第2話 天賦の才能を持つ少女

 剣を受け取ったオトゥリアは、ヨハンに目線を向ける。

 その表情は、僅かに憂いを含んでいた。

 それでも彼女は足を大きく開き、重心を下げて片手で握った剣を後ろに構える。


 一方のヨハンは剣を両手で握り、がっしりとはすに構えている。


「よろしくお願いします!」


 オトゥリアの瞳は、一瞬の後に鋭い眼光を放っていた。

 自分の2倍は大きい相手の迫力を感じながら大きく息を吸う。

 そして、ゆっくりと吐き出しながらタイミングを見計らっていた。


「…………ッ!!」


 数秒後に響いた、床を強く踏み込んだ音。先に動いたのはオトゥリアだった。

 魔力を纏わせた足で高く跳躍し、空中で一回転。

 上からヨハンの頭を目掛けて剣を振り下ろす。

 彼女は、ヨハンが守りに入った途端に狙いを剣に変えて、防御を崩そうとした。


 ヨハンはオトゥリアの剣の軌道を予測し、防御態勢を取ったが───「んっ!?」という声と共に、剣がぶつかった途端に軽く仰け反ったのだった。


 ちょうどその刹那、嫌な音が道場に響き渡る。


 ───私の狙いは防がれたけど……上手く入った!


 オトゥリアの表情は、先程の鋭い目線を放っていた少女と思えないほどに輝いていた。

 

 そして。

 そのまま静かに着地した彼女は、鋭い軌跡を描きながらも体勢を崩したヨハンに迫っていた。


 が、さすがは剣術指南役というところか。


「トル=トゥーガ流奥義〝金城湯池きんじょうとうち〟」


 ヨハンはたった一歩踏み留まるだけで彼女の猛烈な追撃を防ぎ切り───蹴り飛ばしていたのである。


「流石はシュネル流の剣士だ……幼いのにも関わらず狙いが的確過ぎて恐ろしいな」


 蹴り飛ばされたオトゥリアはしっかりとしたステップで受け身をとって構え直していた。

 蹴られた右足を軽く押え、ヨハンに答える。


「それはどうも……

 ありがとう……ございます」


 追撃を見事に防がれたオトゥリアは唇を噛みながらそう言っていた。悔しさを顕にして、どうやってヨハンの防御を崩すか思案する。


 けれども、その時。静かに横で見ていたオルブルが口を開いたのだった。


「ヨハン……ヒビが入った剣でも戦うつもりか?」


 と。


 目を凝らして見ると、ヨハンの木剣は中央からばっくりと裂けていた。

 オトゥリアが放った上からの斬撃。それは、ヨハンの木剣を破壊しようと木目の弱い所を狙ったものだったのだ。


 ───凄い……


 見ていたアルウィンの開いた口は塞がらなかった。


「いやはや、腕は確かにあったな。合格だ」


 斜めに入った大きなヒビを見ながら満足そうに言うヨハン。

 最初に感じたプライドのようなものは、既に彼の表情からは消え失せていた。


 ───オトゥリアの実力は凄まじいな。一瞬の判断でどこを狙うべきかを見定めて振る一撃に、今まで何本の剣が犠牲になってきたことだろう。


 しかしアルウィンは、ヨハンがオトゥリアに対して手を抜いているのではとも思い始めていた。


 ───王国の剣術指南役が、いくら天才とはいえ子供のオトゥリア相手に遅れを取るはずないよな。

 オトゥリアは、きっとオレ以上にその違和感を感じているはずだ。


 すると、彼の推測通りにヨハンは口を開いていた。


「オトゥリアよ、再戦するか?私が魔力を……先程よりは出してやろう」


 あっさりと終わってしまい少し不満そうなオトゥリアを見て、ヨハンはひとつ提案をしたのだ。


「ぜひ……お願いします」


 その言葉でオトゥリアは目を輝かせ、口角を少しあげる。

 先程の戦いは、彼女にとっては話にならないようなものだった。

 だからこそ、彼女は今度こそ本気を出せるのではと、期待に胸を膨らませているのである。


 ヨハンは代わりの木剣をオルブルから受け取っていた。


 オトゥリアは一礼して、今度は左手を前に突き出し、右手を引いて構える。対するヨハンの構えはさっきと変わらない。

 互いの出方を伺う両者。ヨハンは身体全体に魔力をゆっくりと纏わせ、オトゥリアの攻撃に備えようとしている。

 ヨハンは未だに全力を出していないのであろうが、魔力を身体に纏っていることから彼の言葉通り少しは本気に近付いているはずである。


「…………ふぅ」


 オトゥリアは静かに一息つくと、瞬時に魔力を纏わせた足で床を蹴り上げていた。

 そして、手首で剣を左右に回しながらヨハンの懐へ潜り込む。

 左下から右上に向けて振り上げる剣は、手首のスナップによって大きな弧を描く軌道となっている。

 狙うのは、ヨハンの首元だ。


 けれども。


「…………悪くないなッ!!」


 そう言いながらヨハンは剣をゆっくりと振り下ろす。ヨハンはオトゥリアの剣の軌道を完全に見切っていたのだ。

 吸い寄せられたかのように、オトゥリアの剣は真正面を捉えられて弾かれる。


「つっ!ああっ!」


 オトゥリアはヨハンの鉄壁の防御を崩そうと、何度も何度も並以上の剣士であっても予測することが困難な軌道の斬撃を仕掛けていく。

 剣から出る風圧で彼女の長い髪は波打っていた。


 しかし、一向にオトゥリアの剣は狙った場所に触れることが出来ないのだ。

 彼女はヨハンを一向に崩せないことに悔しくて堪らないような表情を浮かべ、息を荒らげていた。


 その姿は、この前のテオドールと似ていた。


 ───ヨハンさんは……強い。私の攻めが上手く機能してない。このままじゃ……体力切れのところを狙われちゃう。何で上手く出来ないんだろう。


 彼女は、バックステップを取りながらヨハンから距離をとった。

 そして、ゆっくりと自身の心臓に手を当てる。

 ばくばくと血流を送り出すその拍動は、いつも通りに行かない彼女の焦りを示しているかのようだった。


 ヨハンの剣は確実な防御とカウンターに主軸を置いたものだ。

 そんな彼に、オトゥリアのちょこまかした動きは全て見切られていた。


 本気ではないのに、オトゥリアの鬼神のごとき斬撃を虫でも払うかのように扱う歴戦の剣士ヨハン。

 二人の戦いぶりを見ていたアルウィンは、オトゥリアよりも格上の相手であるヨハンに、ある種の畏怖の感情さえ覚えていた。


 そんななかで。


「……そろそろ攻めに転じようか」


 ヨハンがそう静かに呟いて、剣を振り上げると。

 魔力を纏った木剣が差し込む陽光を反射して煌めいた。


 その光が、アルウィンの目に鋭い残像を焼き付ける。


 振り下ろされるものは、彼の属するトル=トゥーガ流とはまた違う戦闘スタイルのものだった。

 例えるならば、白鳥のように重厚感があり、力強く美しい斬撃とでも言うべきであろうか。

 身長差がある分、有利なのは上から一気に畳み掛けられるヨハンだ。

 そのまま攻撃を続けることでオトゥリアを崩れさせて優位を取ろうとする足の運びである。


 低い音が響く。魔力によってさらに圧力がかかり、威力が増大している剣が轟かせる音だ。


 ───まずい!


 オトゥリアの表情が、僅かに引き攣った。

 そしてすぐさま、華麗なバックステップで斬撃を避けて、ヨハンの剣に自分の剣を触れさせない。


 重い斬撃は圧倒的な機動力を誇っていた。

 叩き潰すようなその一撃が当たれば、彼女の身に伝わる衝撃は計り知れない。


 オトゥリアはその恐ろしさを感覚で察知したのであろう。

 下手に動けば、崩されれるのはオトゥリアの方だった。


 そんななかで。

 彼女は視覚情報ではなく、魔力の流れに意識を集中させようとした。

 魔力感知と呼ばれる技で、相手の魔力の流れを視るためのものだ。

 魔力感知さえあれば、魔力を纏うヨハンの剣の軌道は視覚よりも精確に理解できるようになる。


「ぬぅんッ!せぁぁぁッ!」


 破壊的なパワーで、美しい軌道の斬撃を振り抜くヨハン。

 彼女は魔力感知をら用いながら、徹底的に回避を続けていた。


 そんな中で。


 ───攻撃の糸口が……見えた!!


 数発避けきったところでヨハンの剣を解したオトゥリアは、距離を開こうと後方をチラッと一目見た。


 才能があると言っても、10歳のオトゥリアの筋力は大人にまったく及ばない。仮に重い一撃が当たれば……完璧に防御したオトゥリアであっても敗れるだろう。

 そんな中で、チラ見の隙を突こうとヨハンが両腕を振り上げる。


「くっ……!」


 迫る剣を見て、オトゥリアはタイミングよく後方に大きく宙を舞いながら距離を取った。

 そしてすぐさまステップで踏み切り駆け上がって、今度は彼女の攻撃ターンだ。


 ───下手な攻めの一手は確実にヨハンさんの重い斬撃に崩される。

 なら、攻めのタイミングをずらして攻めれば……上手くいくんじゃないかな。


 そうオトゥリアは考察したのだ。


 ヨハンの剣が空気を斬り裂く重厚感のある音が轟いた。

 その剣の向かう先では───オトゥリアのアクアマリンの瞳が煌めいていた。


 彼女は中断から鋭い突きを見せた。

 その一撃をはたき落とそうとヨハンが大きく振り下ろしきったタイミングで、彼女は手首を返して剣の軌道を変化させる。


 フェイントだ。

 そして、斜め上から。

 自身の剣を彼のものに添わせるようにすっと重ねたのだった。


 爆発に似た妙な音がヨハン、オトゥリア、アルウィン、オルブルの鼓膜を揺らす。

 その瞬間だった。


「おお……ッ!?」


 オトゥリアによって剣が滑らされ、ヨハンは声を漏らす。

 彼の剣は彼女に受け流されて力を失っていた。

 が、慣性で体勢を崩しそうになるところを、歴戦の感覚で踏みとどまって抑え込んだ。


 しかし、そのあまりにも大きな隙を、天才少女が見逃すはずはなかった。

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