第19話『ぎゅうぎゅうづめと迫る足音』
「そういや」
倉庫から ほうきやモップを取り出しながら、アダムが言った。
「そろそろ また どっか停まるかもな」
「汽車? 」
リクが聞くと、アダムは目を細めて、「それ以外なにがあんだよ」と ぼやいた。
「オスロを出発したのはいいが、速度が上がんねえんだ。石炭不足って訳でもねえから、恐らく、近いうちに停まるだろうな」
「なるほどね」
リクはアダムからモップを受け取り
「つぎは どこに停まるんだろう! わくわく するなあ」
ニックを振り向いて言うと、大男はリクを見下ろし、ニッコリ 笑った。
「そうだな。また いいところだといいな」
すると、アダムが「ふん」と鼻で笑った。
「エジプトの時みてえに面倒くさくならねえことを祈るぜ」
「それは確かに」
リクもその意見には賛成だ。
以前エジプトに停車した時は本当に大変な思いをしたのだ。ソジュンが捕まり、ソジュンを解放するために、謎解きをさせられたり、
「でも今となって思えば、あれはあれで いい思い出だなあ」
「け、リクは能天気でいいな」
「アダム、それどういう意味。そろそろ私だって嫌味も分かるようになったよ」
そんな やりとりをしながら、リクたちは“お客様”の泊まる号車へ向かった。
宿泊客が寝泊まりするB寝台の貫通扉を開くと、異様な光景が広がっていた。
「うわ! なんだこりゃ」
号車が、お客様で溢れ返っていたのだ。
「アダム! ニック! リク! ちょっと、お客様どいて! 」
ホブゴブリンやピクシー、ノッカーにプーカなど、ごちゃごちゃに詰め込まれた中を
瑠璃紺色の制服を着る彼らは、やっとのことで貫通扉の前まで来ると、パッ と表情を明るくさせた。
「やっと来てくれた! 大変なんだよ」
「大変なのは見りゃ分かる。なんで こんなに客で溢れ返ってんだ? 」
「みんなイベント、見に来た」
アダムが尋ねると、コリンの後ろで ぼんやりしていたミハイルが答えた。
「イベント? なんの? 」
「だめな、人間の、イベント」
「だめな人間のイベント? 」
なにそれ、とリクは首を傾げた。
「よくわかんねえけどよ」
と、アダム。
「どうする? これじゃあ仕事どころじゃねえぞ。客を このまま箱詰めにしとく訳にもいかねえだろ」
「そうだな」
ニックが頷いた。
「サロン室を解放するというのはどうだ? 2部屋つかえば、さすがに混雑も解消されるだろう」
「そうだね」
ニックの提案に、今度はリクが頷いた。
「それじゃ、サロンに客を案内すんぞ。おーい! 」
サロン室の貫通扉を開こうとした、その時。ブーブー フゴフゴ 鳴いていた妖精たちが、一斉にリクたちを見た。
「サロン室を開けた。窮屈なのが嫌なら、そっちに──」
途中まで言って、アダムは言葉を詰まらせた。
それもそのはず。妖精たちはリクたちの姿を認めると、クスクス ブンブン 笑い出したからだ。
「なにがおかしい」
アダムが眉を
「主役、来たって」
「主役だと? 誰のこと言ってんだ」
尋ねられて、ミハイルは一瞬 言葉を飲み込んだように見えた。が、すぐに ぼんやりと指で指し示した。
「アダムのこと」
「俺? 」
「そう」
「俺が どうして主役なんだ? 」
「それは──」
珍しく、ミハイルが言い淀んだ。
「おい、答えろよ」
不機嫌そうに詰めるアダムに、ミハイルは ゆっくり瞬きをして、口を開いた。
「アダム、気をつけて。アダム、
「あ……」
リクは、いつかの朝を思い出した。
リクが朝食に遅れて食べ損ねた時に、お客様に配膳していた時の出来事だ。お客様たちが ひそひそ 話していた内容。“アダムが《
「ひどい……」
リクは泣きそうになりながら呟いた。ニックも「なんて悪趣味な」と下唇を噛んでいる。が、当のアダムは「は」と声を立てて笑った。
「俺が本当に死ぬか見に来たって訳かよ。いい趣味してるぜ、本当」
「アダムあの──」
「いいぜ。見て行きゃいい。どうやら長期滞在でもなさそうだし、サロン室もいいよな」
それじゃ、行こうぜ。と、アダムはモップを担ぎ直すと、
「えっと、アダム、客車の掃除は? 」
リクがアダムを追いかけつつ問うと、アダムは「あのなあ」と呆れた顔をリクに向けた。
「こんなに混雑してちゃ無理だぜ。今日は休日だ、休日」
「それもそうだな」
ニックもアダムの後について歩き出した。
「いいの? アントワーヌに怒られちゃうよ? 」
コリンも ひょこひょこ あとについてきて言うが、「ならトニが やりゃあいい」と返されてしまった。
「掃除、さぼり。アダム、悪い人間」
そういいつつ、ミハイルも みんなのあとについてきた。
B寝台からサロン室に出て、サロン室から掃除用具などを収納している倉庫に出る。
「ねえ、アダム? 」
倉庫の扉を開け、リクがアダムに声を掛けた。
「体調、大丈夫? 」
「あ? ああ」
掃除用具入れにモップや ほうきを押し込みながら、アダムが答える。
「特に変わった感じはねえな。いつも通りって感じだ」
言うと、後ろで ぼんやり立っているミハイルに向いた。
「なあ、ミカ。さっき、気になること言ってたよな? 客たちが、なんだ、“だめな人間のイベントを見に来た”ってよ。それ、どういう意味なんだ? 」
「そう! 」
リクもミハイルを見た。
「どういう意味? 」
全員からの視線を受けたミハイルは、何かを言おうとして、首を振り、口を閉ざしてしまった。いつものミハイルなら何でも口に出してしまうのに、このミハイルは何だか、調子が変だ。リクは嫌な違和感に眉を寄せた。
「言えないことなの? 」
聞くと、ミハイルは首を上下させ、少し困ったような顔を見せた。
「言いたくないこと」
それだけ言うと、ひとり、食堂車のほうへ歩いて行った。
閻魔は衣装箱の上に座っていた。扉の前に立つアントワーヌは、漆黒のスーツに身を包んだ そのオトコを憎々し気に見下ろしていた。
「そろそろ時が来るよ」
閻魔は静かに言うと、口角を不自然なほど高く持ち上げた。
一方でアントワーヌは不機嫌そうに口を曲げた。
「現れては抽象的なことばかりだな。具体的に言え。俺に何を望んでいる」
「まったく、彼──アダム君の部屋に出た
閻魔は お茶らけた口調で言う。
「アダム君。彼、いま凄い危険な状態なんだよねえ。彼が下手なことしないか、このまま見守っててほしいんだ」
「下手なこと? 」
「うん」
と、閻魔は満面の笑みで おおきく頷いた。そして、「た、と、え、ばあ」と続ける。
「汽車から降りる、とか」
「汽車から降りる⁉ なぜだ」
「だから、例えばって言ったじゃん」
閻魔は大袈裟に溜息を吐くジェスチャーをすると、ふたたび笑顔をアントワーヌに向けた。
「ま、オレ的にはあ? 彼が どうなろうと知ったこっちゃないんだけど。彼に恋してる、オレの可愛いパック君の頼みなんだよねえ。“彼に危険がないように”って」
“パック”、
そんな妖精パックだが、どうやらアダムに惚れてしまっているらしい。アントワーヌが聞いた話しに寄れば、アダムがパックに飴玉をくれてやったらしく──アダムにとってみれば取引の材料という認識だったのだが──それがカノジョの恋心に火をつけてしまったのだそうだ。
人間であれ、妖精であれ、どんなことで恋に落ちるか分からない。
「ま、ということでえ」
閻魔は長い指を顔の前で振りながらアントワーヌを上目遣いに見上げた。
「本当なら、
無邪気に残酷なことを言う閻魔に、アントワーヌは眉を寄せた。
そんなアントワーヌの表情を知ってか知らずか、閻魔は笑みを浮かべたまま「ってことでえ」と続けた。
「よろしくね、アントワーヌ君っ」
「ちょっと待て」
反論しようとしたアントワーヌだったが、瞬きのうちに閻魔は消えてしまっていた。
はあ、アントワーヌは溜息を吐くと、倒れ込むようにベッドに腰を落とした。両手で顔を覆うと、また深く、溜息を吐いた。
「何が起ころうとしているんだ──」
閻魔は、そろそろ時が来るといった。
何が起こるとしても、嬉しい事件ではないことは確かだ。
「アダムに気をつけろ──か……」
“例えば、汽車を降りるとか”──
立ち上がろうとした、その時。
「汽車停車、汽車停車」
廊下からアナウンスが聞こえた。
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