第1章 痕(5)
翌日は休日だった
昨日の夜は左手首の痛みによく眠れず、ずっと、うとうととしていた──結構、痛い。
目が覚めたのは昼過ぎで、ジャナも朝食に起こしには来なかった。
空腹を覚えてベッドを降り居間へ向かう。
すると、ジャナは着換えもせずに、ソファで昨夜貸したスマホを弄っているところだった。
「ジャナさん、もしかして寝てないんですか?」
「わかったよ、万理愛」
「え?」
推察通り、ジャナは一晩中、私のススマホで調べ物をしていたらしい。
眠そうな顔でジャナが出した答えは実にシンプルなものだった。
「話は簡単なんだよ。昔、一人のサムライが、化け蜘蛛をバッサリ斬って成敗したと言う例があるらしい」
「それが結論なんですか?」
「そう。つまり、あの化け蜘蛛は斬れる、って可能性があるってことさ。物理攻撃が効くんだね」
「じゃあ、割と簡単ですね」
「それが割と簡単ではないのよ」
「今、簡単て言ったじゃないですか……」
「サムライはね、刀を使って化け物を斬ったんだ。ジパングの刀、つまり日本刀には、邪を払う力があるらしいんだけど。万理愛、あんたんちに刀ある?」
「え、ないです」
「その辺に売ってる?」
「その辺では無理なんじゃないかと」
「だろう? 現代の日本では第一、刀を所持するのに許可がいるらしいしね」
「は、博物館から拝借してくるとか……」
「拝借って?」
「う……盗む、です」
「魔力を使えば容易いかもしれないけれど、大きな魔力は目立つ。極力使いたくないね」
「どうすればいいのかなあ」
「正真正銘の刀鍛冶が打った、玉鋼で出来た刃物──まあ、コレでも行けるんじゃないかってのは見つけたんだけどね」
「なんですか?」
ジャナが突き出したスマホを覗き込む。
「包丁?」
それは、人間国宝の刀鍛冶が打ったという、玉鋼製の和包丁だった。
「このサイトによると、むしろ包丁は日本刀よりも切れ味が良いそうだ」
「スゴイ! この包丁だったら……」
喜色を浮かべた万理愛の目の前で、トントンとジャナが画面を指さす。
そこには『ただいまのご予約三年待ち』とあった。
「そうなのね……え、でも待って」
そのフレーズはどこかで聞いた覚えがある。
『人間国宝の刀鍛冶が』
『刀と同じ材料で打った』
『嫁入り道具の包丁』
それは確か──
するとその時、ジャナの手の中のスマホが鳴動した。
壬朋からのメッセージの着信だった。
【みとも】万理愛ちゃん、どうしよう、足の怪我がひどくなってきちゃった。母さんには言えない。怖い。どうしよう。
「マズいね」
画面を見たジャナが呟く。
送られてきた写真は、すっかり爛れきった壬朋の足首だった。
「ジャナさん!!」
「この子が食われたら、次は万理愛が狙われるだろうし……」
「あるの! 包丁!」
「え?」
「壬朋の家に! ジャナさんが言う条件が当てはまる包丁が、あったんです!」
ジャナは目を丸くして、それから、いつもの蕩けるような笑顔を見せた。
「それじゃあ、もう一回お見舞いに行こうか、万理愛」
ジャナは、お見舞いの品にキャロットケーキを焼いて用意してくれた。それが入ったバスケットには、キッチンにあった香辛料の小瓶や、そのほかにも何か詰められているようだ。
「なんですか? それ」
私は小瓶を指さす。
「クローブだよ。ケーキにも入ってる。良い香りでしょ」
「あれ、バニラエッセンスじゃなかったんですね」
「そうよー。あんたの母親のスパイスコレクション、すごいわね。全然減ってなかったけど」
「う。お母さん、買ったはいいけど全然使いこなせなくて、宝の持ち腐れだったんです」
そんな話をしながら歩いていると、ジャナが花屋に寄りたいというので、近所のフラワーショップへと連れて行く。
「ちょっと待ってて」
ジャナは私を入り口で待たせると、ふらりと入って花でも買い求めたのか、包み紙にくるまれた何かの束を持ってすぐに出てきた。
そこから壬朋のマンションには程なく着く。
着いたのだけれど。
エントランスのインターフォンの前で、私は怯んだ。
「友達のお見舞いに叔母さんを連れてくるなんて。変だったかなあ」
今更になって尻込みする私の横で、ジャナは構わずインターフォンを押した。
「ジャナさん! ちょっとまっ……!」
すると、壬朋の声がインターフォンに応える。
『はい、あ、万理愛ちゃん』
今日は休日だったのに、壬朋のお母さんは取材に出ているらしい。よほど仕事が溜まってしまったのだろう
「あああ、こんにちは、壬朋ちゃん。その、写真を見て飛んできたんだけど……」
壬朋は、私よりも手前にいるジャナを見て、当然の質問をした。
「万理愛ちゃん、そちらの方は?」
「人見百合子、私の叔母さん……だよ」
するとジャナは、優しげな百合子さんの笑顔を最大限に使って、カメラ越しに壬朋へと微笑んだ。
「はじめまして、百合子です。ごめんなさい、万理愛から話を伺って、足に怪我をしてるんでしょう? 手当てをしに来ました」
すると、よほど痛いのだろう。
疑いも何もない、壬朋はほっとした声で応える。
「本当ですか、ありがとうございます」
まもなく、エントランスのドアが開いた。
「どうぞ、お入りください」
深谷家に上がり込むと、ジャナはさっそく壬朋の足を診る。
「コレはひどい……痛かったでしょう?」
壬朋をキッチンの椅子に座らせ、ジャナは跪いて片足を軽く持ち上げた。
「痛……っ」
「ごめんなさいね。傷の程度は分かったわ。この薬が効くと良いんだけど……キッチンをお借りしても良いかしら」
「どうぞ、でも、どうするんですか?」
「消炎作用のあるハーブを持ってきたから、それを浸して湿布薬を作りましょう」
「消毒液なら薬箱に……消炎鎮痛剤も飲んだんですけど効かなくて……」
壬朋は不安そうな顔で私を見た。こ、ここで私が不安な顔を見せてはだめだ。
私はさっきジャナが見せた百合子さんスマイルをまねて、にっこりとほほ笑み返した。
「大丈夫、百合子さんは、とってもスゴイから!」
ジャナは当然という顔で、壬朋にたずねた。
「それじゃあ、そこの鋏をおかりしてもいいかしら」
「あ、はい」
ジャナは花屋で買って持ってきた紙包みを解く。
「アイリスですか?」
「アヤメ?」
花を見た壬朋と私は、見慣れない菖蒲の花を見てたずねた。
「これはね、菖蒲よ、すーっとする匂いが強いでしょう?」
「菖蒲って、葉っぱだけじゃないんだ。お花がある方がアヤメだと思ってた」
「このお花の部分は生けましょうね」
ジャナは花を取り分けると、残りの葉を鋏で刻んで、鍋に汲んだ水へと浸した。そこへ持ってきたクローブを振りかける。
「百合子さん、何をしてるの?」
「水浸剤をつくるの。菖蒲もクローブも……どちらも消炎や鎮静作用があるの。これをガーゼに浸して、足に貼りましょう」
「効くかしら」
不安そうな壬朋の目の下にはうっすらと隈が浮いている。おそらく痛みと恐怖心とで眠れていないのだろう。
ジャナは持ってきたガーゼと包帯で、壬朋の足首を手当てすると、最後にバスケットの中からキャロットケーキを取り出した。
「壬朋さん、包丁も借りれるかしら?」
「あ、はい。カウンターの……」
「あーあそこね、ありがとう壬朋さん」
ジャナはカウンターの包丁立てから一本の包丁を取り出した。
それは、厚みのある包丁で、背の部分に銘が打ってあり、長年使い込まれては居るけれど、私が見ても、すごい包丁であろう事が理解出来た。
「それにしてもこの包丁、年代ものなのに良く切れること?」
ジャナはキャロットケーキを切り分けると、感心したようにカッティングボードの上に置かれた包丁を眺める。
すると、壬朋が言った。
「それは、母の嫁入り道具なんです。お祖母ちゃんが持たせてくれた和包丁で、母はいつも日本刀と同じように作られたのって、自慢してます」
「…………」
私とジャナはそっと目を合わせる。
「壬朋ちゃん」
「なあに?」
「この包丁、借りられるかな」
「え?」
「あのね、壬朋ちゃん」
私は、着ていた服の袖を引き上げ、左手首の赤い痕を壬朋に見せた。
「万理愛ちゃん!?」
驚いた壬朋が、声を上げる。
「私、見たの。壬朋ちゃんが聞いた化け物の姿を。壬朋ちゃんの言うとおり、アレは確かに化け物だった」
「そんな……万理愛ちゃんまで……」
「私のことなら気にしないで。それでね、化け物退治をするのに、どうしてもこの包丁がいるの、だからお願い」
壬朋は、包丁を見て、私を見て、もう一度包丁を見た。
聡明な彼女は、包丁を見つめたまま言った。
「万理愛ちゃん、万理愛ちゃんが危ないことにはならない?」
壬朋は、嫌な予感に眉根を寄せている。
「大丈夫。私には百合子さんが居るから」
本気でそう思ってる私の眼差しを受けて。
「わかったわ」
と、壬朋は、それ以上何も言わず、包丁を貸してくれた。
「壬朋さん、そろそろ眠くなってきたんじゃない? 寝室へ行きましょうか」
ジャナの言うとおり、ガーゼ湿布を巻いた壬朋はベッドに入ると、やがてすうすうと寝息を立てる。
「効いたみたい、やっぱりジャナさんスゴイ……」
「クローブはジパングで丁子と呼ばれてるらしいね。菖蒲と合わせてクスダマという、邪気祓いのリースの素材だったらしいよ」
「ええ? 邪気を払うってジャナさんは大丈夫なんですか?」
「〈邪〉と〈魔〉を一緒にしないでもらいたいね。邪気は人の放つ陰の気。魔とはそう言う種族。私は悪魔という種族。邪気じゃない」
「それじゃあ……」
「まあ、壬朋にはハーブの薬効が効いたと言うよりは、邪気が少し
枕元に生けた菖蒲の花が、清々しい香りを漂わせている。
マンションの鍵がオートロックだったので、私たちは眠る壬朋を置いて、深谷家を後にした。
次の更新予定
傷口に、愛。〜ジャナと万理愛の追儺奇譚 嘉倉 縁 @yoshikura_en
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