第6話 霧の湿地
それから数ヶ月経ったある日。アルウィンは
アルウィンは実力を認められてから冒険者ギルド内でめきめきと頭角を現していっており、今日は上級冒険者への認定試験だった。
彼は
「くそっ、霧のせいでなかなか前が見えないや」
湿地帯は運悪く霧が立ち込め、10ヤード先がやっと見える程度だった。
この霧の中でどこから襲われてもおかしくはない。
剣士として研ぎ澄まされた〝魔力感知〟は強い魔力の動きを把握することは可能である。
けれど、魔獣が非戦闘時に発する弱い魔力の揺らぎを察知することは不可能だった。
弱い魔力の揺らぎを把握するためには、〝魔力探知〟という、魔力感知よりも更に高難度の技術を習得しなければならない。
けれど、その技術を扱えるのは一部の魔力行使の経験が豊富な魔法使いだけである。
シュネル流の剣技は魔力を用いて戦うものだが、アルウィンは愚か剣聖オルブルでさえ魔力探知は扱えなかった。
一方の
そのため、いつどこからアルウィンの匂いに気が付いて狙ってくるかなど判らない。
霧で視界を封じられている今、圧倒的に不利な状況下にいるのはアルウィンだった。
───何も見えないし……早く帰りたい。
アルウィンの行く先は広大に広がる泥の湖沼となっていた。辺りを見渡すと、左前方に小高い丘ほどの巨大な魔獣の死骸がある。
アルウィンがその方向へ足を向けると、それは近付けぬほどの臭気を放って彼を苦しめた。
彼は泥が付着してどんどん自由を奪われる中で、すり足をしながら進んでいく。
が、突然。
彼は付近から強い魔力の揺らぎを感じ取ったのだった。
「ッ!!」
咄嗟に身を屈めたアルウィンの頭上をビュッと音を立てて巨大な爪が空を切り裂いた。
次いで、長くしなる尾がアルウィンの屈んだ場所に向け放たれる。
「危ねぇっ!」
どうにか横っ跳びで回避は出来たものの、着地した先は足にねっとりと絡みつく泥の中だ。
転びそうになるものの、どうにか踏み留まった彼はその巨体を視界に入れる。
霧のなかから現れた黒々とした影。
頭部には琥珀色に光る3本の角があった。
その下でグアッと開かれた、鉄塊も噛み千切りそうなほどの凶暴な
そしてゆっくりと身体全身が顕になると、見えるのは鎧のような外骨格だった。
アルウィンを狙った不気味に輝く爪だけで1フィートは余裕でありそうである。
───間違いない。
グルァァァァァァァッ!!と、咆哮が轟く。
次いで、再度彼を狙った強靭な尾。
すぐさまアルウィンは抜刀し、黒く光るその尾を正面から受けた。ベキンッという鈍い音と共に、アルウィンの腕に強い衝撃が駆け抜ける。
「硬っ……!」
思わず、言葉は彼の口から漏れていた。
大剣のような尾は鋭く、生物であるはずなのに圧倒的に硬かった。
竜種の皮膚が堅牢であるというのは有名であるが、この種に関しては平均的な竜種よりも表皮が硬いようだ。
アルウィンの剣に付着した血はほんの少しだけだった。
人間で例えるならば、紙で切り傷を作った時の出血量のようなものだろうか。
彼は
圧倒的な皮膚の硬さは、流石は上級冒険者と中級冒険者の間の壁となりうる魔獣といったところだろうか。
現状、恐らくぬかるみの中でも素早く動ける
再度尻尾が振り抜かれる。
今度は前回よりも低い音をたてて迫ってきた。
アルウィンは足をすり足のまま開いた。
───今度は防ぎつつも傷を与えていきたい。
そう思った彼は、剣を中段にして斜めに構える。
「さぁ、かかって来い!!
シュネル流!〝
アルウィンの剣は右下後方から手首を逆手に持ち替えながら左前へ斬り裂くというもの。
正面から斬ると圧倒的な硬さに邪魔される。ならば斜に斬れば深い傷を追わせることができるのではないだろうかという試みであった。
「ふぅんっ!」
ドゴッと音がしてぶつかった、大剣と剣との一騎打ち。
アドバンテージがあるのは間違いなく獣の大剣だが、斜めから斬り込んだアルウィンの剣はザクッと音を立てて尾骨に達する付近まで抉っていた。
アルウィンは尾の下部分を切り裂いたが、そこは尾を動かすために必須の筋肉組織である。
───分厚すぎる……完全に斬れなかった。
アルウィンは剣をちらっと見てぜぇぜぇ荒い息をあげる。
───ああクソっ、さっきからなんだよこの咆哮!鼓膜が破れそうだ!
アルウィンは必至で両耳を耳を押さえることを余儀なくされてしまった。
しかし。
アルウィンが耳を押さえていたほんの少しの間に、魔獣は彼を泥沼の中に突き落とそうと突進していたのである。
「!?」
アルウィンは即座に反応した。
耳から手を離した瞬間、即座に身体を安定させるために腰を落とし、剣を中央に構えながら真正面に立つ。
足場が悪いためにシュネル流の十八番の受け流しは殆ど不可能に近かった。回避も同様に不可能である。
そうなれば、ど真ん中で防ぎ切るしか手段がない。
いつも身体に張り巡らせている魔力を、泥の中に突っ込んだ足を分厚くするようにそっと広げていく。
鈍器のような頭部がどんどん迫ってくる。魔力は果たして十分だろうか。分厚くすれば、もしかしたら上手く防ぎ切れるかもしれないのだ。
───判らないけど、賭けるしかない。
「シュネル流……〝
アルウィンは宙を舞っていた。
「クソっ!付け焼き刃の魔力付与じゃ無理だったか!」
徐々に足下に泥沼が近付いてくる。
彼は着地を上手く決めようと空中で体勢をとるが、着地した途端にぬかるみに足を取られた。
そして───うまく体重が乗らずに背面から泥沼に落ちてしまっていた。
背中に絡みついた泥が彼の身体の自由を即座に奪う。満足に身動き出来ぬ彼は、力づくで両腕を泥から引き摺り出して
「ううっ……クソっ、身体が重い」
彼は、泥の重みで自由が利かない腕を必死に振り上げ、剣をじゃらりと引き抜く。
けれども。
兜のように硬い頭骨が、起き上がろうとした彼の腹部に直撃した。剣の位置が悪く、上手く守れずに直撃してしまったのである。
「あ……があっ!!」
彼は血反吐を吐きながら空に投げ出され、頭からヘドロの中に突っ込んでしまった。
鼻腔に腐った魚のような強烈な臭気が入ってくる。
アルウィンが必至で泥から頭を引っこ抜いたときには、ニタニタ嘲笑っているかのような魔獣はもう目の前であった。
動けない彼に、もう十分であろうと諭すかのように
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