほらの中、自分の声だけが響く。


 やがて、こんな所で名前を呼ぶしかない無力さを感じるとともに、さっさと戻って誰かに助けを求めた方がいいのではないかという考えが頭をもたげてきた。同時に、この山で修業をしたという赤澤さんの顔が思い浮かんだ。


 それにしても、何で突然消えるんだ?

 なんて説明するんだ?


 どのように対処すべきかと考えれば考えるほど、思考回路は空回りするばかりだった。


 そうこうしているうちに、暗がりの隅っこで落ち葉が不自然に堆積しているのに気づいた。

 近づいてみると、盛り上がった落ち葉の向こう側に小さな穴が開いていた。中を覗くとクスノキの太い根っこが地下へと伸びていて、その下にはさらなる空間があるようだった。


 僕はもう一度大きな声でタテハの名前を呼んでみた。



 地下の空間は、ぼんやりと明るかった。20~30ワットくらいの明るさだろうか。  

 何かはわからないが、光る昆虫か微生物が発光しているのかもしれない…そんなことを考えながら、僕は恐々こわごわと辺りを見回した。


 クスノキの無数の根が網状となり、土塊つちくれの壁の空間を作り上げていた。なんとなくドーム型のコテージにいるような気分だった。

 ざっと見渡したところ土砂崩れの痕跡もなく、かなり安定した状態であると思われた。


 建築学を学ぶ身にしてみれば、この形状はとても興味深いものだった。

 眺めているうちに、1~2年前に読んだアジアの住居に関するレポートを思い出していた。中国の黄土高原には穴を掘っただけの住居が今でも存在していて、ヤオトンと呼ばれている。建築家を必要としない建築物だ。


 そんなことを考えていると、不意に後ろから光が射した。


 「やっと来てくれたのね」ペンライトの光とともに振り返ると、タテハだった。

 スカイブルーのTシャツはあちこちが湿った土で汚れていた。おまけに髪の毛には破れた落ち葉が何枚もくっついていた。


 「大きな根っこを滑り台にして下に降りたのを思い出したの」

 で、今回もそうして滑り降りたのか?無茶というか無謀というか…

 そう言いたいのは山々だったが、見つかって安堵したのと、ピエロじみたタテハの姿に笑いそうになったのとで声にならなかった。


 「頼むから、ひとりで行動しないでくれる?」辛うじてそれだけを口にすることができた。


 「大丈夫。この場所に危険な気を感じなかったから、ちょっと一人で探ってみたの」

 「危険な気があるかないか判断できるって、なんかそういう能力でもあるの?」

 「どうだろう。わからないけど、そう感じたの」


 静さんがタテハには霊威があると語っていたこともあり、たぶん特別な能力があるのだろうと、僕は思うことにした。


 「もっと奥があるのよ」タテハが僕の手を引いた。

 「ちょっと待って。ふつう小さな子どもがこんな暗い洞窟の奥へ一人で入っていく?」僕は引っ張るタテハ引き戻した。

 「金色のサナギを見たのはもっと違う場所だったんじゃないか?」

 「あの奥の方よ」けれども、タテハは主張する。


 「それに一人じゃなかったわ」タテハが立ち止まって僕を見た。


 「火威カイと一緒だったから」


 「カイ?」


 「そう、赤音山に住んでる精霊よ」


 僕は樹洞の暗い天井を見上げてしばし考えた。

 子どもの幻覚だったのか、それともタテハの冗談なのか…


 考えあぐねて気づくと、タテハは僕を置いてさらなる闇へと入っていった。

 僕は慌ててその後を追った。


https://kakuyomu.jp/users/rubylince/news/16818093089920687991

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